第12話 陣中窮鼠

「成程」

 リファンダム離宮の大広間で、ボッリーシは鷹揚に頷いた。この10日間で窓という窓には全て煤がこびり付いており、今が朝なのか夜なのかすら分からない。

 ただ、その魔術師には珍しい日に焼けた横顔が蝋燭の仄かな灯りに照らされるのみだ。

「成程、ではありませんぞ!」

 右耳から聞こえる罵声を、ボッリーシはそのまま左へと流した。依頼人からの「身元を知られる訳にはいかないからこちらを見るな」という上から目線を、これほど感謝したことは無いだろう。

「すまない。近頃の事態に合点がいったもので、つい、な」

「いえ、こちらこそ・・・つい、我を忘れて」

「気にするな。我々の間柄は、所詮ただのビジネスだ。金の切れ目が無い以上、そう容易く切れたりはせんよ」

 そう言ってヒラヒラと右手側のテーブルに乗せた水晶玉に見えるよう右手を振ると、相手からは大げさな位な安堵の息が聞こえた。

「そう言って頂けると・・・」

「だが」

 しん、と冷たく出した声に、今度はゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。

「ビジネスである以上、貴公にも約束した役割を果たして貰いたいものだ。キチンと、な」

「は、はあ!それはもう」

「では・・・早く」

「ええと、では・・・まず、王国よりイージュケン子爵の音頭にて、追討軍が発せられました。もう直ぐでそちらの近郊に到着することでしょう」

「ほう、随分と時間がかかったものだ。だが・・・既に進発しているのだな?」

「は、はあ・・・それが?」

「いや。ならば、もっと早くに知らせる事は出来なかったのか?と思ってな」

 チラと鋭い視線を横目で送ると動揺からだろうか、ガタガタと向こうの水晶を置いている台を揺らす音が聞こえた。視界の端に入った刺繍細工が、何とも目に痛い。

「申し訳ありません。なにぶん、彼奴が軍を発するとワタクシに示してからこれまで、共に行動させられておりましたので」

「・・・よもや、バレたのではあるまいな?」

「そ、そんなことは!」

「まあいい。その追討軍とやらについては?」

「は、はい。それ、それにつきましては・・・あ!はい、ただ今!」

「どうした?」

「す、すみませんボッリーシ殿、彼奴に呼ばれてしまいまして。で、ですが、軍については心配なきよう!・・・し、失礼します」

 ボッリーシがそれに返答する間もなく水晶玉からは輝きが失われ、五月蠅い声とザワザワした雑音は消え去るように沈黙した。

「・・・ふん、小間使い風情が」

 苛立たし気に、されど割れぬようそっと水晶玉をしまうボッリーシの傍らに、のそのそとグールが近づいて来た。

「グアウ・・・グアウ」

「そうか。いや、お前たちが気にする問題では無い。まあ・・・そろそろ切り時か、とは思うがな」

 グールの口から発せられたのは言葉にもならない呻き声のような音だったが、召喚した彼にはそれで通じるらしい。先ほどの会話とは打って変わったような、親し気な語り口だ。

「しかし・・・昨日発した軍であれば、些か到着が早すぎる。あの小間使いには知らせずに、予め追討軍自体は備えてあったとしか思えん」

 確か、数日前の連絡では一向に軍を発する気配は無いと、あの男は言っていた。

「それが謀りでなければ・・・イージュケン子爵とやら、中々の狸らしいな」

 そうならば、やはり数日前からこちらの斥候を狩っていた連中も奴の配下なのだろう。であれば、

「・・・戦略目標はどうあれ、早めに芽を摘んでおいた方が良かったか?」

 今となっては取り返しのつかない後悔を口にしていたボッリーシに元に、バンと荒々しくドアを開けて1体のグールが飛び込んできた。

「どうした、騒々しいぞ」

「グア!グアウ・・・グアア!」

 配下の不作法に叱責の顔になりかけたボッリーシだったが、そのグールからの報告を聞いたその顔は、忽ちニヤリと不敵な笑みになる。

「そうか、仕掛けてきたか。で、数は・・・何だと、1人!?」

 しかし、その次の報告にボッリーシは驚きのあまり、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。その様子に周囲のグールたちも慌てて色を成したように騒めき出し、その内の1体がおずおずと彼へ「大丈夫ですか?」と問いかけてきた。

「グアグ?」

「あ、ああ・・・すまんな。大丈夫だ、俺は落ち着いている。それと、そいつが攻めて来ている場所は?」

「グ、グアアアウ、グア!」

「裏門方向だと?」

 それはボッリーシにとっては好情報だ。裏門の近辺は確かに大勢の兵を配することは出来ないが、その代わりに川を渡らねばならず、渡ってからも門まではそこそこ広いスペースを踏破しなければならない。兵を伏せさせる木々もあり、『裏門』という響きとは裏腹に一寸した要害となっているのだ。

「そんな所へ攻撃とは、生兵法家か?しかし、昨日まではチクチクと嫌がらせに終始していた連中だ、そこまで凡愚とは思えん。・・・どういうことだ?」

 と、状況と情報のアンバランスさに顎に手を当てつつ独り言ちた。

「で、そいつによる被害は?」

「グアウ・・・」

「既に9体!それで向こうは・・・全くの無傷!」

 くわ、と大きくボッリーシは目を剥いた。グールは確かに思考能力はさほど無い、人間の兵士と比べれば木偶人形に近い。だが、その代わり、グールにはその人間に倍するほどの『ストレングス』がある。

 彼の配下のように武装したグールなら、それこそ相対すること自体が自殺行為のようなものだろうに。

「集った部隊は突破され、既に川を渡られているだと!?拙いな、残された出丸を踏破されれば、裏門まで抜かれかねん」

 かと言って、グールの自立に任せていては防衛は覚束ないだろう。先ほども言った通りグールが自らとれる行動は単純な警戒や防衛くらいで、高度な戦術的思考を期待する方が間違っているのだから。

「是非も無い、か・・・・・・私自ら出るしか無いな」

「グア!」

 しかし、「それも何かの策では」とグールの1体が申し出る。

「かもしれん。だが、かと言って放ってもおけん」

 当然、それはボッリーシも考慮はした。しかし、放っておいて離宮内に侵入されれば、どの道彼が自ら対処せざるを得ない。ならば、少しでも召喚したグールが残っている内に仕掛ける方がまだ、勝ちの目が大きい。

「それにな」

 部屋の中央、床に描かれた魔法陣のちょうど真ん中に置かれた背の高い燭台。その先に据え付けてある暗褐色の石をツイとなぞると、彼の胸元に光るアミュレットに石から雷光のような光が走った。

「仮に、私が殺られたとしてもだ。この魔石と魔法陣が残っている限り、この地に召喚されたグールが消滅することは無い」

 既に、グール召喚の儀式は成っているのだ。ボッリーシを殺したとてそれを打ち消す事は叶わないし、いくらグールが殺られてもボッリーシが呪文を1唱えすればワンスパンで甦らせられる。

「グウウ・・・」

「案ずるな。それに、裏門には最後の仕掛けもある」

 そう、ボッリーシは尚も言い縋るグールを宥めるように優しく語りかけた。

 裏門における最後の仕掛けとは、そこに架けられている木製の橋だ。地図上では分かり辛いが門と出丸との間には堀切のような溝が彫られており、そこを渡すように橋がかかっている。

「仮に俺が破れようとも、退いた後に橋を落としてしまえば侵入は不可能だ。案ずることは無いと言うのは、そういうことだ」

 無論、その場合はボッリーシが殿となるのでない限り、グールを盾に使って逃げることになるだろう。ボッリーシとしては苦渋の決断となるだろうが、負けることを考えれば避けようの無い決断だ。

「グ・・・グア?」

「なに?ならば初めより俺が出ず、その橋をおとしてはどうか、だと?」

「グアウ」

「確かに、そうすれば確実は確実だ。だが、若しそれで敵が進路を変えて正門へと攻めかかって来たらどうする。俺たちは袋の鼠ではないか」

 したり顔で述べられるその屁理屈に、グールたちが初めて不安げに顔を曇らせた。

 もっともボッリーシ自身、それが牽強付会であることは分かっている。だが戦術上、戦略上の判断よりも、彼には大事なものがある。

「それにな・・・俺も魔術師の端くれだ。挑まれた挑戦を無視し続けることは、その矜持に反するのだよ」

 その言葉と共に、彼は掛けてあったローブを纏い、大ぶりの杖を装備する。ブンとそれを勢い良く振ると、杖の先端に仕込まれた宝玉がキラキラと輝きの奇跡を残した。

「さあ、その愚かな者を迎えてやろう!」

 盛大にな。そう述べるボッリーシの顔には自信と嗜虐心が満ち満ちていた。


「子爵殿、第3近衛兵団1グルッポから8グルッポまで、総員到着致しました!」

 ピシリと音がするほどに1分の乱れも無い敬礼と報告を行うドラウス=ロートフォルケン第二皇子に、クリスフトは軽く微笑みを零した。

「ご苦労です、ドラウス殿下」

「殿下、は止めて下さい」

「仰せのままに、兵団長殿」

「揶揄っておいでですね、まったく貴方という人は」

 元々、歳の頃は同じ位で、短く無い時間を宮中で過ごした2人だ。殿下と侍従武官、近衛兵団長と無任所大佐という立場の相違もなんのその、互いに軽口を叩き合った。

「して・・・どうです、彼らは?」

 しかし、立場というものは無視できない。クリスフトが大分砕けてはいるものの敬語で問いかけたのは、ドラウスの後ろでキョトンとした顔を並べている各グルッポの隊長連中についてだ。

「技量という意味でしょうか?それとも、練度という意味で?」

「両方です」

 その言葉にたちまち、快活だったドラウスの顔が苦悩で沈む。

「お前たち、退がっていろ」

「「「は!」」」

 返事だけは立派に返した隊長たちが幕内から出て行くと、ドラウスはさも言い辛そうに口を開く。

「・・・正直なところ、厳しいです」

「やはり」

「ええ。一応、軍集団として最低レベルの集団行動はとれるようになりましたが・・・」

「正規兵としては落第レベル、と」

「はい。恐らく、クリスフト卿の御父上の率いた精兵ならば、仮に1/3でも完勝出来るでしょう」

「あれは一種の化物だから、比較する方が間違いですよ」

 気にするな、とクリスフトは励ますようにポンポンと肩を叩いた。そもそも近衛師団自体が政治的妥協で設けられた張子の虎である。1つの軍隊として期待する方が酷な話だ。

 だが、張子の虎とて虎は虎だという自負はある。その上で張り子でしか無いという現実を突きつけられるのだ、辛くない訳が無い。

「はあ・・・申し訳ありません」

「それに、恐らく今回の出陣では、戦闘にはなりません」

「だと、良いのですが・・・」

 そんな中、幕内に1つの影が転がり込んで来た。

「ハア・・・ハア。し、子爵殿、呼ばれましたか?」

「ええ。殿下がお呼びでしたので。それとも・・・ひょっとして、お邪魔でしたか?」

「いえ!いえ!滅相も無い!!」

 ブンブンと首を振ることと合わせて体全体を使って否定の意思を示すのは、使者の小男だ。相変わらずの刺繍が日の光に反射して、相変わらず目に痛い。

「お気になさらず。それに、それほど喫緊のようでも無いのにクリスフト卿が大袈裟にお呼びたてしてしまい、こちらこそ申し訳ない」

「い、いえいえ!それを申すなら・・・子爵殿、ワタクシはどうしてここまで?」

 同行させられているのでしょう、と使者の小男は強張らせた顔で問いかけた。流石に王族の前で、それも親し気な人物に対して先日のような尊大な態度はとれないのだろう。

 冗談でも無く、いくら権勢の無い王族と言えどこの小男くらいなら、斬って後から詫びても問題にすらならない。

「なあに、あれほど軍勢を出せと仰っていましたのでな。それならば使者殿にも、終結した我々の軍勢を見ておいて貰った方が宜しいと思いまして、な」

「はあ・・・成程」

「ややもすれば、ローレンス卿の所望された軍勢とは比べ物にならないかもしれませんが、それについてはご容赦頂きたい」

「は、はあ!あ、ありがたきお心遣い!」

 御無礼を!と深々と頭を下げる小男には見えぬようにクリスフトが目配せをすると、ドラウスも「心得た」とばかりにウィンクを返す。

「ここからあと半日もあれば、リファンダムへと到着できるでしょう。仰る通りに賊を討伐せしめるのも、もう少しです」

「い、いやはや、何たるお手回し!ワタクシ感服致しましたぞ!で、では、ワタクシはこれで・・・」

 お役御免とばかりに立ち去ろうとする小男の肩を、クリスフトはしっかと掴んだ。

「いやいや使者殿、何を仰る。これからですぞ」

「これから、とは?」

「申したではありませんか。これから我らはリファンダムへと向かいます、と」

「は、はあ・・・確かに」

「時間をかけてしまったせめてものお詫びとして、使者殿には結果までの正確な報告を、ローレンス卿へして貰わねばなりませんから」

 ご同行願います。そうドラウスから請われ、拒否できるほどの胆力はこの男には無い。

「いや、でも・・・足手まといでは、と」

 それでも何とか、その乏しい頭脳から絞り出した、断る言い訳。しかし、

「大丈夫です、使者殿。なあクリスフト卿」

「ええ。それとも使者どのは・・・殿下の軍勢では心許ない、と?」

 意地悪なクリスフトの問いかけに、小男は哀れなくらいにブンブンと首を横に振って見せる。

「では、宜しいですね。クリスフト卿、使者殿にも椅子を」

「ああ、そうですな。では、使者殿」

 そう言って勧められた床几にノロノロと座る以外、小男には選択肢は無く、丁度揃って床几に腰かける2人の対面に位置する場所へと座らされた。それはまるで尋問を受けているかのような配置で、小男は顔じゅう体じゅうから滝のような汗を流し出す。

「は?あ、あの・・・」

「何ですか?」

「何が・・・何が始まるんです?」

 恐る恐る、といった体で問いかける小男に、クリスフトに譲られたドラウスは微笑みつつ嘯いた。

「時節を待つのです。それまでは見物ですよ」

「け、見物?待機では無く?」

「ええ。『見物』です、使者殿」

 その、両者の小男を見る目だけは、笑っていなかった。

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