第11話 決戦前夜
久秀とミルシがグールと戦っていた、丁度その頃。別の場所でもまた、違う種類の戦いが繰り広げられていた。
・・・もっとも、それは血沸き肉躍るようなものでもなければ、見ていて楽しいものでもなかったが。
「どうなっておるのです!」
バンと荒々しく机を叩き抗議するその小男へ、クリスフトはただ乾いた無表情を向けていた。
「ですから・・・」
「10日!もう10日ですよ、クリスフト卿!何故に王国は、何故に陛下は軍勢を差し向けて賊を討伐し、臣下の忠誠に応えようとせぬのですか!!」
クリスフトが説明をしようとしる端からバンバンと威圧するかのように机を叩き、ベラベラと抗議ともつかぬ長舌を述べる小男に、貼り付けた鉄面皮の裏側で彼はウンザリとした感情を吐き出す。
おまけにこの小男がそうして机を叩く度、服にゴタゴタと縫い付けられた刺繍が蝋燭の光に反射して彼の眼をチラチラとくすぐってくる。そのせいでややもすると話が飛んで行ってしまい、それを見た小男が「話を聞いていない!」とヒートアップする悪循環、そんな終わりの見えないワルツがこの場を支配していた。
「いいですかな、そもそも・・・」
「そもそも!ええ、そもそもです。そもそも彼の地はロートフォルケン王朝の功臣家にして現国王陛下の忠臣たるローレンス=グイエルバッハ伯爵の係累が治める領地!だのに、そこが賊に占拠されておるのを放置する、それが陛下の御心とでも仰るのですか!?」
それも、中身のある内容なら終わりが無くても耐えられるのだが、生憎とこの小男はよっぽど「今すぐ討伐軍を差し向けます」と言わせたいらしい。そこに持っていこうと同じ話を何度も繰り返すせいで、もう3度も蝋燭の芯切りを行うほど時間が経ったと言うのに一向に話が進んで行かない。
「ですから!」
流石にクリスフトにも我慢の限界というものはある。それでも従者に摘まみ出させずに少し語気を強めたに留まるのはひとえにこの小男の背後のせいであり、間違ってもこの小男自身への配慮では断じて無い。
ローレンス=グイエルバッハ伯爵。表向きは公的な役職には就いていない一地方領主であるが、その実は王国貴族の半数以上を抱える派閥の領袖で、その権勢は継嗣の選定すら左右すると目されている、云わゆるフィクサーだ。
「当方としましても、既に手は打っております。一先ずはの結果を待って・・・」
「この火急の折に手、ですと!?それも、それを待てと仰るか!・・・父君の朋友の危機になんと悠長なことを。勇猛果敢、即断即決の御父上が泣かれますぞ!」
とうとう、クリスフトの父親まで引き合いに出して来た。それに確か、その父親とグイエルバッハ伯は朋友と言うほどの付き合いは無く、むしろ現在は軍の規制を巡って水面下で丁々発止をしているはずだが。
(・・・ま、考えるだけ無駄か)
十中八九、この小男はそんな貴族間の機微まで考えておるまい。
「愚息の身として、尊父に及ばぬのは承知しております。しかしですな、使者殿は軍勢を、と簡単に仰いますが・・・」
「そうです!王国における我が主ローレンス卿の貢献を思えば、軍勢の1つや2つ容易く用意出来得るでしょう!」
そのあまりにも単純化し過ぎる物言いに、念の為クリスフトは再考を促す。
「・・・失礼ですが、正気で仰る?」
流石に伯爵家の使者として赴いた男だ。そこまでの馬鹿では無いだろうという儚い期待も込めたのだが、
「当然です」
フンスと鼻を鳴らしてふんぞり返るこの小男に、やはり思慮なぞ求める方が過ちだったのだろう。眼精疲労と心労のダブルパンチに、クリスフトは不作法であるとは分かりつつ肘をつき、眉間を強く抑えた。
すると案の定、小男は鬼の首を取ったように喚き散らす。
「む!侯爵様の使者の前で、何たる不作法!使者であると言うことは即ち、ワタクシの言葉はローレンス卿の言葉、ワタクシの眼はローレンス卿の眼なのですぞ!」
なら、「せめて伯爵らしい振舞いをしてみせろ」という言葉を、辛うじてクリスフトは飲み込む。
「では!では・・・伯爵様へ、お伺いさせて頂きます」
代わりに、せめてもの皮肉をぶつけてみる。もっとも、傲岸を絵に描いたような使者の面を見るにまったく響いていないようだが。
「仮に、そう仮にです。現段階で軍を起こして、その賊とやらの討伐を行うとしましょう。しかしですな、その場合は兵士をリファンダム離宮へと乗り込ませ、賊を攻め滅ぼすことになります。畢竟、離宮自体や調度も無事では済みませんが、宜しいので?」
「無論、宜しくありません」
何を当たり前のことを。そうしたり顔で語るこの小男は、それがどれだけ矛盾した物言いなのか理解しているのだろうか。
いや、理解なぞしてはおるまい。ただこの小男は自分がそう命じれば、それに沿う結果をどうにかしてもたらすのが王国の務めとしか、思ってはおるまい。
「かの建物は、かつては我が主が精魂込めて飾り付けた、国家の財産とも言える文化財に等しい。そこを無粋で下劣な兵どもに荒らされるなど、間違ってもあってはなりません」
「・・・であればこそ、です。我々も、間違いがあってはならないと考えているので、万全に万全を期して対策を講じておるのです」
もっとも、その講じた対策の1つである『あの』ダンジョーは、よもや離宮の調度品と自身の命を天秤にかけることなどしないだろうが。
「ですから、今日の所はお引き取りを・・・」
「なりません!そんな口先では、我が主は納得しません!確かな形を見せて下さりませんと!」
(・・・納得させるのがお前の仕事だろうに)
クリスフトは目の前の小男の能無しさに胸中で深いため息を吐いた。ローレンス卿も、どうしてこんな威を借ることと役得で身を飾ることしか能の無い小男を、使者なんぞとして雇っているのだろうか。
しかし、それでもクリスフトはそんな悪感情やら苛立ちを丸ごと飲み下して相手を続ける。それは、自身の配下や部下が事態の対処を行っているのをこの小男に見咎められて邪魔をさせられないための、云わば陽動、時間稼ぎだ。
「それに・・・」
「ん、なんですと?」
「ああ、いえ、なんでも」
「なんたる上の空!やはり貴方はワタクシを・・・」
それに、誰より何より、クリスフトの命令でダンジョーという仕事人崩れに現場で命を張らせているのだ。だというのに、クリスフトが自身の戦場であるこの場所で、身命を賭さずにいて良い訳が無い。
しかし、だからと言っていつまでもこんな小男の相手ばかりもしていられない。何か適当な言い訳を作って一時退席させてもらおう。そう考えて卓上のベルを鳴らそうと手を伸ばそうとした、その時だ。
「失礼します」
ノックもそこそこにガチャリとドアを開いて応接室へと入って来たのはマクシスという、クリスフトの数少ない有能で忠実な部下だ。今は専ら、自身の秘書官のような仕事を任せている。
その彼が、どことなく息を弾ませてクリスフトの元へと走り寄る。
「どうした、マクシス?」
「イージュケン子爵様へ、お手紙です」
「そうか。誰だ、こんな・・・これは!」
差し出された漉きの悪い紙に初めは思い切り眉を顰めたクリスフトだったが、次に目に入ったその紙に躍る記号のような文字を見るやいなや、忽ちに顔をほころばせた。
「な、なんだ貴様は。無礼では無いか!」
最早、マクシスに対してそんな筋違いの抗議をする小男なぞ、クリスフトの視界にすら入らない。わななく手で掴むその手紙を2度3度と読み直し、クリスフトはその内容を脳髄に叩き込む。
リンゴーン、と頭の中にベルが鳴り響いたような、まさに天啓だった。
「・・・それと、子爵様」
「何か?」
「もう1つ、お耳に・・・」
顔を真っ赤にして「ワタクシを無視するなぞ!」と喚く小男を無視して、そっとマクシスはクリスフトの耳にそっと『或る』報告を囁いた。
「・・・何だと、本当か?」
「確かに」
「へえ・・・成程、な」
そう呟くと、クリスフトはその切れ長の目を細めて使者の小男へ意味ありげな視線を飛ばす。
「む?な、なにを・・・」
小声で行ったクリスフトとマクシスのやり取りは、恐らく聞こえては居ないはずだ。しかしその視線は、さっきまで怒気でキタキタと上気していた小男の顔を見る間に不安の色へと染めさせるには十分な威力があった。
クリスフトも、伊達に王宮という冥府魔道で生き抜いている訳ではないのだ。
「では、使者様」
と、ワザと出した大声で語りかけると、小男はビクリと肩を震わせつつも引き攣ったままの顔をこちらへと向け直す。
「確かな動きを見たい、そう仰いましたね?」
「お、おう。そうです、そうです。是非とも見せて頂きたい!それが無ければ―」
所詮、渉外の素人などこんなものだ。居丈高に責め立てている内は兎も角、攻め返されればこんな風にあっけなく口を滑らせる。
言質を取ったクリスフトはこれまたお返しとばかりにテーブルをバンと大きく叩く。その音に小男は「ひ!?」と小さな悲鳴を上げたが知ったことでは無いと、畳みかける。
「では、使者様の仰る通りに!」
「は、はい?」
「どうぞ、我々とご同行頂きましょう。何せ―」
くしゃりと、懐中にしまい込んだ書状には、たった1言。
「伝令より『軍勢を差し向ける時が来た』、そういうことらしいですので」
「へ・・・・・・・・・・・・へえ!?」
「ふう・・・あと一息、と」
俯いて作業をしていた久秀は「うぅん」と背を伸ばして、そう独り言ちた。慣れぬ作業で凝り固まった背中の肉が解れるのが何とも心地よい。
「終わりましたか」
「むう?・・・果心か」
「ええ」
言葉と共に、今度はチョロチョロと鼠が久秀の膝元へとどこからか這い出して来る。
「まあの。儂の腕ではあれから4つ細工するのが精一杯じゃったが・・・それより果心、お主の方は?」
「小生がこうやって出てきたことで察せられるでしょう?術の準備に周辺警護、それに加えてクリスフト殿への連絡と、相変わらず人使いが荒いですね」
「儂じゃからの。それに・・・」
「それに?」
「その体じゃったら、鼠使いかの?」
そう言って、久秀は愉快そうに小声でカラカラと笑う。小声なのは、後ろで寝るミルシを起こさぬようにだ。
「では松永殿、貴女は差し詰め動物使い、手妻使いと」
「かの。思えば大和より、遠くまで来たものじゃ」
しみじみと呟いた久秀は、果心へ折りたたんだ地図を合計3枚、それこそ手妻の札のように見せつける。
「おや、消してみせてくれるので?」
「ほほ。さあ見て御座い、ここに取り出したる・・・・・・馬鹿を申せ」
「はは。良い芝居気にて」
「まったく、こ奴め・・・よいな?」
その問いに果心が無言で頷いたことを確認し、久秀はその3枚をクシャクシャと丸めて火の中へと放り込んだ。元が質の良く無い紙だったからか、その3枚の図はあっという間に炎の中へと消えていった。
「これで良し、と」
「・・・少し、勿体無い気もしますがね」
「仕方無かろう。地図、特にあの見取り図については確実に処分すること。それが、クリ坊から提示された条件じゃったからの」
上古より、城の見取り図は国家の機密に関する情報だ。城普請を行わせた大工や工夫を残らず孔埋めにした逸話などは珍しくも無い。それは、保有者が貴族になり対象が離宮となっても然りである。
「まあ、現本は恐らく王宮で保管されているでしょうから、小生たちが気にすることでもありませんが・・・一応、小生の術で斥候をして照らし合わせた、現行の見取り図とあれば、高く買ってくれる手は数多ありそうですけれどね」
果心の言う通り、いくら今は伯爵家が保有する建物と言っても元はと言えば王家が保有していた離宮である。彼らが持っていたのも、その当時の見取り図で良ければとクリスフトが図書室を漁り提供してくれたもの、その写しだ
「まあ、寝た子を起こすこともあるまい」
「ですね。小生も、火あぶりはもう2度と御免です」
ただ、王家が有力貴族のお飾りに堕した現状においては、王宮が見取り図を保有していること自体が要らぬ軋轢を生むということだろう。言い出した果心の声音にも、惜しそうな響きは無い。
「して、果心」
「ええ、明日の朝に今一度斥候をかけて、問題無ければ・・・」
「城攻め、じゃな」
しみじみと、されどどこか喜色にとんだ声で、久秀は呟く。
「おや松永殿、気は滅入っておられぬ様子で」
「当たり前じゃ。戦場に出る、と言うのを厭う武士はおらぬ。それに・・・」
と、久秀はキュッと口角をまるで悪戯猫のように曲げて笑う。
「儂らはたった3人で大勢の化物兵が詰める城を落とそうというのじゃぞ?竹中の小倅も自身の記録を越えられて、冥府でさぞや驚くことじゃろうて」
かつて、美濃の国は堅城、稲葉山城を落とした竹中重治の手勢は数十名。こたびはその十分の一以下でやるのだ、武門の男として興が乗らぬ訳が無い。
「はは。結局のところ、やはり貴女はそこに行きつく訳ですね」
「当たり前じゃ、儂を誰じゃと思うとる」
「勿論、大和の支配者にて長慶殿の忠臣、松永弾正小弼久秀殿ですよ。しかし・・・ええ、その心根の松永殿でしたら、明日の城攻めもきっと成し遂げることでしょう」
「呵々、他人事のように言うでないか」
はて?と小首を傾げる果心を他所に、久秀は2枚の素焼きのソーサーを取り出して、そこに水を注ぐ。
「お主も手勢の1人であろう、果心?」
であれば、と久秀はその内の片方を果心の方へと押しやった。
「では、一献」
「ははあ成程、水盃と。しかし・・・小生は持てませんよ?」
「構わぬ、所詮はゲン担ぎよ」
そう言ってソーサーを、まるで盃を掲げるように持った久秀に倣うように、果心もチョンとその短い腕で支えるようにしてぐい飲みを持ち上げる。
「では、松永殿。勝利の栄光を、貴女に」
「そんなものは要らぬ。じゃが、儂と、貴様と、ミルシと。生き延びるぞ、お互いにの」
献杯。その言葉と共に、パンと乾いた音が廃屋に響いた。
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