第25話 愚欲隠真

「お主は何を望むのじゃ、彦六」

 ある晴れた日の昼下がり、港を見下ろす小高い丘にピュウと吹く風も心地よい中、傍に控えていた息子はその問いに胸を張って答えた。

「私は、戦の無い天下を見たいのです」

「無理じゃな」

 ですかね、と彦六は照れくさそうに頬を掻くが、その眼に落胆の色は無い。

「でしょうか?少なくともこの眼下に広がる堺や摂津河内は父上の御威光もあり、平穏そのものではないですか」

「儂ではない。全ては京におられる長慶公のお力よ」

 儂なんぞは、と被りを振るのを敢えて無視するように、彦六は言葉を続ける。

「でしたら父上、その御威光で天下(※五機内を指す)、果ては津々浦々までを治められれば・・・」

「そう、簡単にはいかぬのじゃ。この日ノ本は応仁の御世より、寝ても覚めても殺し合いの世の中じゃし・・・第一、天下どころか京近辺ですら怪しいのが現状じゃ」

「つまり、簡単に終わらせられるならもう終わっている、と」

「そういうことじゃ。あの気位だけは高い近江大樹が少しでも折れてくれれば何とかなろうが、その糸口すら掴めんのじゃぞ」

「・・・父上がそれを仰りますか」

 何故だろう、彦六は引き攣ったような笑みを浮かべてそう呟いた。

「何じゃと?」

「いえ。しかし・・・だからと言って、なにもそう手心なくバッサリと言わなくても良いではありませんか」

「現実は厳しい。そう言っておくのも親の務めなのじゃよ、彦六」

 しかし息子はその言葉に怖じること無く、忌憚のない笑みを浮かべ口を開く。

「しかしですよ父上。御屋形様も父上も、それを目指してはおられるのでしょう?」

 それを言われては何にもならぬ。

 憮然と頷いた儂に、「それにですよ」と愛息はその大きな眼でこちらを覗きこむと、

「それに・・・天下万民の為に力を尽くし、天下泰平を果たせるように尽力するのが武家の誉れでは無いですか!」

 そう、笑顔で言い切る眼の何と輝かしいことか。世俗に塗れた我が身には、何と羨ましいことか。


「・・・くああ、うむ」

 よく寝たとばかりに、久秀は大きく伸びをして目ヤニを払った。

(しかし、何とも懐かしい夢を見たものじゃ)

 一粒種の大事な息子と青空の下で語り合った夢。心からお仕え出来る主君に、お支えしたいと思えるその跡取り、理想を目標と語ることのできる息子。

(儂にとっては・・・あの頃が最も良き時であったな)。

 あの頃はあの息子がまさかやらかすことも、四分五裂の末に主君の血筋が滅びることも、勿論自分がこのような状況にあることも予期すら出来なかった。

「おや?起きましたね」

「ダンジョーさん、遅いです」

 どこか張り詰めた顔のミルシにふと空を見ると、そこには満天の星空が彼女たちを見下ろしていた。

「夜、か」

「ええ。貴女が待ち望んだ、星の綺麗な夜です」

「なんじゃ、子供は寝る時間ではないか?」

「はは、なら良いしょう?悪い大人なんですから」

 そんな茶々を入れる果心をひょいとつまんで端へ除けると、ミルシは真剣な眼差しで久秀の襟首をつかみ上げた。

「む?」

「おふざけは無し。行きましょう」

 その剣幕に、流石の久秀も思わず息を呑んだ。が、その程度で怖気づくほど久秀も耄碌してはいない。

「分かった分かった、降参じゃ」

 二ヘラと笑いそう嘯いて、パシリと自身を掴む手を叩き解かせた久秀はしかし、屋敷へ向かうことなくそのまま座り込んだ。それを見て「ちょっと!」と再び手を伸ばすミルシを、今度は鋭い眼光で押し留める。

「じゃが、その前に・・・果心、状況は?」

「はい。見ての通り、あの屋敷は塀に囲まれていますが、出入口は正面の門のみでした」

 感じたことのない威圧にへたり込むミルシを他所に、2人は評定を進める。

「ふむ、意外じゃの?逃げる為の裏門くらいはあると思うたが・・・」

「まあ、あそこは城ではなく、飽く迄領主の住まう屋敷ですから。逃げることまでは考えていないのかもしれませんよ?」

「・・・かのう」

 珍しく歯切れの悪い久秀に、果心も心配そうに愁眉を結ぶ。

「で、でも・・・ダンジョーさん」

「む、何じゃ?」

 抜けた尻のままにじり寄るミルシに、初めは興味なさげに見遣っただけの久秀であったが、

「入口が1つっていうのは、その・・・守る分にはその方が守り易いんじゃないんですか?」

 問うてきた内容がそれなりに的を射ていたため、少し見直したようにジロジロとミルシを見回した。

「・・・何です?」

「いや、お主・・・それなりに頭は働くようじゃの、と思うてな」

「どういうことです?」

 訝しそうに眉を曇らすミルシを果心が「まあまあ」と宥めつつ、「しかしですよ」と言葉を続けた。

「先も言いましたがミルシ嬢、あの門には守るための櫓や狭間といった備えはありません。守るため、とするならそれは不自然では?」

「えーと、なら・・・入る人をしっかりと管理したいから、とか?ほら、裏門とかがあって、そこから出入りされたら分からないじゃないですか・・・なーんて?」

 全く自信なさげに、無理やりに理屈をこねくり出した心算のミルシだったが、それを受けた久秀はクワと大きく目を見開くと、

「そうか!」

 とポンと手を打ち合わせた。

「で、あれば・・・果心」

「ええ。なら、あの塀に隙間の無いことも理解できます。即ち・・・」

「うむ。外を伺えなくした手抜かりで無く、外から伺えないようにした小細工とすれば・・・あそこでは」

「でしょうね。きっと、弾正殿からすれば面白く無いことが行われていることでしょう」

「で、無いことを祈るがの。じゃが・・・」

「ちょ、ちょっと!ストップ、ストーップ!」

 自分を置いてけぼりにして進められていく議論に、耐えきれずにミルシがストップをかける。

「勝手に納得して、勝手に結論を進めないで下さいよ!」

「おおっと、すまんかったの」

 まったくもう、と頬を膨らませるミルシだったが、次に久秀がとった行動に彼女はそのふくんだ空気を全て吐き出した。

「そして、すまんかった」

 そう、久秀が彼女に対し、深々と頭を下げたのである。面喰ったのも無理は無い。

「え!?ちょ、ちょっと!・・・え?」

 ワタワタと泡を喰ったようなミルシとは対照的に、頭を上げてミルシに見せた久秀の表情は、少なくとも過去数年は見せたことのない後悔と懺悔に満ちたものだった。

「儂は領主をただの能無しの強欲と思うて夜襲の策をとったが・・・間違っておったやもしれぬ」

「え?」

「確かに、ただ人を攫うだけなら不合理が過ぎるとは感じておったが・・・いや、最早言い訳はすまい。無理攻めでもすべきであったかもしれぬ。本当に申し訳・・・」

「そこまでに、弾正殿。悔やむのは後からでも出来ます」

 そう久秀に諫言を行う果心の声音も、いつもの軽い調子のものでは無く真剣そのものだ。

「じゃの。では果心、川越えに使う術は任せたぞ」

「はい、お任せ下さい。それと、卿への連絡は・・・」

「最早間に合わん。事後報告とするしかないの」

「やれやれ、彼の人が頭を抱えるのが目に浮かびますよ」

 仕方なかろう、と久秀はいつもの調子に戻った相貌で肩を竦めて見せる。

「その代わり、これ以上の惨禍は避けられよう。・・・もっとも、儂らの予想が当たっておれば、じゃがの」

「ほう?では弾正殿は杞憂の可能性をまだ捨ててはおられない、と?」

「当たり前じゃ。如何な状況でも、『斯様であって欲しい』という希望を持たねば人は動けぬものじゃぞ?」

「これは失敬。小生、鼠なもので」

「ほっほ。こ奴め。・・・・・・ミルシ」

「は、はい!」

 急に呼ばれたミルシは、ビクンと体を震わせて背筋を伸ばす。

「これは飽く迄儂の予想じゃが、あの中では何が行われておるか分からぬ。それでも行くかの?」

「何がなんだか分かりませんけど・・・爺様を助けに、ですよね?」

 その問いに、久秀は無言で頷く。

 あの中で行われていること自体の予測は立たないが、少なくとも周りの眼を伺うような環境で行われていることが真っ当な訳が無い。それが彼女の知音である村人にお見舞いさせている、その様子を目撃させるのは好ましくない。

 そう、久秀は考えて再度確認したのだが。

「じゃあ、行きます!」

「・・・かの」

「はい。決まってるじゃないですか!」

 しかし、当の本人はそんな老婆心を分かっているのかいないのか。ミルシはそう宣言して、バンと胸鎧を拳で叩いた。

「分かった。では、これ以上は申さぬ」

 ミルシの決断にこちらも覚悟を決めた久秀は、軽く息を吐いてパシパシと頬を軽く叩き、思考を覚醒させた。

 状況がどうあれ、彼女が決断したのなら、それを尊重しないのは武門における横紙破りである。ならば、かける言葉は1つしかない。

「では・・・行くかの」


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