第34話 西域凶徒
「これは酷い」
村、或いは村『だったもの』を見て、久秀は唸るように呟いた。
「・・・と、前にも言うた気がするの」
「気のせいじゃないですか?」
「それか、口癖かのう」
だが、彼女の口からそんな言葉が口を吐いて出るのも無理は無い。畦道や畑の区切り、家々の礎石などは残されているものの、逆に言えばそれ以外は何も残されてはいなかったのだ。
「ええ・・・」
ガックリとミルシが肩を落とすのも郁子なるかな。そこには畑も、家も、道も、垣根も。人がそこで生活しているという痕跡は全てゼロ、そこに広がっているのはただの開けたスペースだったのだから。
何故、こんなことになったのか。その説明の為、暫し時間が遡ることをご容赦頂きたい。
「危ない!」
ポロリ、と久秀の手から零れ落ちた水晶玉を間一髪、ミルシが地面に落着する前にキャッチした。
「おお、すまなんだの」
「気を付けて下さいよ、もう。それで・・・ええと、クリスフトさん、ですよね?」
「その声は・・・ミルシ嬢か」
「ええ。それで・・・今の話、教えてくれますよね?」
ふうむ、と水晶玉の向こうから、思案するような呻き声が漏れ聞こえてくる。クリスフトとしては、この場にミルシがいることは想定外だったのだろう。
もっとも、想定外を言うなら、久秀がこんなところに来ていること自体が想定外以外の何物でも無いだろうが。
「・・・良いだろう」
数分後、クリスフトは意を決したようにそう言葉を紡いだ。
「ありがとうございます。それで・・・その、『もう無い』と言うのは、何らかの比喩ですか?」
「いいや、残念だが違う。文字通り、地図上からも大地の上からも、綺麗さっぱりだ」
「そう・・・ですか」
拳を握り、唇を噛み締めて激情を堪えるミルシに代わって、久秀が口を開く。
「次に、儂からも良いかの?」
「許可する」
「扱いが違うのう・・・ま、良いか。で、じゃクリ坊。あの時、儂らがお主の差し向けた官憲にとっ捕まえられた後にお主と会うて、儂が報告した折に貴様は言うたの。『決して、悪いようにはせぬ』と」
「ああ」
「じゃのに、じゃ。それはいったいどういうことじゃ?弁明があるなら言うてみい」
言葉は丁寧だが、言葉の端々に伺える険の鋭さから、彼女の不機嫌さは隠しようが無い。
もっとも、それも当然のこと。久秀としてはそれなりに尽力し、上手く状況を収められたと思っていた。それなのに、いきなりその努力が無に帰したと言われればそうもなろう。
「まず、誤解の無いように言っておく。イズサン村の状況について、俺が策を弄してお前たちを裏切り、滅ぼした訳では無い」
「それは良い。儂も、お主がその程度の計算も出来ぬ低能とは思いはせぬ」
この地に来て出会った中で、久秀にとってクリスフトは最も付き合いの長い人間だ。流石にこんな、バレたら文字通り『全て』が終わるような嘘を吐くような人品で無いことくらいは知っている。
知っているからこそ、久秀は関係を断つ寸のところで踏み止まり、彼からの弁明、説明を待っているのだ。
「ありがとう。で、だ。ダンジョー、初めに俺が問題の鎮静化の為に取った対応について説明させてくれ」
「良かろう、言うてみよ」
ああ、と水晶玉の向こうで首肯して、クリスフトは語り出した。
彼の事件においてまず、大前提として解決すべき問題は領主の去就であった。いくら本心がどこにあろうと、領主は名目上においては王室の代官として派遣された人間であったのだ。それも、老境なら兎も角年若く健康で、何かあれば直ぐ治療を受けられる身分の。
「それが、いきなり任地で死んだ、と言われて納得する人間なぞ」
「まあ、おらぬな」
普通に考えれば、その領地の人間が殺したとなる。
「若しそうなったのなら、お主の言うイズサン村の現状は理解できるがの。じゃが・・・」
そうだとすると、過程はどうあれ久秀との約定破りとなる。慌てたように、クリスフトが久秀の思考に制止をかける。
「早まるな、ダンジョー。俺がそんな安い人間と思うか?」
「思わぬ。し、それでは合点がいかぬ」
久秀は怒るより、訝しんでいた。
約定破り以外にも、そうだと仮定するならばスツアーロたちが無事なのが説明つかないのだ。
「話がややこしいのは間違い無いからな。結果を順に話していくから、黙って聞いていてくれ」
領主が死んだのは間違い無い。しかし、それを安易に『殺された』と断定することが具合が悪い連中がいた。王都に住まう貴族連中である。
若し、その領主が殺された、と仮定した場合、確かに下手人は村の連中かもしれない。しかし、それを使嗾した人間、言い方を変えればそのことで利益を得た黒幕がいるのではないか、と考えるのは人の常である。特に、権謀術数渦巻く貴族社会などでは。
「その場合、その領主が付け届けを行って後ろ盾となってもらっていたのが、権臣にして最有力権勢者、ローレンス卿の派閥だから・・・」
「畢竟、それを害したのはその対抗派閥となるの」
「嘴を挟むなと言ったろうに。・・・まあ、その通りだがな」
少々不機嫌そうに同意して、クリスフトは説明を続けた。
つまり、この事件を少し目の良い人間が見るとこうなる。即ち『ローレンス卿の派閥を蹴落とそうと企む別派閥の人間が、その手の者である領主を、村民を使嗾して始末させた』という青写真だ。
そして反対に、ローレンス卿の派閥としても今回の事件を大ごとにしたくない理由があった。それは単純明快、『領主が殺された』こと自体に対する風聞の悪さだ。誰しも、自分が送り込んだ人間が能無しの出来損ないだったなどとは思いたくはないし、思って欲しくもないものだ。
「・・・そういった、互いの痛いところを突きながら、俺は話を持ちかけた。『あの一件は単なる事故、館の焼亡に巻き込まれた、不運な出来事だったことにしよう』とな」
つまり、領主は勝手に死んだだけで、黒幕どころか下手人もいない。ローレンス派閥としても、苛政に逆襲されたとか敵対派閥の罠に引っかかったとかよりは、間抜けにも事故で死んだとする方が外聞が良いという判断だ。
「成程の」
確かに、と久秀は頷いた。
あの館の燃え具合では遺骸など影も形も残るまいし、仮に発見できたとしても、それが誰の遺骸かを判別するのはほぼ不可能だろう。尚、久秀は知る由も無いが、本能寺の変においても同じ論拠で遺骸が発見されなかったとされている。勿論、生き延びたとか僧が持ち出したとかいう説もあるが。
「じゃがの、クリ坊。それでは尚分からんぞ?」
「そうか?」
「そうじゃ。どこの頭も納得した結果がすんなり通れば、お主の言うようなことには成っておるまい」
だから、そこに介入した第3勢力が居たに違いない。そう久秀が告げると、クリスフトは「んん」とワザとらしい咳払いをした。すると、水晶玉の向こうからは、何かがゴタゴタと動くようなざわめきが響く。
それに久秀とミルシが「おや?」と顔を見合わせた、数秒後。
「待たせたな」
と、先ほどと変わらぬクリスフトの声が届いた。
「待ってはおらぬがの。で、さっきのは何じゃ?」
「一応、再度の人払いをな。こっちはこっちで大変なんだよ、これでも」
「よもやお主・・・どこぞに囚われておるのではなかろうな?」
「そうなら、そもそもこんな通信は出来ないだろ?・・・なんだ、心配してくれてるのか?」
「ぬかせ。で?」
「分かってる。それで、だ。当然、各派閥の長からは当案件に対しては厳重な箝口令が敷かれた。が、お前も知ってるだろうが、領主が雇っていた衛士の内幾人かは事件が起きて直ぐに逃亡していたな」
「じゃったの。ん?・・・ほほう、つまり」
「そいつらから、漏れた。館を襲った異形の怪物についてな」
「あの、でいもんとやらかの?」
「そうだ。そして、そういった異形の怪物を狩ることに血道を捧げる連中がいる。知ってるか?」
「いいや」
念の為、ミルシに目配せるも彼女も「いいえ」と首を横に振った。それを受けて、クリスフトは「参ったな」と言わんばかりに嘆息を吐く。
「お前ら・・・世間知らずにも程度があるぞ?」
「残念じゃったの。で、その連中は何奴ぞ」
「それは・・・」
ゴクン、とクリスフトが息を呑む。まるで、言わなくて済むなら言いたくないと言わんばかりに。
しかし、暫しの沈黙ののちに、意を決したようにクリスフトは口を開く。
「・・・それは、その連中の名は、西方騎士団。聖樹教騎士団の中でも、一等過激な連中だよ」
「聖樹教?」
「初耳か?」
いや、と久秀は首を振る。
「一度、相手をしたことがあったの。確か・・・」
「あれは、小生たちがこの地に来て直ぐの頃でしたよ。クリスフト卿、それは4本の棒を交差させたような、珍妙な旗印を掲げている集団ですよね?」
「珍妙、は余計だがな」
二度と言うなよ、と釘を刺すクリスフトに対し、久秀は何でもないような顔で爆弾を落とす。
「ああ、言わぬ。一度言うたら酷い目に遭ったからの」
「・・・言ったのか?」
「うむ。なんぞ、伴天連のようなことを言うてきよったからの。儂らは御仏の慈悲に縋る者じゃから、斯様に珍妙な代物に縋る気はない、と言ってやったのじゃ」
「・・・それで?」
「異教徒め!と叫んで襲ってきおった。無論、返り討ちにしてやったがの」
「そうか」
気のせいだろうか、そのクリスフトの言葉からは呆れたようなニュアンスが漂っていた。
「まあ、良い。それより、知っているなら話は早い・・・が、ミルシ嬢は知らんだろうから、一応説明しておこうか」
聖樹教。それは太古よりこの地に伝わる大樹神と、それに従う3女神を崇拝する宗教のことである。大樹神は世界を支え、その恵みを女神レナーラが豊穣に、女神ロスーラが健康、そして女神リオールが戦運にとそれぞれに変えて与えてくれる、という教義であり、4本の交差する線は大樹神に重なる3女神を示しているのだ。
「言っておくが、聖樹教自体はこの地の伝統的な教えだ。事実、俺も信徒の1人だしな」
「にしては・・・何故ミルシ、お主は知らぬのじゃ?」
「え・・・と、私たちはその、豊穣と採集を司るっていう女神レナーラ様のことはよく聞いてましたけど、それ以外のは、その」
「あまりよく知らぬ、と」
そうです、と気まずそうにミルシはコクンと頷いた。
「そう、気に病むことはない。殆どの民草は、自分たちに関係する女神のことしか崇拝しないからな。お前たち狩人や農民はレナーラ、軍人連中はリオール、医者や老人ならロスーラといった具合にな」
その辺り、取り敢えずそれに縁があるとする仏像や社にお参りをする、日本人的なメンタリティに近しいものがあるかもしれない。
「だが、その聖樹教騎士団。特に、先に言った西方騎士団と東方騎士団は別だ。教義を端から端まで頭に叩き込み、異教徒を殲滅することを使命と考えている・・・とても、熱心な人たちだ」
最後の誤魔化したような表現は当て擦りのようにも感じられ、クリスフトが彼らをよく思っていないことを如実に表していた。
「東方騎士団はヴォースサヴに拠を構え、東方からの流入に備えているだけの分、まだマシだが・・・問題はさっきから言ってる西方騎士団だ」
クリスフト曰く、その西方騎士団はペレネと言う都市に根拠地を構えつつ、『異教徒、邪宗の殲滅』をお題目に王国各地の教会に押しかけて拠点とし、王国の警邏権を侵害しているのだとか。その活動の中で地元住民ともトラブルが発生することも多く、王国の悩みの種の1つらしい。
その説明に、久秀に刻まれた眉間の皺が増々と深くなる。彼女も宗教勢力には悩まされたクチだから、その反応も当然だろう。
「厄介者じゃの」
「直截に言うな。まあ、こっちの手に負えない化物を勝手に狩ってくれるだけなら、文句は無いんだが・・・」
「そうなら、この前のぐうる騒動なんぞは儂らが出ずとも、そ奴らがこなしたであろうな」
「残念なことに、『ローレンス卿は聖なる教えに背いておられるから、そのような目に遭うのです』だと」
やれやれ、と水晶玉の向こうで肩を竦めるクリスフトの様子が容易に想像できる言い草だ。
「奴らにとって、魔術の存在は女神ロスーラのお力の一環らしくてな。その魔術に依るグールの召喚もまた女神のお導きだから手は出さんらしい」
「お題目を振りかざす割に、自分たちの好き勝手で討伐するしないを選り好みされては・・・確かに、堪ったものではないのう」
「まったくだ。だが・・・こと、デーモンとなると話は別だ」
「別?」
「ああ。あの時に言ったかもしれんが、デーモンはこの地でも冥府の主が使役する悪鬼と言われていてな。そして、その冥府とは大樹神の管理する魂の地『ハディスガルテ』から亡くなった魂を奪う地、とされているんだ」
つまり、とクリスフトは水で喉を潤すと、
「冥府の使者は、奴ら騎士団にとっちゃ仇敵も仇敵。滅ぼさずにはいられないって訳だ」
「成程、ようやく話が繋がったの」
つまり、その西方騎士団とやらが逃げ出した衛士から「デーモンが出た」と聞いて意気揚々と滅ぼしにやって来たと。
「つまり・・・イズサン村は一向門徒に収奪されたようなもの、と?」
「そのイッコーモント、と言うのが何かは分からんが・・・ま、お前の言うことだ。大きくは違わんのだろうさ」
最早、理解を諦めたような口ぶりでクリスフトは嘯いた。
「それにな、ダンジョー。こちらへの報告では、その西方騎士団の連中は今もあの地に駐屯しているらしい。こちらの問いかけに対しては、デーモン討伐の為と言ってはいるが・・・」
「実際は、実りの良いあの地を押さえて拠点とするため、と?」
「そこまでは、俺からは言えん。だが、教会を建造しようとしているらしいから、その可能性は大いにあるだろう」
恐らくはクリスフトも、凡そクロと掴んではいるのだろう。掴んで尚、問題提起を行えないという事実が、嘆かわしいことに王国の体力の無さを如実に表していた。
「難しい話はさて置くとして。要するに、じゃ・・・クリ坊、イズサン村に行っても村は無いし、村民の奴ばらも所在知らず、と?」
「そう言うことだ。・・・だから、せめてミルシ嬢には伝わらんようにと考えて、こうしてお前だけに通じる連絡方法を試みたんだが・・・無駄な気遣いに終わったな」
「い、いえ・・・ありがとうございます」
ペコリ、とミルシは相手に見えないにもかかわらず、頭を下げた。いつもなら途中で寝入ってしまうところだが、流石に自分の生まれ故郷の話については寝ずに付いてこれたようだ。
「しかしのう・・・その話を聞くに、そ奴ら。何某かと繋がっておるような気がしてならぬ。ちくと、探ってみるかの?」
「老婆心から言っておく。奴らには手を出すな」
ピシャリ、と久秀にクリスフトから、叩き落とすような断言が見舞われる。
「それに、お前の好奇心で俺たちに不利益が舞い込んでも困る。いいか、絶対に手を出すなよ、絶対だ」
「やれ、ということかの?」
「本気で言ってるのなら、今すぐ捕吏を向かわせるぞ」
それは困る、と久秀はおどけたようなジェスチャーを浮かべると、
「安心せい、冗談じゃ、冗談」
そう、どこまで本気か分からないような声音で嘯いた。
「・・・まあ、そうだな。そもそも興味本位だけでわざわざイズサン村跡まで出かけるほどダンジョー、お前も物好きじゃあ無いだろうからな。信じてやろう」
既に久秀たちがそのイズサン村跡の付近まで来ているとは露知らず、クリスフトはそう言って自分を納得させた。尚、久秀は興味がそそられるものがあれば、そこまで何百里だろうと辿り着こうとする性状だから、彼の納得は最初から最後まで勘違いである。
「で、クリスフト卿。話はそれだけですか?」
「ああ。邪魔したか?」
「とんでもない。貴重なお話し、有り難く傾聴させて頂きましたこと、感謝いたします」
スラスラと、心にも無いことをよくも言えるものだ。そう、傍で聞きつつ久秀は心の中で呟いた。
「・・・それくらい、アイツも可愛げがあれば良いんだがな。ま、俺から伝えたかったことは以上だ。じゃあな」
そう言って、クリスフトは最後に言いたいだけ言うと久秀が「さよなら」と言う暇も無しに、水晶玉は沈黙した。そして、それと同時に入り口の辺りからひょっこりとスツアーロが顔を出した。
「お話しは終わったようですね、ダンジョーさん」
「まあの。して、お主は聞いておったか?」
「聞かなかった・・・ことにしておきますよ。そんな物騒な話」
そう嘯いて、スツアーロは大袈裟に肩を竦める。成程、その機微の良さは小所帯とは言え、リーダーを務めるだけのことはある。
「で、スツ」
「何だ?」
「どうして、アンタがこんな所でリーダーやってるのよ?」
「言ってなかったか?」
「聞いて無いわよ、私は!」
まったくもう、と頬を膨らますミルシを愛おしそうに眺めながら、暫くスツアーロは「どう説明したもんかな」と腕を組んで思案していたが、やがて。
「そうだ!」
思いついた、を大きく柏手を打つことで表現した彼は、そのまま久秀に向き直ると、2人と1匹へ告げた。
「ミルシ、それとダンジョーさんにカシンさんも」
「何じゃ?」
「何よ?」
「何でしょう?」
三者三様なりに疑問符を浮かべつつリアクションしてくれたことに、スツアーロは満足そうに頷いた。その辺り、やはりミルシと同年代の青少年である。
「今のミルシの質問への答えなんですけど、河岸を変えませんか?その方が話しやすいですし、そちらも分かり易いかと」
「それは良いが・・・それは、若しや?」
スツアーロはニコリと笑い、再び柏手を打つ。
「ええ。かつてのイズサン村です」
そうして、冒頭の描写と相成ったのである。
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