第13話 孤軍敢闘

「っつ、そい!」

 ヒョウと風切り音を立てて投じられた飛礫が、敵の後衛で明らかに気を抜いていたであろうグールの1体、その鼻柱へと突き刺さる。いくら痛覚の無いグールと言えど、鼻柱から鼻腔までをグシャグシャに潰されて耐えられるはずも無し、そのままもんどりうって倒れた。

「グア!グアアウ!」

「グウオ!グオ・・・・・・」

 そして、近づきつつあった他のグールたちはそれを見て「これは危うい」と、皆一目散にノタノタと距離を取って盾を構えつつ2列横隊を組み、裏門までの道を塞ぐように陣取った。

 その行動の中で先ほどもんどりうった1体が踏みしだかれたことなど、彼らにとっては考慮にすら値しないのだろう。何故なら、彼らに与えられた命令は守りを固くすることで、危惧するのは綻びた蟻の1孔から突破されること、それだけだからだ。

 しかし、それを今の相手が可能かどうか、その判断を下せるほどの知恵は働かぬらしい。

「ふむ、なまじ知性が欠片でもある分、御しやすい。そういうことかの」

 そう独り言ちた久秀の独白に、いつものように茶々を入れる果心は今はいない。呆れながらも弓を番えるミルシもまた、いない。

 そう、彼女は今、たった独りだ。

「さて・・・ならば、どうするね」

 ちろりと唇を舌なめずり。不敵な顔で嘯くも、その状況自体は大変に厳しいものだ。眼にはグールたちを捉えさせつつ、懐に手を入れて中にある符を取り出そうとし、

(ひい、ふう、みい・・・・・・8枚か、むう)

 在庫を確認して取り止める。

「惜しまれるは時間、じゃったが・・・少々、使い過ぎたかの」

 派手に敵の眼を引きつつ追手を殲滅して川を渡るにはうってつけであったからとは言え、貴重な武器を些か簡単に使い過ぎた。過ぎた悔やみに、久秀は臍を噛んだ。

「じゃが」

 懐を探るのを止めた両手で掌大の石を2つずつ掴むと、それを天高らかに放り投げる。久秀の投げる石の威力を仲間の身を以て知っているグールたちは、それを避けるべく咄嗟に持つ盾を空へと掲げ―。

「阿呆め」

 ―ガラ空きになった腹部に全力で投じられた石が突き刺さる。

「グア!?」

 そうして、グラリと倒れ伏したグールの後頭部へ、先ほど投げた石がゴンとぶつかった。更に、倒れたグールに思わず目をやってしまった隣のグールの後頭部へ残りの3個の石がまとめて命中し、そのグールも折り重なるように倒れた。

 拾った石で、敵を2体撃退。最後のは偶然の産物とはいえ、上々の戦果には違いない。はずだが、

「とまれ・・・儂が飛礫打ちなぞという、下郎の手段を使わざるを得んとは」

 久秀は不満顔でそんな愚痴を吐く。

 勿論、投石という行為が戦闘の中で有用なのは間違いない。第一、そうで無ければ武田家のような高家が合戦で使用したりはしないだろう。

 刀鎗より遠くに届き、弓箭のような修練も不要、何より矢玉と違って石は拾い放題。

 加えて、久秀が日ノ本にいた折にホンの気まぐれで明人より指弾と言う、指で石を弾く技術を学んでいたことが功を奏していた。飛ばせる石こそ小さいもののスリングのような隙も無く、オマケに打ち弾くのだから威力は只投げるのとは比べ物にならないほど、強く鋭い。

 勿論、石が大きければさっきみたいに普通の投石や印地打ちのようにやれば良く、一対多数の現状では文句の出ようの無いはずだった。

 なのに文句が出るのは、これはもう久秀の我儘でしかない。

「・・・そこ!」

 もっとも、文句たらたらとて戦場で油断する久秀では無い。盾持ちの後に紛れて、自身としてはコッソリ回り込む心算だったグールの1体がその蔭から出た。その間隙、鋭く弾かれた礫はそのコメカミに突き刺さる。

「見え見えの手なぞ、年寄りと馬鹿にするでないわ」

 晩年は渉外が主だったとは言え、久秀の本貫は武士である。武芸百般に秀でていた訳では無いが、大和で数十年に渡って寺衆や三好三人衆、憎き筒井と鎬を削り合った経験は伊達ではなく、そうでなければ2度も謀反を起こせるはずも無い。

 年老いたとて軍勢を見る目はいささかの衰えも無いし、そもそも今の彼女の眼は老眼もどこへやら、瑞々しく輝く若者の眼だ。

「そういう時は、前衛も動いてやらねばな」

 そんな呟きの通りに動こうとした、前衛がギクリと身を強張らせる。聞こえたはずはないのだが、大体の感覚で察せたのかもしれない。

「グ!?」

「じゃが、遅いわ!」

 当然だが、グールが動いたのは別に久秀の言葉云々は関係なく、コッソリ回り込もうとしたグールの動きに呼応する、予定通りの行動に過ぎない。それは軍勢の動かし方としてはいたって常道の、普通の考え方だ。

 だがしかし、軍勢をスムーズに動かすには練兵が不可欠であり、それが無い軍集団は烏合の衆と変わりない。

 このグールたちも同じだ。本来ならまず前衛が目くらましを兼ねて最初に動くべきだった。しかし、少しそれが遅れたせいで隠れて動くはずだった搦め手が目立ち、しくじり、そして彼らもまた。

「そい」

 カランと久秀がその右翼前衛の足下へ投じた符は、それまでの備えのままなら仮に爆破したとしても盾で防げたであろう。しかし宜なるかな、彼ら自身が前進したせいで、符は彼らの中央付近へと転がり込んでしまった。

「グア!?」

 咄嗟に逃げ出そうとするが、時既に時間切れだ。

「ふん」

 久秀が念を込めると、たちまち大地を抉るほどの爆発が轟き、久秀から見て右翼のまるまる全てが吹き飛んだ。いくら符の数が残り少ないと言えど、惜しんで死んでしまっては意味が無いのは彼女が一番よく知っているのだ。

「さて、と・・・おっと、来よったか」

 後ろから聞こえてくる騒めきに横目で見遣れば、丁度久秀が渡ってきた川の向こうにグールの軍勢が遠巻きにこちらを眺めていた。

「まさか、全て殺ってしまえたとは思うてはおらんかったが・・・少々多いのう」

 そこに集っているグールたちは、軽く数えただけでも10体は越えているだろう。

「前に軍勢、後ろからも軍勢とは・・・金ヶ崎を思いだすの。さて、どうするかの」

 不敵に微笑みつつ嘯く久秀だったが、その顔は緊迫で強張っている。久秀が渡河出来たのだからグールに出来ない道理は無いし、流石にこの数に包囲されるのを防ぐ策は立てようが無い。

 つまり現状は、ミルシが良く言うところの『第ピンチ』・・・のはずだったが。

「うむ?・・・おかしいのう、何故、奴らは渡って来ぬのじゃ?」

 何故だろうか。川の向こうでグールたちは唸り声を上げるばかりで、一向にこちらへと渡ろうとしない。

「分からぬ。儂が罠を仕掛けたとでも考えておるのか、それとも・・・」

「違うな、間違っているぞ」

「ッ!?」

 先の爆発でもうもうと舞う土煙の奥から、言葉と共に奇襲気味に光弾が放たれた。その光弾を久秀は、ごろりと地面を転がることで何とか回避する。

「ふん、今のを避けるか」

 土煙よりシルエットを覗かせ、こちらに歩み来る1つの影。それは言葉を発したことからグールで無いことだけは確かだった。

「いやいや、無言だったなら分からなんだぞ」

「減らず口を」

 まるでその鋭い舌鋒が形を持ったかのように、ヒョウと一陣の風が吹いて土煙を掻き飛ばす。その奥から現れたのは真っ黒のローブを纏った線の細い、対照的に僅かに覗く肌は色の不自然なほど白い、1人の好男子だ。顔相が分からないため正確なところは分からないが、少なくともその体型と歩きぶりから30歳は越えておるまい。

「若いの」

「・・・不服か?」

 感情を隠した心算だろうが、顔を顰めた素振りは隠せていないその精神性からも、青臭さが透けて見える。

「いや、そうは言っておらぬ。それより・・・そう申すとなれば、貴様がこやつらの首魁かの?」

 その問いに相手が頷いたことを確認し、まずは成功第一段階と久秀は胸中でホッと息を撫で下ろした。が、

(・・・否、ここからが肝要)

 そう心根を入れ直し、緊張でじっとりと濡れる額を拭った。

 戦いは、ここからが正念場なのだ。


「ふむ」

 ジロリ、とボッリーシは目の前の少女を睨めつけ、そして理解した。この者は、単なる常命の者では無い、と。

「何じゃ?」

「・・・貴様、何者だ?」

「ほっほ。素直に答えてやる義理は無いの」

 そう嘯く太々しさはさておき、見た目は確かに小娘に過ぎない。使う術も平易、簡素、単純なもので、我ら魔術師ならば初歩の初歩、児戯とさえ言えよう。第一、あの程度の術に触媒を必要とする時点で、魔術師としてはお里が知れるものだ。

 ただ、その奥底。ひと皮剥いた中にある、その魂。

(・・・死霊術を嗜わねば、気づかぬであろうが)

 その中に渦巻く魂の波長、それは少女のモノでは決して無い。むしろ、

「少女の皮を被った・・・怪物」

「何じゃ?こんなおぼこい女子に対して、怪物とは」

 きゅるん、とあざとい笑顔を浮かべ、そしてその後すぐに嫌悪感で表情を歪める少女。

 いや、その仕草だけでは無い。不均衡を醸し出すのは行為や表情をいう上っ面では無く、その根底、外観と内部に蠢く魂の気配とのアンバランスさからだ。

(・・・ン!?、ンン!?)

 腹の底から、言い様の無い感情が沸き上がる。生理的嫌悪感?否、それよりはむしろ捕らえ、拘束し、思うがままに研究し尽くしたいという爆発的な探究欲だ。

「それよりの、お主」

「・・・何だ?」

 内なる葛藤と戦っていたボッリーシへ、不意に少女が問いかけてきた。

「先ほどお主が言っておったが・・・『違う』とは何事がじゃ?」

 コテンと小首を傾げる呑気さに、ボッリーシは自身のコメカミを押さえ、湧き出る頭痛を抑えた。

「・・・・・・貴様の名、言えば答えよう」

「弾正じゃ」

「なら、ダンジョーと」

 まったく、その内実の不均衡に相応しい、変わった名前だ。

「簡単な話だ、ダンジョー。俺が蘇らせたグールどもは死人で、その段階で不死者イモータルの係累だ。そして、不死者は流水を渡れん。海も、湖も、そして当然・・・」

「川も、か。成程、確かに言われてみれば簡単な理屈じゃの」

 あっさりと頷いて見せるダンジョーとやらの細首に、自然とボッリーシの杖を持たない左腕がわきわきと動きかける。掴まえて、捕まえて、捕えて、その悉くを解体して暴きたてたい。

 そんな欲求を、何とか理性で抑え込む。だが、だが・・・。

「・・・まあ、いい」

「うむ?」

「貴様が何であれだ、ダンジョー。無力化してしまわねば―」

 コン、と杖を横に振り投じられた物体を弾き飛ばす。

「―どうしようも、無いからな」

 ドカン、と爆発音が響き渡る。しかし、グールのいない方へと飛ばしたので被害は無い。爆風でバサバサと揺さぶられた木々の梢から、虫やら小動物やらが地面へ叩き落とされたのが辛うじて目に見える被害内容だろう。

「・・・やるのう」

「フン。さっきの俺では無いが、不意打ちをするならもっと不意を突くべきだ。あからさま過ぎる」

「ほう・・・鼻高々の選良気取り、では無いようじゃ」

 その「思ったよりやるようだ」という顔に。否、それよりもその口から吐かれた『鼻高々の選良気取り』という単語に、ボッリーシの奥底からマグマのような憤怒が沸き上がる。

「俺を・・・」

 それは、自分をそんな連中と同一視されたことへの怒りだ。

 上から目線で、魔術の習得よりも門閥に取り入れたことを誇るような魔術師を名乗る俗物どもと。自分は基礎魔法しか扱えないくせに、ボッリーシの死霊術を外法と蔑んだ魔術学校の同窓どもと!

「この、俺を!」

「!?」

「『不死の群猛使い』と称されるこの、ボッリーシ=ルフガウを!よりにもよって、下賤なるあいつらなぞと・・・一緒にするな!」

 ガンと杖を荒々しく地面へと叩きつけ、無事だった左翼のグールたちを前進させると共に彼が引き連れてきた新手のグールを右翼方向に進展される。のっそりと、しかし一糸乱れぬ動きは先ほどまでの無様な動きでは決して無い。

 それは彼の渾名が示す通り、まるで1コの群集団だ。

「さあ!お前らの真の力を見せてやれ!」


「さて、取り敢えずは、といったところでしょうか」

 頭上から聞こえる囁き声に、ミルシは同じくらいの声量でおずおずと問いかける。

「・・・あの」

「何です?」

「まだ、行かなくていいんですか?」

「ええ。小生たちが動くのは、敵が札を切った、その後です」

「・・・ですか。ダンジョーさん、本当に大丈夫なんですか?」

「さあ」

 責任感の欠片も無い返答に、ムウと上目遣いで抗議の視線を送った。

「さあ、って。そもそもダンジョーさんって、カシンさんが居ないと術、使えないんでしょうに」

「符を用いる魔術は使えますから、『ほぼ』であって『全く』ではありませんよ」

「あれ、そうなんですか?」

「ええ。あの人はあれでも、向上心と自立心の高い、他人任せのままには出来ない方なんです。まあ、気位の高いやりたがりとも言いますが」

「なんで、人聞きが悪い言われようにワザワザ言い換えるんです?」

 その質問に、頭上の君子は笑い声で逃げた。

「でも・・・それでもですよ、カシンさん」

「はい。確かに、武芸の達人でも当世最高の術士でもないあの人にとって、独りで正面から戦うことは危ういに違いありません」

「なら」

「しかし、です。小生はこれでも、あのお人を信託していますから」

「信託?」

「ええ。例えいくらキツかろうと、いくら難儀でも。松永殿は初めから出来っこない無理なことを『する』とは決して言わないお人でしたから」

 元亀における義昭幕府からの離脱も天正における織田勢からの離反も、最終的には膝を屈さざるを得なくなったとはいえ勝ちの目はあった。

「少なくとも小生は、あの人が勝ち目のない博打を打つ光景は見たことはありません。だから、あの人自らが企てた策なら、まず問題は無いでしょう」

 楽観的に頭上で語られる言葉。しかし、ミルシはそれを理解して尚・・・というより理解しているからこそ、眉間に刻まれる皺は深くなる。

「でも・・・カシンさん」

「はい?」

「あの人って、無理はしませんけど・・・その代わり、その『無理』を引っ繰り返す為に『無茶』はしますよね?」

「ええ、しますね」

 やっぱり、とミルシは果心が落ちないよう小さく溜息を吐く。

「それが・・・それが、心配なんですよねぇ」

 

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