第10話 知活不同

「これで、最後!」

 かけ声一閃。ミルシの細腕から放たれた矢は狙い過たず、剣を構えて猛進してくるグールの喉元へと突き刺さった。が、

「ウ・・・グウア!」

「あ、あれ!?」

 少々絞りが甘かったのか、はたまた疲れか。その矢は頸椎を貫通することなく、喉元にピンと突き立つばかり。当然、死人であるグールが喉に突き刺さっただけの矢に動じることも怯えることも無く、そのまま剣を振り下ろさんとする。

「え?ちょ、ちょっと!?」

 そう声では動じつつも、ミルシの体は反射的に動く。次の矢を番えるために矢筒へ伸ばされかけた手はそのまま弓の端を掴み、

「ちょ、っとっと、とお!」

 体ごと回転させた勢いのまま、もう片方の弓先に付けられた刃が膝関節を切り裂いた。衝撃と斬撃を受けた足は振り下ろすモーションによる勢いを受け止めきれず、グールはガックリと体勢を崩す。

「せ、えい!」

 そして、反対に体勢を取り戻したミルシの膝頭がグールの鼻を打ち砕くように蹴り込まれ、さしものグールもそのままどうと倒れ伏した。

「ほう、やるのう」

 その動きに、久秀は援護に放とうと手に掴んだ飛礫をポーンと直上へ放り投げながら、感心するように呟いた。

「・・・て、ダンジョーさん。見ていたんなら手伝ってくださいよ!」

「甘えるでない。それに、儂が差し手を挟む暇が無かったということでもあるのじゃからの。誇るがよいぞ」

「そういうもんですかね・・・」

 そう愚痴りつつ、ミルシは刃に欠けが無いかを確認する。

「しかし・・・矢の先に小刀を設けるとは、弭槍はずやりのようじゃの」

「え?ええ・・・まあ、こんな風に使うとは思ってませんでしたけど」

「謙遜するでない。何にせよ、今使えれば良いのじゃ」

 確か、本圀寺や姉川の戦の折、浅井方の手勢にそれの大層な使い手がいたような、いなかったような。

 そんな益体も無いことを考える久秀の背後で、倒したはずのグールの1体が音も無く、むっくりと起き上がる。そして、背を無防備に向けたままの久秀の細い首にその大きな腕をゆっくりと近づけ・・・。

「ダンジョーさん!」

「分かっておるわい、っと」

 あと一息で届く、その前に久秀の手から物凄い勢いで放たれた小石がその額を打ち砕き、グールは再び仰向けに倒れた。

「貴様らは、奇襲を図るには気配が大仰過ぎる。隠形を企むより、己が地力を活かした力攻めを企む方が健全じゃぞ?」

 余裕の表れか、倒した敵方に助言をする始末。もっとも、その助言を聞くことの出来るグールはもういないが。

「ふう・・・ビックリさせないで下さいよ」

「何を言うか。儂があの程度に気付いておらぬ訳が、それこそあるまい」

「それでも、心配はするんです!・・・まったく」

 久秀に迫った命の危機に、自身のそれより恐怖を感じたミルシはじっとりと湧いた額の汗を拭うと、大きく息を吐いた。

「ふう・・・ええっと、これで?」

「この接敵だと6体目、今日を通してで言えば18、部隊の数で言えば3つ目、となろうかの」

 何のことも無い風に語る久秀に、ミルシはげんなりとした様子で肩を落とした。

「まだ・・・それだけでしたっけ?私はもう50も100も倒させられた気分ですよ・・・」

「ほっほ。若しらかしたら儂の暗算がおかしいだけで、お主の感覚が正しいのかもしれぬな?」

「冗談は止して下さい、増々辛くなりますから」

 18体もの相手をさせられたことですらしんどいのに、本当にミルシの体感ほどの数を相手どらされていたのであれば、これはもう諦めて帰ろうと言いかねない。

「・・・と、あれ?」

「どうした?」

「いえ、いやに・・・ああ、すみません。カシンさんはおられないんでしたね」

 いないと分かっていても、普段あるものが無くなるのは落ち着かぬもので。キョロキョロと、いつもなら言葉尻を捉えるような茶々を入れてくる鼠の姿を目で探してしまう。

「あ奴はここで戦うより、大切なことをしておるからの。戦働きしか出来ぬ、お主のような武辺者とは違うと言うことじゃ」

「・・・それ、ダンジョーさんはどっち側です?」

「儂は勿論、果心の側よ」

「へえ。じゃあ、どうしてここにいるんです?」

「ははっ!言いよるの」

 その空元気混じりの気の強い言葉に、久秀は呵々と面白そうに笑うと、

「ならばお互い、この程度でへばってはおれんの!」

 そう言って、弓の具合を確認していたミルシの腰を思い切り叩いた。尻にしないのは、久秀のせめてもの慮りだ。

「キャッ!?ちょ、ちょっと!?」

「それより、ぼやぼやしておると敵の援兵が来る。ぼさっとしとらんで作業にかからぬと、間に合わぬぞ?」

「分かってます、よぅ!」

 プウと不満で頬を膨らませつつ、ミルシは死体を足で蹴り起こして喉元に刺さっている矢を引き抜いた。

「・・・うええ、気持ちわる」

「我慢せい、誰のためじゃと思うとる」

「はいはい、矢が無くなったら役立たずの、私のためです、よっと!」

 久秀の符は最悪あの廃屋で創ることも出来るが、ミルシの射る矢はそうもいかない。例え気持ちが悪くとも、使えるものは再利用せざるを得ないのだ。

 だが、合理性と正当性では心持ちを守り通すことは出来ないもので。

「うう・・・我慢、我慢っと」

 引き抜いた矢の折れも曲がりもせず、血の1滴も付いていないのは射る前と同じなのだが、狩人として何か感じ取るものがあるのだろう。それを見てえずきそうにしながらも、ええいままよと片っ端から矢筒へと放り込んでいく。

「よくもまあ・・・鏃も無しに上手く仕留められるものじゃな」

「元々、狩りで使う時に鉄の鏃なんて付けられないですしね。お肉食べててガキンと金物なんて、御免でしょう?」

 だがその反面、鏃が無い矢で通常仕留められるのは小動物が精々で、そんな矢で関節部や急所を狙い射ることで大型獣や人間、今回のような化物を仕留められるミルシの腕は、一廉程度のものでは無い。

「それに、私の腕も大したものでしょう?」

「うむ。お主の腕は信頼しておる。それより、終わったなら一休みしておけ。敵に気取られるまでに移動するぞ」

 その言葉に、ミルシは腰に提げていた水袋に口をつけて美味しそうに一口呷ると、再び「はあ」と大業に溜息を吐く。

「で・・・あと?」

「ふうむ、そうじゃのう・・・」

 その質問に、久秀は顎に左手を当てつつ、右手の人差し指でクルリと中空に円を描きながら、どこか意地悪そうに嘯く。

「確か・・・昨日は4部隊ほどしか仕留められんかったからのう。今日も夕暮れまでは暇があるようじゃし、あと1、2部隊ほどは殺っておきたいの」

 まだ戦闘は終わらない。昨日今日と戦い続けのミルシはそんな絶望的な宣告を聞いて、思わず天を仰ぐ。

「まったく・・・これ、本当に意味があるんでしょうね?」

「やれやれ・・・戦人いくさびとに戦いの意味を問うなぞ、無意味にもほどがあるぞ?」

「誤魔化さない!」

 パシン、と久秀が弓の刃が付いてないほうでしばかれたのは、まあ自業自得と言っていいだろう。


「戻ったぞ」

 まるで妻か端女を呼ぶような挨拶をして木戸を押し開ける久秀だったが、生憎と走り寄って来るのは鼠が1匹・・・。

「ああ、よくお戻りに」

 否、走り寄っても来ない。ただどこからか、声が聞こえるだけだ。

 無論、その状況も久秀の想定通りであるから、特に臍を曲げたり気分を害することもない。むしろ、頭やら肩やらを走り回られ無くてこそばゆく無いまである。

「うむ・・・息災かの」

 ただ、やはり一抹の寂しさはあるのか。そんな言葉が飛び出す。

「はは、それはこちらの台詞ですよ。小生はこれこの通り、安全な室内作業でしたので」

「ああ、儂らしくも無いがの。貴様とここまで離れておったことは、この地に来てよりとんと無かったからのう・・・気の迷いじゃ、忘れろ」

 我に返って照れるのか、久秀はプイと顔を背ける。

 そして、その童女のような振舞いに嫌悪感を抱き、ムッと表情を曇らせた。もっとも、そのような感情の発露こそ年頃の童女の如きとは気付いてはおらぬようだが。

「ふう・・・もう、ダメ」

 そんな久秀とは対照的に、ミルシはフラフラと自身の思うがままに正直にそう吐き出すと、鎧姿のままバタリと藁山へと倒れ込む。

「待てミルシ、そこは儂の場所じゃ!」

「ダメ、イヤ、寝ます・・・ぐう」

「馬鹿者、休みならせめて鎧は脱がぬか!」

 そう言うと、久秀はぐったりと藁に埋もれて横になるミルシの腕を取って土間へと転げ出す。ドチャリと投げ出されたミルシは「ぐえ!」とヒキガエルのような声を上げる。

「うう・・・土埃だらけです」

「お主が阿呆をしよるからじゃろう、間抜けめ」

「だってえ・・・」

「だってもヘチマも無いわ。ほれ、今日の水汲みはお主の番じゃろう。キリキリ動けぃ!」

 無慈悲な悪口雑言のオンパレードだったが、それに反駁する元気も無いミルシは「ヘチマって何なんですぅ?」と呟きながら、渋々と鎧を脱いで廃屋の片隅にキチンと立てかける。

 そして、ノソノソと外に水を汲みに行く彼女の背中を、久秀は腰に手を当てて憮然とした表情で見送った。

「まったく・・・最近の若い衆は」

「はは、それを今の貴女が言えば滑稽なだけですよ?」

「五月蠅いわい」

 しかし、果心は気付いているが久秀は気付いているだろうか。さっきまでの曇らせた顔に刻まれた眉間の皺が、跡形もなくなっていることに。

「知らぬは本人ばかりなり、ですねぇ」

「何がじゃ?」

 そう、どこからか聞こえてくる声に眉を顰めさせた顔も、すっかり元通り。

(・・・いやはや、思ったよりも良い縁でしたね、この小娘は)

 そのどちらからも怒られそうな思いを口に出すほど、流石に果心は無分別では無かった。

 

「では、軍議を始める」

 夕餉の後、久秀は厳かにそう切り出した。

「グンギって?」

「・・・お主らの言葉で言えば、作戦会議かのう」

 出鼻を挫かれて、思わず久秀の口からは深い溜息が零れ、どこからか果心の愉快そうな笑い声が響いた。

「だって・・・知らないんだからしょうがないじゃないですか」

「知らぬで済めば、この世に咎を受けるものはおらぬわ。・・・・・・しかし」

「しかし?」

「いや、よい。それよりも、じゃ。まずは・・・この地図を見るのじゃ」

 どこか誤魔化すように視線を泳がせつつ、久秀はルックから1枚の地図を取り出して広げた。絶対に何かあるリアクションだが、こういった時に果心が反応しないのはそんな場合じゃ無いか『その方が面白いから』だと知っているミルシは、取り敢えず黙っておいた。

「これは・・・大きな建物の」

「うむ。暇が無い故こちらから言うがの。これは儂らが攻め込む先、リファンダム離宮の見取り図じゃ。果心」

「はい。昨日から探知の術を使って探って見た結果と突合しても、そこまで大きな違いは無いようです。もっとも、流石に内部を覗き込むことは叶いませんでしたから、そこについては分かりませんが」

「構わぬ。少なくとも外郭と出入口の位置などが変わってなければ策の立てようはある」

「・・・なんか、私へと態度が違いません?」

 先ほど、理不尽な言いようで謗られたミルシは、そう主張しつつ半眼で久秀を睨みつけた。

「儂が必要と思う情報を仕入れた上で出来ぬことは出来ぬと申すことと、無知を晒したことを同一視するでないわ」

 もっとも、言いようが理不尽である自覚はあるので「たわけ」とまでは流石に久秀も口にしなかった。

「して、ミルシ。どう見る?」

「どうって・・・ええと、正門の周りは流石に広いですね。それに比べてこの裏門周りは川もあり木々もありで、隠れる所が多そうです」

「ええ、正解です」

 正解。その言葉が嬉しかったのか、座ったままピョコンと跳び上がったミルシは喜色ばんだ顔で更に切り出した。

「じゃあ、攻めるならこの裏門からってことになりますね!」

「残念、外れ」

「ええ。一般的には違いますね」

 が、そこに冷や水の如くピシャリと「不正解」との言葉が投げかけられる。

「何でですか!話の筋だとそう・・・」

「たわけ。隠れる所が多いということは、敵が潜んでおるのをこちらも見つけ辛いということなんじゃぞ」

「あ・・・じゃあ、待ち伏せにあったら」

「そういうことです。それに、ここの周囲には隠れる所は多いですが、そこに至るまではそうはいかないでしょう?」

 つまり、敵からしてみればこちらが裏門まで移動するのはモロバレであり、それは潜んで迎え撃ってくれと言わんばかりの愚行である。

「じゃが、目の付け所は悪くない。若し敵の目を正門に引き付けておける手が用意出来るのなら、それでも良かろう」

「・・・そ、そうですか!?」

 途端にパアと表情を明るくするミルシに、「調子に乗るでない」と小石が飛んでくる。

「それにの、ミルシ。お主、自分で言っておいて気が付かぬのか?」

「な、何がです?」

 涙目でそう問い返すミルシに、久秀は「これじゃ」とピシピシと裏門の前に記された川を棒で指した。

「川を渡って攻め込めば、退くのは困難となる。よってよっぽどの場合でもない限り、敵前で渡河することは戒めるべきなのじゃ」

「もっとも、この川は歩いて渡れるほどの浅さですけれどね」

「じゃったとしても、川底は歩いて渡るには厳しかろう。避けるべきと考えるにおいては変わりないの」

 先ほどミルシが言ったような裏門からの襲撃や敵前渡河などの成功例は、確かにある。だが、それは飽く迄例外的な勝利であるからこそ記し残されているのであり、生兵法家は得てしてその下に沈み礎となっている数多の失敗例を忘れてしまう。

「畢竟、戦いは正攻法が一番強く、一番手堅いのじゃ。憶えておくとよいぞ」

 もっとも、正攻法での成功の礎となって沈んでいるのは、数多の犠牲となった兵卒の命であろうが、それは今言うべきことでは無い。

「はぁい。でも・・・じゃあどうするんです?」

 だからと言って、じゃあ正門から攻めるのが正解で無いことはミルシにも分かる。

「じゃの。そもそも城攻めはすべきでないと兵法には記されておるからの。何とかしておびき出せぬかと思うたが・・・」

「ええ、敵もさる者。周辺に配置してあったと思しき斥候や物見の兵は動かしているようですが、肝心要の離宮からは出陣してきておりません」

「そうかの」

 久秀たちへの依頼は飽く迄、巣くうグールを打ち倒して離宮を解放することで、それには召喚し使役する魔術師の殺害、若しくは無力化するのが一番だ。勿論、離宮へ乗り込んでグールどもを塵殺しても目的には適うが、クリスフトもそんなやり方は期待してはおるまい。

 だから若し、離宮から軽々に兵を出すようならその内に自身で出陣してこよう。そう久秀と果心は考えていたのだが。

「敵の魔術師とやら。どうやら、兵法のイロハのイは知っておるようじゃな」

「怪物を操る以上、用兵の知識も必要、ということでしょうか」

「かもの」

 そのあっさりとした言い方に、ミルシは「えー!」と大きく肩を活からせる。

「あれだけ頑張ったのに、無駄だったってことですか!?」

「そうは言っておらぬ。少なくとも、これで敵の魔術師も儂らの存在を理解したであろう。のう?」

「ええ。『ぐうる』を打ち倒し続ける連中が居座っていることは、まず間違いなく」

 少なくとも、ただの迷い込んだ旅人であるという線は消えたはずだ。

「それって・・・良いことなんですか?」

「勿論じゃ。逆に訊くがの、ミルシや。お主が村に住んでおった時を思い出すのじゃ」

「は、はい」

「そこで、じゃ。毎夜毎夜、お主の家に悪戯を仕掛けてくる奴がいたとする。そしてある晩、ようやくそれらしき人影を見た。たれば、お主はどうする?」

 その問いかけに、少し考える素振りを見せたミルシだったが、出た回答は、

「走って、引っ捕えます」

 という、なんともシンプルで彼女らしいものだった。しかし、久秀はその答えを聞いて満足そうに頷く。

「じゃろう。では、そういうことじゃ」

「?」

 まだ意図が掴めず小首を傾げるミルシに、久秀は真剣な顔になって告げる。

「では、評定はこのくらいにしておこうかの。あまり時間も無いしの」

「時間?」

「ええ。松永殿は・・・」

「黙れと言っておる。まず、攻め手と考えておるのはこの、裏門じゃ」

「ええ!?だってそこはさっき・・・むぐ!?」

 ミルシに対して散々に駄目出しされて、否定された裏門への攻撃という提案に思わずいきり立つ彼女の口を、どこからか降り落ちてきた木の葉がペタリと貼り付いて塞ぐ。

「すまんの」

「いえいえ。では、続けて下さい」

「うむ。じゃがミルシの言い分も良う分かる。言ってることが違うというのも、な」

 その言葉に、ミルシは封じらえた口をムグムグとさせながら首を大きく縦に振る。

「じゃが、逆を言えば、じゃ。先に挙げた不利な点をそのままひっくり返せば、儂らに有利な点として使え得るという訳での。まあ、要は『兵は詭道なり』と、そういうことじゃ」

 そう言って、久秀はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

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