第14話 為誇咆哮
「ぬう」
無理かもしれん、これ。
そんな弱音を吐き出す余裕すら、今の久秀には贅沢なものだ。
「そこだ、行け!」
「隙あり、じゃ」
指示を飛ばすボッリーシとかいう敵魔術師へ、これ見よがしに指弾の矛先を向ける。その仕草に右方から近づこうとしていたグールは主の危機に思わず足を止めた。
主を助けに回るべきか、それとも初めの命令通りに久秀を討ちに行くか。その一瞬の逡巡が、結果的にそのグールの命運を決めた。
「7!」
瞬時にその矛先をそ奴へと変えた久秀の放つ飛礫が、その顔面へとお見舞いされた。グシャリと腐った果実を踏みつぶしたかのような音が響き、鼻柱から脳天までを貫かれたグールはどうと仰向けに倒れる。更に密集陣形が仇となって、その後ろにいたグールたちもその転倒に巻き込まれて諸共ドミノ倒しとなった。
久秀としては嬉しい、されど予想内の出来事だ。
「貴様!」
「成程のう。単純な知能があるが故、主の危急を無視するような高度な戦術的判断は出来ぬと見える。よって、こんな児戯にも引っかかる、と」
「減らず口を!」
「それとも、お主の指揮ぶりが拙いからかのう?低能の間抜けを上手く使うのも、将帥の腕の見せ所じゃぞ?」
ついでに、口舌の刃で相手を切ることも忘れない。口戦には慣れていないボッリーシはその言葉を真正面から受け止め、恥辱と己が不徳で配下を失ったことへの怒りで相貌へサッと朱が走った。
「猪口才ヤツめ!」
「ほっほ。戦場でそれは褒め言葉じゃぞ?」
何とか口だけは達者を保ちつつ、ひょうと両サイドから繰り出される挟撃を何とか躱す。特に、右翼の文字通り『仲間の死を踏み越えて来た』グールの攻撃は鬼神さながらの鋭さと勢いだ。
「・・・じゃが」
それ故に、動きは直線的で読み易い。その不出来の授業料を飛礫で徴収したかった久秀であったが、ボッリーシの持つ錫杖から迸る閃光がそれを許してはくれない。
距離をとるためにピョンと後ろへ飛び退る久秀に、苛立ち混じりの面罵が飛んでくる。
「逃げるな、卑怯者!」
「儂が源平武者に見えるか、たわけ!」
そんな悪口雑言の応酬をしながらも、久秀は相対するボッリーシ及びグールの戦振りについては高めの評価を下していた。
(・・・戦の経験は無いようじゃが。戦闘勘は悪うは無いし、術を差し込む緩急の勘もそれなり以上じゃな)
加えて、配下としてのグールの動かし方も及第点で、己の失策を配下のせいにしない精神性も指揮官としての有望さを指し示している。仮に統帥の経験を十分に積んで『配下に死を命ずる』覚悟さえ十分なら、ややもすると3人がかりでも負けていたかもしれない。
対して、久秀の側はどうか。頼れる仲間は別行動中、体躯ではグールに劣り、内懐でカラカラと揺れる爆符の在庫も心許ない。
冷静に考えれば自分の命すら危うい状況。だのに、自然と久秀の顔には笑みが映る。
「何が可笑しい?」
その笑みを、彼は自分への侮蔑と見咎めたらしい。怒りを抑えたような震え声でそう誰何する。
「いやいや、何でも無いわい」
「ふざけるな、馬鹿にしおって!」。
ガンと苛立たし気に錫杖で地面を打つ。その剣幕に、その背後に控えていたグールが3体手に手に武器を構えてボッリーシを守るように久秀の間へと立ち塞がった。
「案ずるな、この程度で我は失わんさ」
「・・・グアウ・・・グ」
「案ずるな、と言ったであろう?」
その隙に、では無いが呼吸を整えた久秀は地面を蹴り右へと位置を変える。一か八かの突貫を図るのは彼女の趣味では無いし、長じられるほどの隙でも無かった。
「それに・・・そこ!」
チカリチカリと杖から放たれた光弾は、ホンの前に久秀が居た地面へと突き刺さる。先の挟撃といい間一髪の回避劇に流石の彼女もたらりと冷たいもので脇を濡らした。
だが、それで足を止めるほど久秀も戦の素人では無い。むしろ、なにくそという思いを滾らせて諦めかかった心を奮い立たせた。
「逃がすか!」
「ぬお!?」
されど、ほんの少し、足が鈍ったらしい。それか、敵であるボッリーシの腕が上回ったのどちらかだ。掠った光弾がチリリと肌を焼き、その刺激と続く至近弾を右足に受けた久秀は無様に地面へと倒れた。
「今だ!」
その号令と共に、グールたちが一斉に持つ槍を投げ放つ。いや、それだけなら久秀も驚きはしないし、数を減らした目の前のグールが放つ射ぬ槍なぞ何のことはない。
「な!?」
正直なところ久秀は評価をしつつ、それでもボッリーシを舐めていた。だから今彼女に訪れている窮地は、ひとえに彼女の楽観からの帰結だ。
射ぬ槍を号令と共に放ったのは、そいつらだけではなかった。川の対岸に集って見物をしてたグールたち全員が、だ。確かにそいつらも川を渡れぬだけで戦力としては些かも棄損されていない。それを『戦力外』と勝手に見なしていたのは久秀の不明であり、彼女の油断だ。
若しくは、それをこのタイミングまでとっておいた、ボッリーシの手腕か。
「っく!?」
だが、どちらにせよ対処はせざるを得ない。肩越しに自分へと降り注ぐ数多の槍とジンジンと痛む足では飛び退けぬと判断した久秀は、懐に残った符をあらかた掴み出す。
「むん!」
そして、その殆どを大盤振る舞いとばかりに槍が飛び来る軌跡の前に投げ、一斉に爆発させた。その爆風と勢いに彼女へ降り注ぐ槍は或いは砕け、或いは直撃コースから弾き飛ばされる。
「オマケじゃ!」
更に、少しタイミングをずらして残りの符をボッリーシのいた方や川向こうへ投じて爆発させる。衝撃と爆発音と共に久秀の周囲はもうもうとした土煙で包まれ、槍やその残骸がパラパラと彼女の周りへと降り注いだ。
「生きて、おる・・・やった、かの?」
兎も角も自らの五体満足と生を確認し、「ほう」と軽く胸を撫で下ろした久秀だった。が、
「うぐ!?」
降り注ぐ槍の雨とは逆、地を這うような軌道で放たれた数発の光弾がアッパーカットのような軌跡で久秀の腹へと突き刺さった。予期せぬ攻撃に久秀の小さな体躯はその衝撃を受け止める事すら出来ず、そのままの勢いで打ち上げられた。
「う、ぐ!」
飛びかけた意識を何とか押し留める事には成功した久秀だったが、受け身を取る余裕は残念ながら彼女へは与えられなかった。グルンと中空で半回転した久秀の小さな体は背中から地面へと叩きつけられ、その衝撃で肺腑から全ての息が咽頭を暴風のような勢いで飛び出す。
「・・・っかは、かはぁ!」
後頭部の位置に石の1つも無かったことが、辛うじて彼女へ与えられた幸運だ。
「う、ぐううぅ・・・」
焦点はチラチラとした光を結ぶばかりで、腹にしこたま食らったせいか、呼吸もそぞろ。しかし久秀を苛む腹と背中と右足の痛みが、武将としての経験が彼女に『戦場である』ことを忘れさせはしなかった。
「う・・・く・・・」
むんと痛む腹に力を入れ、何とか地面に手をつき起き上がろうとした、その時。
「ふん、無様だな」
悪口雑言と、ざりざりと土を踏む足音が、久秀の耳朶を打った。その足音はだんだんと大きくなる、つまりは近づいて来ており、そして、その足音は鈍重なモノでは無い。
とすれば、だ。
「う・・・む。ボッリーシ、とやら、か」
「その通りだ、小娘。いや、その皮を被った怪物め」
何とか機能を取り戻した両眼にぼんやりと映るのは残酷な現実。憮然と佇む魔術師の姿だ。
「さて」
そう切り出したボッリーシの心は、自分でも不思議なくらいに落ち着いていた。
「話をしよう、小娘」
「は、なしじゃと・・・お?」
「ああ。単刀直入に言おう、小娘。俺の側に付け」
その申し出に、一番に反応したのは彼の傍に控えていたグールたちだった。残り1体となった忠臣はグアウグアウと危険性を注進し、川の向こうの生き残りたちはてんでに騒ぎたてる。
対して目の前の小娘は痛みで歪む顔のままこちらを見つめていた。それ程の痛みにもかかわらず、先ほど自分が吹き飛ばした手槍の残骸を支えに何とか立ち上がろうとする、その殊勝な姿には驚嘆すら禁じ得ない。
「どうした?理解出来んか?」
「そう・・・じゃな。何故、そのような申し出を?」
「簡単な事だ」
そう言って彼はガンガンと杖で地面を叩く。
「俺は別に、この地が欲しくてこんなことをしている訳では無い。お前と同じだ小娘、全ては仕事」
「ふん、一緒にするでない」
「どうかな?俺は誰も傷つけてすらいない。お前と違ってな」
「儂が誰を・・・」
「誤魔化すのは止せ。名を聞いた時に思い出した、『仕事人ダンジョー』とその所業、聞き及んでいるぞ。陰謀請負人、無垢なる腐臭、権勢への奉仕者・・・話半分に聞いていたが、成程、噂も馬鹿にならんな」
「・・・そんな物騒な二つ名を持った覚えは無いがの」
しかし、真実の一端ではあるのだろう。忌々し気に相貌を歪める久秀を眺めて皮肉な笑みを浮かべつつ、騒ぐのを止めないグールたちを「黙れ」と一喝した。
「危険性など、そんな異名から承知の上だ。・・・だが、俺にはお前たち以外の手も必要なんだ、分かってくれ」
続いて諭すようにボッリーシが告げると、分かったかどうかは兎も角、グールたちは黙り込んだ。
「・・・それで」
「うん?」
「それで、儂がそれを飲んだとしてじゃ、儂にどんな利益がある?」
その気丈な問いに、思わず「フフ」と軽い笑みが零れた。
「この状況で、利益ときたか小娘。飲まねば死ぬ、では不服とでも?」
「ああ、そうじゃ」
「ふん、強がるのも大概にするがいい・・・と、言いたいところだが。
そう言って、ボッリーシは杖の先端部に付けた宝玉を彼女へと向け、チカとスキャンを走らせる。その結果に「ふむ、やはりな」と独り納得したように頷いた。
「何が、やはりじゃ?」
「俺の予想が当たったということだ。小娘、貴様・・・このままでは、永く無いぞ」
その言葉に、久秀の顔は強張りをみせる。
「ふ、ふん・・・貴様、言うに事欠いて、永く無いとは。どういうことじゃ?」
「その通りの意味だ、小娘。貴様の中にある魂、その形とその外殻たる少女の姿はチグハグで、有体に言えば揃って無い。だが、そうなると魂は不定形なのに対して姿は明確な枠型のようなものだから・・・水は方円の器に従う、と言えば分かるか?」
「な、な・・・」
自覚は多少なりともあったのだろう。さっきまでは気丈にこちらを睨みつけていた視線は下がり、がっくりと落ちた肩が示すように折れた意気は、持ち上げた膝を再び地面へと落着させた。
「その様子からすれば、貴様の本来の姿はその魂のもの。しかし、そのままでおればその魂は、いずれ遠くない未来にその姿身そのものに変化する。・・・とすれば、それは貴様の『死』と言っても過言ではあるまいよ」
「それで・・・それで、お主はそれを治せるとでも?」
何とか絞り出したようなその問いかけも、今までの声音と比べればはるかにか細い。それこそ、純然たる少女のようだ。
「さてな」
そう、揶揄うようなボッリーシの言い方にも、噛みつく素振りすら無い。
「だが、俺は死霊術士だ。畢竟、死者の魂を扱う魔術に長けている。仮に協力してくれれば、それほど困難なことでも無いだろう」
少なくとも、そういった研究がタブー視されている王国魔術師などよりは、よっぽど。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しばしの沈黙が、2人を包む。隔絶されたような空気の中、いくつの時間が流れたであろう。
下を向いていた頭がポツリと呟く。
「・・・1つ、聞いておきたい」
「何だ?」
「儂が儂として永らえる・・・その可能性を上げたければ、裏切って貴様の仲間となれ、と。貴様が言いたいのは、とどのつまりはそういうことか?」
「そうだ。そういうことだ、小娘。さあ、答えを聞こう!」
気付いては、いた。
この世界に降り立って以降、術が使える体が変わるといったことが原因では無い自身の変化に。
ただ、それは飽く迄表層の事に過ぎぬと思っていた。日ノ本の知識は残っていたし、口調は爺むさいままであったし、認めたくは無いがミルシに息子を重ねたりもした。
だから大丈夫。ナリは小娘だが心は元のまま、長慶の側近にて大和の支配者、松永久秀その人のままだと。
(いや・・・思おうとしていた、それだけか?)
指摘されれば、そうか。
いくらナリがこうでも、仕草までそれに引きずられるとはならない。事実、妻に化けた果心は表情こそ妻そのものだったが、その仕草などは男のままだっただろうに。
途端に、それまで自分を支えてきたナニモノカが崩れる感覚が久秀を襲う。
(では、どうなる)
今日は良い、では明日は。今日を凌ぎ床に就いて、明日起きた時に果たして自分は『松永久秀』で居られるのだろうか。くらくら、くらくらと頭が揺れる。
記憶を、経験を、心を無くし、ただの小娘となった自分。それを松永久秀と言えない以上、それは即ち『死』そのものというボッリーシの理屈は紛れも無い事実。
少なくとも明日明後日にそれをクリスフトが何とか出来る訳は無いのだから、この男の言うところが理にかなっているのも事実。
そして、久秀にとって自身の本願の為なら『手を切る』などという行為に対して呵責なぞ微塵も感じないと言うのも、間違いない事実だ。
だが・・・だが、しかし。
「・・・1つ、聞いておきたい。儂が儂として永らえる・・・その可能性を上げたければ、クリ坊を裏切って貴様の仲間となれ、と」
「そうだ。そういうことだ、小娘」
つまり、この男は言っている訳だ。命が惜しくば寝返れ、と。自分が永らえる為に自分に寄せられた信頼を裏切れ、と。ふるふる、ふるふると拳が震える。
何と・・・何という話か。
「・・・ふ」
「ふ?」
「ふ・・・ざけるで無い、この若造が!」
儂も自負はともあれ梟雄と呼ばれた男だ。これまで人生において、全てが清廉潔白であったとは言う気は口が裂けても無い。自身の本願の為、主君の為、後ろ暗いことに手を染めたことも1度や2度では無いのも事実だ。
そこを弁明する気はサラサラ無い。
(・・・じゃが!)
それでも、自分は武士だ。自身の命をタネ銭に、それ以上と思うことの為に、それを投げ打つ存在だ。
「その儂に・・・その儂に!たかが・・・たかが自分の命の為に裏切れじゃと?馬鹿にするで無いわ!」
それに、いくら反復常無き戦国の世とて。自らの命惜しさに敵に寝返る者、人それを『不忠者』と謗るのだ。
(こいつは違う、気に入らぬ!)
そう腹に据えかねた途端に、しっかと自身の手足に力が入る。すっくと立ち、キッと魔術師の男を睨みつけた。
「な、何を言っておるのだ?」
対してボッリーシは、何が何やら分からぬといった顔を一瞬するも、直ぐに「ははあ」と独り言ちると、
「まだ、何か逆転の心当たりがあると見える。愚かな・・・では、これではどうだ!
何をどう勘違いしたのか分からぬが、したり顔でその杖を掲げ、呪文を唱える。すると、さっきまでの戦いの中で久秀が倒したはずのグールどもの遺骸が、何ということだろう、形を取り戻して立ち上がるではないか。
「蘇った、のか?」
「違うな、間違っているぞ。そもそもこいつらは造られし素体に死者の魂を憑りつかせた代物だ。故に、いくら倒そうがその魂が残っている限り、倒しきることなど出来ぬのだ」
さあ、とボッリーシは勝ち誇ったようにその杖を久秀へと向ける。
「ここから、どうやって勝つつもりだ、小娘!」
目の前には、五体満足の魔術師が臨戦態勢。更に自身を十重二十重に囲うのは蘇ったグールの集団。
対して、久秀の懐にあった符は在庫切れで、手元にあるのは穂先が折れてただの尖った棒になった手槍の残骸のみ。
矢折れ刀尽き、絶体絶命だ。
(やはり、こういう定め・・・か?)
そう、それはさながら自分がこの世界へと来る直前の信貴山城の焼き移し。
しかし、それを見る久秀の顔はその時と異なり屈辱に歪んでなぞいなかった。
「何だ?何が可笑しい!?」
むしろニヤリと口角を歪めて笑うそれは、賭けの当たった賭博師の如く。声を荒げるボッリーシとは対照的に、久秀は万感の思いを胸に呟いた。
「儂らの勝ち、じゃな」
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