第9話 相思相慈

「・・・ふむ」

 仄かな蝋燭の灯りの中、男は顎に手を当てて思案顔を浮かべた。

 いつ芯切りをしたのだろうか。その獣脂蝋燭の芯はすっかり露出し、不完全燃焼を起こした蝋燭はブスブスと常人には耐え難い煤と匂いを撒き散らしているが、男は一切頓着することなく地図を眺めながら思案を続ける。

「南方の哨戒部隊がここ数日で3コ・・・いや、今日で4コが全滅とは。ただの迷い子では無い、か」

 屋根に付いた後に落ちてきた煤をマーカーのように地図上に置き、状況を俯瞰する男の様子は、まるで一端の参謀のようだ。

「グ・・・グ・・・」

「ああ、その必要は無い」

 灯りの届かない部屋の隅からかけられた声とも呼べぬような呻き声に丁寧に返事を返しつつ、男はそっと瞑想するように瞳を閉じる。

「ん・・・良し。これで夜明けまでには元通りに蘇るだろう。いや・・・お前たちグールなら、復活すると言う方が正しいか?」

「・・・グ」

「そう言うな。それにしても・・・」

「グ?」

「その手合いが俺への討伐軍か単なる勇者志望者か、はたまた本当ただの通りすがりか。それを調べねば取るべき方策も変わってこよう」

 そう、リファンダム離宮を占拠した魔術師、ボッリーシ=ルフガウは独り言ちた。


「ああ・・・くたびれたのう」

 キイ、と朽ちかけた木戸を押し開けて廃屋の中に押し入った久秀は、そのまま積まれた麦藁の山に倒れかかった。

「ふう、善哉善哉」

「ちょっとダンジョーさん!そんな不用心に!」

 慌てて走り寄ろうとするミルシを、麦藁からピョンと顔を出した果心が「まあまあ」と宥め抑える。

「危うい気配があれば、小生が噛みついてでも押し留めますよ」

「・・・ですか」

 ええ、と頷いて見せる果心に、得心はいかないが理解は出来たミルシは不満そうな顔で「・・・はい」と頷いた。

「ほっほ、大丈夫じゃから、こんなことをしておるのに。心配性じゃのう」

 だが、革鎧を緩めて警戒を解いたミルシはしかし、その吊り上がった眦のまま久秀を仁王立ちで睨めつける。思わず久秀は「な、なんじゃ?」と問いかけるがそれには答えず、ただ一言。

「・・・で」

「で?」

「で、です。ダンジョーさん・・・言うべきことがありますよね?」

 その剣幕に流石の久秀もむっくりと上体を起こす。

「はて、何じゃろうな?さてさて、夕餉の支度でも・・・」

「正座!」

「・・・すまんかったの」

 チンと腰掛けさせられた久秀は、そう言って頭を下げた。礼をするなら礼節に則って胡坐を組んで行いたいところだったが、生憎とこの地において胡坐座りは礼を失する振舞いらしい。

(・・・儂としても、このような童女か端女の如き振舞いは本意では無いがの)

 だが、それがこの地における礼節とあれば止むを得ない。それに、そう心で思うのは勝手だが、今の久秀はその『童女』に相違ないのだから不似合いも何も無い。

「まったく・・・まあ、仕方無いですけどね。今までダンジョーさんが簡単そうに言った仕事ほど、こんな風にアテが外れっぱなしでしたから」

「はは、同感です。松永殿は昔から勘の当たる方では無いですからね」

 だが、果心までミルシの側でそうほくそ笑んでいるのは如何なものか。

「おい、待て果心。貴様はこちら側じゃろう」

「ご冗談を。戦況判断は貴女の独壇場でしょう、弾正小弼殿?」

「下手な洒落を申すな。・・・ま、良いわ。それより・・・」

「ええ、まずは安全の確保ですね」

 その果心の言葉と共に、廃屋から村落の周囲を見えない幕のような、壁のようなモノが覆った、そんな気配をミルシは覚えた。

「相変わらずの、腕の冴え。では・・・どうしたミルシ?」

「いえ・・・なんだかこう・・・落ち着かなくて」

 無意識のうちに二の腕を擦りつつ、キョロキョロと周りを見渡すが、やはりその眼には何も変わったところは見られず、上を見ても朽ちた天井から夕闇の空が覗いている。なのに、

「なんでしょう。こう・・・仕切りがあるようなこの感覚が、その、どうにもこうにも居心地が悪くて」

「ふむ、周りの状況の変化に敏い狩人なればこその違和感じゃろうな」

 しかし、こればかりは慣れてもらうしか無い。

「まあ、気にするでない。それより・・・」

「ええ。作戦会議と参りましょう」

 そう言う果心をひと睨みしつつ、久秀はルックから地図を取り出した。

「今日で敵の領域に入り込んで早3日、その間に接敵したのは5回を数えたかの」

「ええ。それも不意の遭遇って感じじゃ無くて・・・何て言うんですかね、こう、キチンとした・・・」

「斥候、或いは守備兵の如く。か?」

「あ、はい!そう、そうです!」

 表現の合致に、ミルシは嬉しそうにパンパンと膝を叩く。

「つまり、敵はただ無秩序に『ぐうる』を蘇らせて徘徊させているので無く、秩序だって運用しているということ・・・でしょうか、松永殿?」

「じゃの。しかし・・・確かにこれは、目算外れも良いところじゃな」

 思わず、久秀はそう言って天井を仰ぐ。崩れかけた藁葺屋根の隙間から覗く空に走った赤い流れ星が「ざまあみろ」と舌を出しているように、彼女には思われた。

「おや、珍しいですね?」

「ふん・・・いくら儂でも、自身の不明くらいには反省するわい」

 それも、そのせいで行程が遅れ、昨日の昼には到着していたはずのこの村落に、やっと辿り着いたのが今日の夕刻。嫌いな野営を余計に1回増やしてしまった自責の念があるのなら尚更だ。

「話を戻すぞ。で、この村落から離宮までは、距離だけなら目算で半刻もあれば辿り着けるじゃろうが・・・」

「でも、ここまでで既にこんなに警戒が厚いんなら、ここからはもっと・・・」

「うむ、相違なかろう」

 神妙な面持ちで、頷く久秀。

「しかして、日中の行軍は危ういが・・・仮に、夜間に移動して離宮まで辿り着いたとて・・・」

「ええ。離宮が敵の根城である以上、そこにはより多くのぐうるが詰めているのは必定。加えて周囲の警戒に出ていた他の手勢を纏められて、後背を突かれれば・・・」

「負けるは必定、と。これは困ったのう」

「ええ、困りましたね」

「・・・あの」

「何じゃ?」

「その・・・結構深刻な話をしてると思うんですけど」

「けど?何でしょう?」

「なんでそう・・・楽しそうなんです?」

 そのミルシからの質問に1人と1匹は揃って首を傾げ、そして1拍を置いて揃って笑いだした。

 そして、ひとしきり笑い終わった久秀はその光景に思わず唖然として後ずさっていたミルシへ優しく語りかける。

「ああ、心配せずとも良い。別に気がふれた訳では無い。じゃが・・・」

「が?」

「なんと言うかのう。端的に申せば・・・やはり、楽しいのじゃろうな」

 無論、彼女たちがいる場所、向かおうとしている場所は戦場だ。楽しんだり、物見遊山をする所では決してない。

「じゃが、それでも。いや、それでこそじゃろうな。命を奪い、奪い合う。その為にあれやこれやを思案し、考案し、批判し、実行する。それが楽しいのじゃろうな、儂には」

 それを、ミルシは分かる気はしない。分かりたくもない。

 彼女にとって命は自然から授かるもの、自然から頂くもの、無暗に狩りとることは慎むべきもの、だった。

 だが、久秀は異なる。目的が他にあるとはいえ争いに口入し、観察眼を以て敵情を察し、智謀を以て敵を・・・殺す。

 それは自身の武勇を振るう勇士や戦士には高名さで及ばず、無辜の民草を守る衛兵や番兵には高潔さで及ばない。無遠慮で、愚かで、惨たらしい振舞いだ。

 だが、しかし。

「だからこそ、かな?」

 それを彼女も自覚しているのだろう。だから他人をただ掌の上で転がすのではなく、自分が表に出て、自分が細工をして、自分が矢面に立つ。体は自身の言う壮健な男性の肉体ではない、儚げなか弱い少女のものなのに。

 だからそれが、やり方は異なれど自身の祖父に被って見えて、だからミルシには認め難くて。

「・・・ほんと、しょうがないんですから」

「何じゃと?」

「何でも無いです!それより・・・取り敢えず、ご飯にしましょう!」

 そう言って、ミルシは廃屋の片隅にある竈へと歩み寄る。罠が仕掛けられていないか、それだけは注意深く観察して、次に状態を確かめる。

「・・・ん、問題無いですね。薪も乾いてますし、煮炊きの道具は一揃いある。火付け道具は持ってきてますから」

「と、なると・・・久方ぶりに暖かい飯が食えるのかの?」

 おお、と少女のように眼を光らせる久秀に、ミルシはそれに負けないような笑顔を返す。

「ええ。材料は限られてますから、せめて腕を振るいます。楽しみにして下さい!」

 せめて、私の手の届く範囲は、私の目の届く範囲では、息災に。


「さて・・・と」

 日がすっかりと沈んだ丑三つ時。パチパチと音を立て爆ぜる竈を背にして、久秀は「うぅん」と背を伸ばして独り言ちた。慣れぬ作業で凝り固まった背中の肉が解れるのが何とも心地よい。

 その左方では毛布に包まったミルシが「すいよすいよ」と心地よい寝息を立てており、それを肩越しに見遣った久秀はどこか慈愛に満ちたような笑みを浮かべた。

「終わりましたか」

 そして、そんな久秀の膝にそっと近づき語りかけるのは、いつもの通り果心居士。

「まあの。しかし、まさか戦場で符を作る羽目になるとはのう」

「まあ、ここまでの行程で少々使い過ぎましたし。それに、松永殿は小生と違って、符が無いと正真正銘の役立たずですから」

 その直言に、久秀は「言うのう」とクツクツと喉で笑う。

「まあ、その通りじゃがの。それより果心、敵情はどうなっておる?」

「そうですね、まず久秀殿の見立て通りかと」

「かの」

 そっと顔が出ないように窓から注意深く外を伺っても、そこに見える火の光はリファンダム離宮に煌々と灯る灯り以外にはポツポツとその周囲に浮かぶ松明らしき灯りばかり。

「一応、この廃屋には小生の方で人除けの術と幻術をかけておきました。仮普請ですが、少なくとも2~3日はバレないでしょう」

 ふむ、と久秀は軽く頷いて折りたたんだ地図を広げ、そしてもう1枚、渦中のリファンダム離宮の見取り図を横に並べた。

「この地勢と建物の構造から判断するに、やはり正面突破は難しいのう」

「当たり前でしょう。正面攻撃なんて、城攻めでも最も不条理なやり方ですよ」

「そして、最も堅実なやり方でもあるがの。死人以外は被害が少ない」

 成程、故人が『城攻めは下策、厳に慎むべき』と書き残す訳だ。

「でも・・・いや、だから、でしょうか?それはなされない、と」

「当たり前じゃ。儂を誰じゃと思うとる」

 しかし、逆を言えば古今東西城攻め無くして戦場無しと言われるほどにありふれた行為が『城攻め』『攻城戦』である。先の籠城戦も敵の側からすれば攻城戦だ。

 そもそも、久秀の治めていた大和は筒井と越智の抗争の中で大小の城や砦が乱立させられていた人外魔境。久秀自身も数多の戦闘を繰り広げる中で落とした城は数知れず、城攻めは彼女にとって難解ではあるが不可能では無い。

「まあ、投降や離反は期待できぬが・・・やってみせようぞ」

「ええ。それでこそ、天下の梟雄松永久秀です」

「・・・儂を、美濃の斎藤や備前の宇喜多と並べるでない」

 主君に仕え尽くしたという自負のある彼女にとって、主殺しすら意味するその称号は甚だ許容しかねる扱われなのだ。もっとも、それをいけしゃあしゃあと言う果心は間違いなく、その心を分かった上での放言だろうが。

「兎も角、明日と明後日はここを拠点に、敵の数を減らす。儂らが離宮を落とす腹積もりであることを分からせねばならんからの」

「それが、策で?」

「その第一歩、じゃな。あとは韓信の策を流用して・・・ふあ」

 台詞を遮るかのように久秀の口から大きな欠伸が飛び出し、目尻からは涙が溢れる。

「ううむ・・・どうも眠くて叶わん」

「当然でしょう、良い子は寝る時間です」

「儂は子供では・・・あふ」

「やれやれ。見張りは小生が引き継ぎますので、どうか松永殿はお休みください」

「そう・・・するかの」

 星と月の具合から、夜明けまではまだ暫くありそうだ。大きく伸びをした久秀はノソノソと眠そうな目を擦りながら藁山の方へと向かう。

「・・・しかし松永殿」

 しかし、寝ろと言ったにもかかわらず、果心がポツリその背中へと話しかけた。

「何じゃ?」

「意外ですね」

「何がじゃ?」

 とぼけていらっしゃる、コロリと果心は笑いを喉で転がした。

「ミルシ嬢のことです。いくら巻き込んだという負い目があるとは言え、その」

「過保護が過ぎる、と?」

「そこまでは。しかし、従前の貴女なら・・・ここまでの付き合いとなる前にさっさと見捨てたはずです」

「確かに・・・甘くなった。その自覚はあるわい」

 ククと、久秀は自嘲気味の笑みを漏らす。あの時、初めて彼女と会った時の出来事は久秀の中でも随一に破天荒で、且つありえない振舞いだったはずだ。

「じゃがな。それだけでは無い」

「と、言うと?」

「あ奴、ミルシじゃがな。何と言うか・・・似ておるのじゃ、彦六の奴に」

「御子息の久通殿に?」

 クイと首を傾げた果心に、久秀は「ああ」と短く首肯した。

「無論、顔も違えば性別も違うがの・・・何というか、あの『思い立ったら一直線』なザマと、コロコロ変わる顔色とが・・・」

「思い起こさせる、と。確かに・・・久通殿は貴女の息子とは思えぬほどに、感情豊かな若者でしたね」

「じゃの・・・・・・どういう意味じゃ?」

「まあまあ、良いではありませんか」

「まったく」

 今は遥か彼方となった思い出を振り払うかのように被りを振る久秀だったが、ふと思い出したようにポツリと呟く。

「ところで果心。あの時、あの城におった者は・・・」

「討ち取られたか、捕虜となったか。少なくとも、よっぽど近くにいなかった限り、小生の術に巻き込まれはしないでしょう。つまり、貴女の息子は・・・」

「まあ、進んで虜囚になりたがる男で無し。死んだのじゃろう」

 だが、一握の期待があるのも事実。久秀が仕事と称して各地へ伺うのは勿論元の日ノ本へ帰る手段を見つける為でもあるのだが、同時に「若しや・・・」という儚い希望が捨てきれないからでもある。

 それだけは果心にも笑わせないし、果心もそれだけは笑わない。

「それと・・・・・・邪推をしておるかもしれぬ故に言うておくがの。じゃからと言って儂は別に、この娘が彦六じゃとか生まれ代わりじゃとか、そう見ておる訳でも無いからの」

「ほう・・・では?」

「うむ。見てはおらぬ、おらぬのじゃが・・・ああ、やはり未練じゃろうな。ついつい世話を焼きたくなるのも、出来るだけ、道を示してやりたいのも・・・笑うか?」

 そう問われ、「ハハ」といつもの調子で笑う果心の傍へ、久秀は指で軽く弾いた小石を打ち込んだ。

「本当に笑う奴があるか、阿呆め」

「これは失敬。・・・ですが」

「が?」

「まあ、良いことではありませんか。人の親としては」

「・・・・・・かの」

 そんな2人の眺める先に、再びキラリと今度は1条の青い星が流れる。まるで、誰かの目蓋から溢れた1筋の滴のように。

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