第39話 休止求者

「・・・うう、うむむむ」

 どことなく不安定な足取りでポテポテと歩きながら、黒髪の美少女がその容姿に似合わぬ唸り声を上げた。

 言うまでも無く、松永久秀その人である。

「何て言ってるんです?」

「恐らくですが、『やれやれ、大変な目に遭うた』とでも言いたいのかと」

 そして、その後ろからはミルシとその肩の上にチンと座った果心が、同じペースで歩き付き従っていた。もっとも、果心は彼女の肩に乗っているだけだが。

「大変ですね」

「まあ、この人が戦以外で苦境に陥る時は大抵が自業自得なので、気にしなくても良いでしょう」

「ですか。ま、私は役得でしたけど」

 さっきから後ろで好き勝手なことを言うミルシと果心へ堪忍袋の緒が切れたか、久秀は振り向くと顔を顰めて抗議する。

「・・・おい、貴様ら。あまり調子に乗るでないぞ」

 そう凄んで見せるが、残念ながら蒼白く染まったままの顔と隈の見える目では、その威厳も半減といったところで。

 事実、ミルシはそれを受けても全く怯んだ様子は無く。むしろ年下の子を窘めるお姉さんのような顔振りで、

「ダメですよ、そんな顔して強がっても。それに・・・大丈夫ですか?」

「何がじゃ?」

「酷い顔ですよ、ダンジョーさん」

「そうかの?相貌の出来は悪くは無いと思うがの」

 顎周りを撫でつつニッコリ、と本人的には不敵に笑った心算の微笑みだったがしかし、重ねて言うが彼女の相貌は血を失ったような真っ青顔であり、重病人のようなそれだ。

 従って、そこに見受けられるのも強者のそれと言うよりはむしろ、瀕死の敗者が見せるコケ脅しに近い、非常に痛々しいものであった。

「そんなこと言って・・・悪いこと言いませんから、少し休みません?」

「ここまで、ずっと休んでおったわい。無用じゃ!」

 駄々を捏ねる、まるで我儘を言ってきかない末子のようなことを言う久秀に、ミルシと果心は目を見合わせて困ったように肩を竦めた。

「どうしましょう?」

「どうしようも。しかし、しょうがない人です。これでも還暦過ぎた、いい大人なんですけどね」

 もっとも、歳をとって我儘になった老人なぞ我儘坊主とそう変わりは無い。唯一の違いは、それが可愛いかどうかくらいのものだろう。

 そんな2人のやり取りを眉を活からせ腰に手を当て、後ろ歩きしながら睨めつけていた久秀だったが、

「そもそもの、最近のお主らは・・・・・・お!?」

 不覚か、それとも体調不良で足が上がってなかったか。割れた石畳に足を引っかけてしまい、クラリと仰向けに倒れかける。

「危ない!」

 そして、そのまま石畳に後頭部を打ち付ける所だった久秀を、その手をはっしと掴んでミルシが救った。

「お、おお・・・すまんの」

「もう!だから言ったじゃないですか。ほら!」

 と、険しい顔で久秀を叱りつけたミルシはその手を掴んだまま彼女を引きずるように連れ去ると、道端に生えていた大きな欅の木元へ強引に座らせる。

「さ、休憩しましょう!」

「要らんと言うに・・・」

「何か、言・い・ま・し・た・か?」

 ニコリと笑いながら、されど有無を言わせぬオーラを纏ったミルシの物言いに、さしもの久秀も黙って頷くしかなかった。

「宜しい」

「・・・・・・強引じゃのう」

「まあまあ、久秀殿。そう急がずとも相手は逃げませんから」

「そうですよ。あ、何か飲みます?」

「要ら・・・いや、貰おうかの。何があるのじゃ?」

「柑橘水ですね」

「『何か』と言うおいて、一択かの。酒は・・・」

「無いです」

 言下に両断されてしまったが、これは久秀が悪い。

「仕方ないのう。なら、それで」

「はい、どうぞ」

 贅沢にも不承不承の顔つきでカップを受け取った久秀は、それを一口飲むと「ほう」と息を吐く。

「美味しいですか?」

「うむ。悪くはないが・・・・・・なんじゃ、その顔は?」

「元気になって、何よりです」

「・・・馬鹿を申せ、儂は端から元気じゃ」

 不機嫌と照れ隠しが綯い交ぜになったような表情で顔をミルシたちから背ける久秀だったが、それでも一休みと一服を挟んだことでその顔色は大分肌色に戻って来ていた。

「・・・・・・しかし」

 顔を背けたまま、更にコクコクと柑橘水を体に入れて元気を取り戻した久秀は、何かを思い出したのか。忌々しそうに眉を顰める。

「こんな目に遭うのも、全てはあ奴のせいじゃ」

 そう、悪態を吐く久秀の脳裏にはついこの間、イズサン村の跡地でのクリスフトの顔がフラッシュバックしていた。

 もっとも、水晶玉越しに顔が見えたはずは無いが。


「・・・ではダンジョー、仕事だ」

「待て」

「依頼主は、いつもの通り王国の貴族だ。内容は・・・」

「待て、と言うておる!」

 水晶玉を地面へ叩き付けようとした気配を感じたのだろうか。クリスフトは途端に声を真剣なものに戻して謝罪を述べる。

「すまん、冗談だ」

「冗談では無いぞ、まったく。で?」

「ああ、仕事だダンジョー」

「割るぞ?」

 単語を言う順序を変えて欲しかった訳はない。

 勿論、クリスフトとて空気を読めない男では断じてない。今一度「すまん」と謝ると、今度は本当に真剣な声音で話しだした。

「お前たちに頼みたいことが出来てな。今、何処に?」

「それを言うのも、その仕事とやらを聞いてからじゃな。一応、王国の領内とは言っておこうかの」

 それを聞いて、水晶玉の向こうでホッと息を吐いた音が聞こえた。先ず第一段階はクリアと、そういうことらしい。

「安堵したところで悪いがの、クリ坊。儂は、この折に仕事を受ける気は無いのじゃがな」

「そう言うな。勿論、俺だってそれくらいは把握してるさ」

「・・・本当かのう」

「本当だ。何せ、お前たちがそうして旅をする、その指標となる資料をくれてやったのは、他ならぬ俺だからな」

「むう・・・」

 その指標に従わずに無駄足を踏んでいる気不味いさから久秀は黙り込んだが、それを『痛いところを突いた』と勘違いしたクリスフトは、どことなく上機嫌で言葉を続けた。

「だが、そもそもお前と俺の関係はビジネスライク、ギブアンドテイクだ。だから、お前が呑める条件を出せれば、それで良いんだろう?」

「まあ、そうなるかの」

 頭を通り過ぎた横文字へ必死に追い縋りつつ、久秀は蟀谷を抑えながら頷く。

「しかし、そのぎ、ぎぶ・・・」

「ギブアンドテイク、ですよ。つまりはお互いが得するように、という合言葉みたいなものです」

「こんな時だけ出て来ずとも良いわい、果心。・・・しかしクリ坊、じゃとしても、お主から今更儂らが必要とする情報なぞ早々は出てこまいて」

「ああ、その依頼主については、俺じゃ無いぞ?」

 え?と目を丸くした久秀に代わって、後ろから降りてきたミルシが会話を継ぐ。

「じゃあ、誰なんですか?」

「ん?その声は、ミルシ嬢か。息災なようで何よりだ」

「ええ、そちらも。・・・で?」

「依頼主は、王国南方に領地を持つ貴族・・・と言うよりは、在地豪族と言った方が適当な男だ」

 通常、王国における貴族の殆どは自分の領地に住むどころか赴くことさえなく、大概は王都に住んで代官を派遣している。無論、クリスフトもその例に漏れないが、領地に住んで自ら統治している貴族もいないでは無い。

 そうした貴族は宮中での権力闘争や権勢への影響は持てないが、その代わり自分の領地では統治者として振舞える。嘗てイズサン村民へ惨劇をもたらしたあの領主の類に近いが、流石にあのような『買い取った』三下とは異なり生まれつきの選良であるからか、それなりに善政を敷くことが多いようだ。

 勿論、苛政を敷く貴族もゼロでは無いし、どの道、国家統制の観点から見ればマイナスでしかないが。

「その男から依頼があってな。腕の立つ仕事人を紹介して欲しいと」

「前の、ポデスタからの依頼みたいな?」

「そんな感じだ」

「・・・お主、宮仕えを止して人材派遣を生業にでもする気かの?」

「出来るものなら、な。しかし・・・本当なら、全ての都市があのように国家から派遣した代官で統治していなければならんのだが、繰り言だな」

「・・・まあ、気持ちは分かるがの」

 その手の連中は得てして中央の統制を外れたがるものであり、実質間接統治とせざるを得ないのは、やはり国政を担うクリスフトとしては承服しかねる状態のようだ。国衆や寺衆と言った『不入の権』を盾に取る連中との丁々発止を続けてきた久秀としてはその苦労が良く分かるのか、彼女にしては珍しく慰めるような台詞を吐く。

「しかしの、クリ坊」

「何だ?」

「その言い様から察するに、仕事の依頼をしてくるのはその貴族となろう。されば、その報酬も・・・」

「そうだ。その男が出す」

「さらば尚更じゃ。どうしてその男が、儂の欲する報酬を出せると分かるのじゃ?」

 今までの久秀なら最低限金子を積まれれば受けたかもしれないが、今の彼女には目標がある。ただでさえ無駄足を踏んだ格好の彼女としては、生半の条件では動く気にすらならない。

「まあ、そうですよね。色々ありましたから」

「色々?」

「ええ、色々。詳しくは・・・・・隣でダンジョーさんが怖い顔して睨んでるので、止めておきますね」

「そうですね。まあ、どうしても知りたいとあれば・・・・・・止めておきましょう。小生も流石に命は惜しいですから」

 余計な口を利こうとする2人を目力で制すると、久秀は咳払いをして会話を続けた。

「と、まあ、そういうことじゃ。悪いが他の者を・・・」

「とは、いかん。俺が知る中で、お前が一番の腕達者だ。それに・・・」

「それに?」

 怪訝そうに眉を顰めたのが見えたはずもないが、まるで見えたかのようにクリスフトは水晶玉の向こうで声を弾ませる。

「それにな、ダンジョー。お前がそう言うことくらいはお見通しだ。だからこそ、お前を選んだとも言える」

「お主・・・さっき儂の腕を買ってと言うたばかりじゃろう」

 呆れたような久秀の言葉に「俺の言葉を信じるとは、お前らしくもない」と返してきたクリスフトの態度に、思わず水晶玉を持つ右手に力が入る。自制心を総動員して地面へ叩き付けるのを阻止した水晶玉から、そんなこととは露知らずなクリスフトの言葉が続く。

「で、だ。お前にくれてやった資料を纏めたのは俺だ。だから、お前が欲しいものについて、一番知ってるのも俺ってことになる。違うか?」

「違わぬが・・・おい、待て。そうなると・・・」

 さっきとは違う感情で、久秀の右手に力が入る。

「ああ。そうだダンジョー、その男が治める領地に、お前の・・・・・・」


「ん!・・・・・・さん!・・・ジョーさん!ダンジョーさん!」

 その声と、ゆさゆさと自分を揺さぶる感触に、久秀の意識は追憶の帳から現世へと蘇ってくる。

「・・・う、みゅう?」

「ああ、起きた。・・・起きてますよね?」

「ああ、いや、うむ。寝て・・・おったか」

「はい。可愛い寝顔でした」

「喧しい。うう、うあ~あ、うむ」

 唸り声を上げながら大きく伸びをすると、強張った筋肉が解れていくのが分かる。

「ふう。してミルシ、時間は?」

「時間ですか?えっと、あれから半時間も経ってないかと思いますけど」

「にしては・・・良く寝たの」

 立ち上がってもう一度伸びをすると、ようやく眠っていた思考回路も動き始めたようで。見れば太陽もここに座る前と殆ど位置を変えておらず、ミルシの言うことが正しいのが分かる。

「お疲れでしたから。でも、もう大丈夫そうですね」

「・・・初めから、そう言っておろうが」

「そんな憎まれ口を叩けるのなら、小生としても一安心です」

 そう言うと、ミルシと顔を見合わせてクスリと笑う2人。生まれから何から全てが異なるはずなのに、まるで旧来からの親友のような間柄を見せるミルシと果心に、久秀は呆れたような目を向けた。

「仲良いの、お主ら」

「同行の士、と言う奴です。それとも、仲間外れが悔しいのですか?」

「馬鹿を申せ。して・・・」

 と、久秀が道の先に目を凝らすと、そこには厳重な構えを見せる関所と、その奥に聳え立つ石造りの城壁が見えた。

「先ずは、あそこかの?」

「ええ、そうです。ダンジョーさんが寝ちゃったので近くまで行ってみたんですけど、間違い無さそうでした」

「寝てはおらぬが・・・そうか」

 あそこが、と自然に久秀の思いが口を吐いて出る。

「ええ、松永殿。あそこに」

「あそこに、あの先に居る訳か。儂らと同じ・・・・・・日ノ本の者が」

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