第24話 急々憂々
ミルシは激怒していた。
攫われるという状況に、攫った領主とやらに。そして何より、自身の迂闊さに。
(離れるべきじゃ無かった・・・絶対に、離れるべきじゃ無かったのに!)
何かが起こっているのは間違いない。そんな時に村長の命とは言え、うかうかと村を離れていた自分の間抜けさ加減が、どうしようもなく呪わしかった。
無論、自分がいたからどうなったのか、どうかできたのか、そんなことは分からない。自信満々に何とか出来たと断言出来るほど、ミルシの自意識は過剰では無い。
しかし、それでも。
(何も・・・何も出来なかった今より、ずっと!)
何かが出来たかもしれない、誰かを助けられたかもしれない。そんな思いが、そんな後悔がミルシの体を突き動かす。
そんな濁流のような激情の中でも、狩人として積み重ねてきた経験はミルシの体を誤らせることは無い。足も絡まず、息も乱れず、地面から突き出す石に蹴躓くことも無く。真っ白に染まる思考の中、流れゆく景色のままに駆け抜けた。
そうして、どれだけ無意識のうちに走り続けただろうか。
「はあ・・・はあ・・・はあ。あれが、あの領主の館ね」
気付けば、日は暮れる間際の橙色に変わり、草原をその色に染め上げていた。そしてその草原の奥、川を挟んだ向こうに見える一面を壁に囲まれた建物が領主の館だ。
「はあ。すう・・・・・・良し」
大きく息を吸い、頬をパンと叩いて気合を入れ直したミルシは、冷静になった心で領主の館を睥睨する。
館までの間に目立った歩哨はいないようだが、その門は固く閉じられ、その脇には門番だろうか、2人の男が仁王立ちしていた。もっとも、槍を肩に担いで隣の同僚とお喋りをしているその姿から、どうやらそれほどやる気は無いように見受けられるが。
「2人くらい、なら」
そう言って、ミルシははすがけに担いできた弓を手に取った。愛用の弓ではない、狩猟に使う普通の弓だが生真面目なスツアーロのことだ、手入れは怠ってはおるまい。試しに軽く弦を弾いてみれば、ピンピンと心地よい音が響く。張りの具合も問題無い。
「風も・・・大丈夫そうね」
自分の前で揺れる前髪から判断するに、風のほどは微風レベル。草原から門番を射るのなら考慮せずともよい程度だ。
「なら、後は・・・」
「突っ込むだけ、と?」
「ええ。何としてでも・・・って!?」
その声に気付いた瞬間、刹那にミルシの神経は切り替わった。
その場から瞬時に跳び退くと共に矢筒に伸ばしかけた手の行き先を胸元の小刀へと変え、着地と同時に声のした方へと油断なく構える。愛用の弓ならこんなことをしなくても、先についている小刀で切り飛ばせたのにと今更ながらに臍を噛む。
「誰なの!」
「落ち着かぬか、馬鹿者。若しも儂が敵じゃったならば、そもそも声なぞかけんわ」
修行が足りんぞ、と言う緊張感の無い声に、ようやく落ち着きを取り戻したミルシは記憶の中からその声の主を思い出し誰何する。
「まさか、ダンジョーさん、ですか!?」
「うむ。遅かったの」
そこには、呑気な顔をした松永久秀が、ゴロンと草の上に横になっていた。
「ダンジョーさん、どうしてここに?」
それに答える前に、久秀は「しい」と人差し指を口の前に立てる。
「屈んで声を潜めい。距離があるとは言っても、お主の声はよく通るでの」
ハッと口に手をあてたミルシは少し声のトーンを抑えると、
「で、どうやってここに?」
と、寝転がる久秀の横に膝立ちに座った。
「ふむ、どうやって・・・悪いが、つけさせて貰った」
「え?でも、そんな気配は・・・」
「直接でのうて、遠見の術で、じゃからな。気付かずとも不思議は無い」
うつ伏せになり、何やら地面を台にして書き物をする久秀は事も無げに語った。淡々と紡いだ心算らしい言葉ではあったが、その端々にどこか自慢げな調子が伺える。
「お言葉ですが、術に関しては松永殿では無く、小生の手柄です。勘違いなさらぬよう」
しかし、どこからか聞こえた訂正の声に、久秀は一転して不機嫌そうにぶすりと表情を曇らせと「煩いのう」と小さく零した。
「・・・まあ、今回は領主の館の位置が分からねば先回り出来なんだからの。こ奴も良う働いた、と言ってはおこうかの」
「おや?では、弾正殿は何を?」
再びお見舞いされる正論に一層表情を曇らせた久秀に、ミルシはおずおずと問いかける。
「すみません、ダンジョーさん。それは、ええと・・・つまり?」
その様子に少し機嫌を取り戻した久秀は、
「つまりの、お主はあの森を迂回する道を辿ってここまで来たのじゃろう?」
そう、久秀が遠くに見える鬱蒼とした木々の群れを指さす。それを見たミルシが「はい」と小さく頷いたのを確認し、久秀も満足そうに頷き返した。
体のせいもあろうが、機嫌を取るだけなら割合に簡単な男である。
「お主が迂回した森を一直線に突っ切れば、こうして先回りすることも容易。そういうことじゃ」
「でも、どうやって?森には森番がいたんじゃ?」
「森番?そんな奴おったかのう?」
「弾正殿、恐らくですが。小生たちが森へ入ろうとした時に、何やら言って止めてきた男性がいたでしょう、あの人のことかと」
「ああ・・・あの男か。あ奴には眠って貰った。永遠にの」
ポンと合点がいったと手を打ち、そう変わらぬ調子で語る久秀だったが、それ故にミルシは彼女へ言いようのない空恐ろしさを感じた。しかし、呆気に取られる彼女を余所に、
「ふむ、良し」
と、久秀は書き終ったらしい書状を何故かくしゃくしゃと丸めると、何故かそれを大空高く放り投げた。その紙は風に乗り、たちまち遠くへと飛ばされて行く。
しばらくその飛んで行った紙を眺めていたミルシだったが、
「って、こんな話をしている場合じゃ!」
今はそれどころでは無いと色をなして立ち上がろうとした。しかし、
「まあ、待て」
と久秀が持ち上げた足首を思い切り引っ張ったので、バランスを崩し「ぷん」と顔から倒れ盛大に地面にキスをした。
「な、何を?」
「じゃから、待て、と言うておる。見よ」
むくりと起き上がり久秀が指さす先には、真っ赤に輝く太陽がもう少しで地平線に沈もうとしていた。夕焼けが草原を照らし出し、一面を真っ赤に染め上げている。
「ふむ・・・沈む夕日は、どの御世でも美しいものじゃな」
「そ、そんなこと言ってる・・・」
「場合じゃよ。あの傾きから察するに、あと幾ばくもせん内に日は沈みきるじゃろう。さすれば夜の帳の中、忍び込むのも自由自在となろう。それまで待つのじゃ」
「でも、それじゃ!」
間に合わないかもしれない。そのミルシの血気を敢えて無視するように、久秀は冷徹ともとられかねない『理屈』を語る。まるで、それが彼女の役割りだと言わんばかりに、冷静に。
「しかし、そう言うがの。今攻め込むとすれば、川を渡ろうとするのが敵に丸見えじゃ。仕寄せる前に見つかってしまっては、どうしようもならぬぞ?」
「う・・・で、でも!」
「それとも何かの?無暗に敵の耳目を騒がせて、囚われた者共を危険に晒すのがお主の望みかの?」
「そ、それは・・・」
言葉に詰まるミルシを尻目に、話は終わったとばかりに久秀は再び草原へと寝転がった。
「でも、何か方法が・・・って、え?ちょ、ちょっとダンジョーさん?」
「ん?夜襲と決まったからには、儂は今からひと眠りするでの。良いか、努々起こすでないぞ」
それだけ言うと、久秀は「むにゃ」と一言唸ってスウスウと寝息を立てだした。
「ええ・・・」
その、あの冷徹な語り口を持つとは思えないほどのあどけない寝顔。それに毒気を抜かれたミルシは立ち上がることも忘れて暫し呆然と眺めていた。
そうしている内に、彼女の内にある苛立ちが解消されていきそうだったが、
「・・・いや、こんな人より!」
付き合ってはおれぬとばかりに、久秀を立ち上がる。
「まあまあ、ミルシ嬢」
そんな彼女の前に、今度は喋る鼠、果心が姿を現した。
「えっと、その声はカシンさん・・・でしたっけ?」
「はい。そしてミルシ嬢、気が急くのは分かりますが、急く前によく見ることです」
「よく見る?」
「ええ。あの領主の館、その門や塀の形、どう思います?」
「どうって・・・大きくて、頑丈そうに見えますけど」
その領主の館は規模こそ大きくは無いものの、恨まれることが予想の内だったのか、周りに水堀を切るなどちょっとした要害に似た造りとなっていた。中でも石造りの塀と大きな門は、意地でも侵入者を入れさせないという意思を感じる。
しかし、果心はそんなものはまやかしと言わんばかりの声音で、「ええ。しかし、大きいだけです」と言い切った。
「・・・だけ?」
「はい。ミルシ嬢の仰る通り、あの陣屋は見てくれだけは立派です。しかし・・・あの塀を見て下さい。どう思います?」
「えっと・・・さっきも言いましたけど、頑丈そうで、とても破れ無さそうだなあ、としか」
その答えに、果心は「確かに」と揶揄うように言った。
「頑丈は、頑丈でしょう。しかし、あの塀には中から外を伺ったり中から攻撃したりするような隙間は無く、門の上も含めて見張り台の様なものも見えません。つまり、あれはただ屋敷をぐるっと壁で囲んだだけです」
「そう、言われれば・・・でも、それが?」
「中からは外が伺えない。つまり、仮にですよ。仮に、外にいる見張りに変事が起きたとして・・・それを中にいる連中は、どうやって察知するのでしょうね?」
「あっ!」
「加えて、あの館の周囲には明かりを灯すような台がありません。つまり、夜間の明かりは番兵が持つ松明頼りになるでしょう」
ハッと、目から鱗が取れたような表情で、ミルシはスヤスヤと寝る久秀を見遣る。
「だから夜を待つって。・・・でも、なら初めからそう言ってくれれば」
「孔子曰く『憤せすんば、啓せず』、まずは自分で考えることが重要なのです」
コーシと言うのが誰なのかはミルシには分からないが、言わんとすることはライの爺様から聞いてきたことと同じだと理解した。理解はしたが、
「でも、こうしている間に爺様たちは」
心が急くのか、ミルシの足は落ち着きなくそわそわと揺れていた。
「大丈夫でしょう。端から簡単に殺してしまう心算なら、そもそも初めから手間をかけて攫うなんてしませんよ。生かしておくことに価値があるから攫う訳ですし。まあ、そう言っても・・・」
ピョンピョンと、揺れるミルシの足を器用に踏み台にして、果心は彼女の肩へと飛び移った。
「落ち着けはしないでしょう。念のため、館の周囲を探っておきたいのですが・・・お手伝い頂いても?」
「は、はい、分かりました!」
理屈は分かれどものんびりと待つなど出来そうも無かったミルシは、これ幸いと一も二も無く果心の提案に飛びついた。
「えっと・・・どこまで行けば?」
「そうですね・・・取り敢えず、このまま草原に身を隠したまま進める所まで。あとは、歩哨の動きや監視によって臨機応変に。飽く迄斥候ですから、見つからないことを第一としましょう」
「分かりました」
指令にコクリと頷くと、ミルシはそっと身を屈めたままの姿勢で腰を上げた。
腰の高さほどの草原に身を潜めつつにじり寄る彼女の目に、日暮れ前の領主の館はどこかおどろおどろしく感じられた。
「・・・爺様、みんな、どうか無事で」
(さて・・・あとは、領主がどういう人間か、それだけですね)
果心は、そう胸中で囁いた。
果心は少なくとも嘘は言ってはいない。だが、敢えて告げなかった事柄があるのもまた事実だ。
(人質なんてものは、全員生かしておく必要はありませんから。そもそも、多すぎる人質はむしろ厄介。であれば・・・)
そもそも最初に税を納めに行った者が囚われてから、今日他の者を攫うまで時間がかかり過ぎだ。初めから今回のように大勢の村人を攫う心算なら、このミルシような手を村人が打つ前に、つまりは1人目を捕らえた段階で動くべきだろう。
(そうしない、と言うことは・・・少しずつ捕らえていくことに、その領主とやらの目的があるのではないか。そう、松永殿は仰っていましたが・・・)
勿論、久秀の予想はただの気のせいで、その領主が考え無しの大馬鹿野郎という可能性も現状は捨てきれない。が、かつて大和一国を支配し、永年政権に関わり続けてきた老練な政治家でもある久秀の勘働きがそう嗅ぎつけているのだ。希望的観測で『世迷言』と切り捨てるのは厳に慎むべきだろう。
少なくとも、村人全員の生死となれば、その実はかなり怪しいと言わざるを得ない。以前の果心であれば、その懸念を針小棒大に伝えて狼狽するさまを楽しんだりしたものだが。
「・・・しかし」
「何か?」
「え?ああ、いえ何も。すみませんね、紛らわしくて」
適当に誤魔化しつつチラと横を見れば、努めて冷静さを保とうとする少女の強張った顔が伺える。その精一杯に対して今の果心は、不思議と揶揄う気にも邪魔をする気にもならなかった。
(私も、体に・・・いや、松永殿に引き摺られているということでしょうか)
その吐露に続いて零した、自嘲気味に笑ったつもりの声は、ただ草原に小さく「チュー」とだけ響いた。
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