第7話 転移無飽

「さて・・・」

 表門を出た久秀は、周囲をぐるりと見渡してそう呟いた。

「さて、どうします?」

「頭上におるからと言うて、一々独り言に反応するでない。それにしても・・・」

 無遠慮な果心を窘めつつ、久秀は辺りに広がる光景に目を細め、小さな嘆息を漏らす。

「戦の始末とは、どこの地においても変わらぬ・・・か」

 久秀たちにとっては既に過去の出来事となった籠城戦だが、現在もその後始末は続けられている。敵の撤収が3日前なのだから、考えてみれば当然の話だ。

「・・・ミルシ、あまりジロジロと見るでないぞ」

「ですか?」

 ここまで大規模な戦闘は初めてだったのか、物珍しそうにキョロキョロとしていた彼女を、久秀はピシャリと窘める。

「見世物ではないからの。それに・・・お主は慣れるべきではない光景じゃ」

「ダンジョーさんは・・・」

「まあ、そうじゃの」

 久秀は面白くなさそうに言葉を濁す。

 実際、戦終わりの光景は京も大和も、この地も代わり映えしないものだ。

 敵がうち捨てて行った雑多な野営具は、追撃防止の為か皆一様に火がつけられた後らしい。ブスブスと煙を漂わせていたが、そこからは物が焼ける臭い以外の嫌な臭いも漂っている。

 それらの処分を行わせられている、そのあたりの地面へ座り込んでいる衛兵。

 おそらく戦死者を埋葬地まで運ぶのであろう、死臭を漂わせて走り去る馬車。

 そして、それらを一時保管している場所で親しき誰かを見つけたのであろう、蹲って滂沱の涙を流す者。

「いやはや・・・諸行無常。或いは国破れて山河在り、ですか」

「じゃから、頭を読むでないと言うに。それに、居候なら大人しくしておれ」

 自身の頭髪に紛れてもぞもぞと動く果心に、久秀は「むず痒くて叶わん」と頬をヒクヒクさせながら囁くように伝える。隣にミルシがいるとはいえ、聞かれて嬉しい会話では無いし、意味も分かるまい。

 もっとも、それも無意味な警戒だろう。何故なら彼女たちがそんな渦中をズカズカと通り過ぎているにもかかわらず、そこにいる誰もが咎めるどころか見ることすらしない。まるで、路傍の石の如くだ。

「どうです松永殿。小生が得意中の得意と申した『人除けの術』、まんざら嘘でもなかったでしょう?」

「お主の腕を疑うては、初めからおらぬ。・・・もっとも、これだけの腕を悪ふざけにしか使わぬから、禰衡より尚始末が悪いのじゃがな」

 因みに、禰衡とは三国志に登場する多才なディスリ野郎である。

「私としては・・・ちょっと、落ち着きませんね、コレ」

 両手で二の腕を擦るミルシに、久秀は「もう少しの辛抱じゃ」と慰めるように語りかける。

「城壁の上から見た限りでは、もう一寸・・・あ、痛!」

「ど、どうしました!?」

「どうもこうも。草履の中に何かが・・・・・・何じゃ、これは?」

 涙目になって久秀が自身の草履に入り込んだ物体を拾い上げて見れば、

「鏃、か」

「ですね」

 それは、極々一般的な鉄製の鏃だった。無残に焼け焦げていることと矢柄の一部が付いていることから、都市側から射られた矢のなれの果てだろう。

「怪我はありません?」

「む・・・うむ、大丈夫じゃ。じゃが、こ奴め」

 それを久秀は初め憎らし気に睨めつけていたが、何を想ったかそれを懐の中に仕舞い、服の上からポンポンと叩いた。

「・・・松永殿、そんなもの持って帰ってどうするんです?」

「それに、ばっちいですよ」

 そんな言葉の十字砲火をものともせずに突き進んだ久秀は、やがて身の丈3倍ほどの大岩に突き当たった。

「ここが?」

「うむ。ちくと待っておれ」

 そう言って久秀はルックの外ポケットから白墨を取り出して、何かをカツカツと岩の表面へと書き記していく。迷いなき筆運びで記される白線は、やがて何やら一つの模様を描き出した。

 それを「・・・ふむ」と満足したように一瞥した久秀は、次に懐から岩に描かれたものと似たような模様が描かれた楔形の木札を4枚取り出す。そして、それを岩の模様の四隅へと打ち付けた。

「ああ、なるほど・・・・・・あれ、ですか?」

「うむ。お主の想像しておるもので、間違い無かろう」

「・・・やだなあ」

 そう、ゲンナリと肩を落とすミルシに、「まあ、諦めましょう」と果心が口だけは励ますような言葉を投げかける。もっとも、声のトーンからその本心が別の所にあるのは誰でも分かろうが。

「さて、では・・・少し離れておれ」

 言われるまでも無く脱兎のように手近な残骸に身を隠すミルシに苦笑いを浮かべながら、久秀は「むん」とその木札へと念を込める。

 すると、何ということだろうか。岩は丁度その模様の真ん中から真っ二つにクレパスのような割れ目が走り、やがてそれは人ひとりがやっと入り込めるくらいに広がっていった。

「・・・ああ」

 思わず吐息を漏らすミルシを他所に、久秀は頭の上の果心ごと割れ目へと近づき、その中へスッと右腕突っ込んで中を撫で回す。

「ん・・・良いの、成功じゃ」

「ええ・・・成功ですかぁ。・・・・・・止めません、それ?」

「阿呆を申せ、何里あると思うとる。呆としとると置いていくからの」

 そう言い残して久秀は、その隙間へと身を捩らせて潜り込んで行き・・・そして、いなくなった。

「ああ、もう!」

 そして尚、頭を掻きむしって逡巡するミルシであったが、そうしてばかりもいられない。松永久秀という人物は腹に一物どころか2つも3つも抱える男―今は女だが―であるが、1つ確かなことがある。

 それは、言葉に出したことに嘘は吐かないことだ。で、あれば。

「しっかた無い!行くぞ!」

 いくら嫌いでも、こんな所に置いていかれるよりは遥かにマシだ。そう覚悟を決めたミルシはルックを手に持ち換えて久秀と同じように岩の隙間に潜り込み、そして。

「わ!」

 言い得ぬ落下感が、彼女を襲った。


「ん?」

「おん、どうした?」

「いや、あそこに誰かいなかったか?」

「ハハ、馬鹿だなあ。あんな岩ん所に一体誰が・・・うを!」

「おお!おい・・・あれ」

「ああ、見たぞ。・・・爆発したな、岩」

「何だったんだ?いや・・・見てなかったことに」

「おお、そうしよう。そして・・・さっさと仕事終わらせちまおう」


「うう」

 ピタピタと感じる岩の感触に目を覚ましたミルシは、また気を失ってしまった自分に嫌気を差しつつ、明かりがする方へと這い出て行った。入った時とは異なり彼女が触る岩の表面には所々に苔のような湿った感触が触る。

 そして。

「よっこいしょ・・・と」

 最後、いっとう狭くなった箇所を服を汚しながら通り抜けると、そこはさっきまでの夢の跡とはまるで違う光景が広がっていた。膝丈くらいのイネ科の草が生えこびる中にポツンと建つ一軒家。

「お、来よったの」

 そして、その草の中に立つ久秀は、彼女の気配にそう語りかけてくる。

「来よったの、じゃないですよ。・・・ああ、服がベチャベチャ。気持ち悪いし、手は痛いし、せめてもうちょっと広くなりません?」

「善処するかの」

 そのまったく気の無い言い方に、ミルシは怒る気力も無いのか肩と眉尻を落とす。

「しかしの、ミルシや。お主はそうブツクサ言うがの、この転移の方術が無ければここまで1両日では足りぬのじゃ。主らの諺で『時は金なり』と言うじゃろうが」

「それと、私の気分が悪いことは関係ありませんよぅ・・・」

「まあまあ、それは転移における副作用みたいなものですから」

 『転移の術』とは文字通り、ある場所と離れた別の場所とをえにしで繋ぎ移動する方術のことである。一度縁を結べば永久に使用できるのだが、今回は都市に近すぎて目立つため爆破した次第である。

 今から遥か未来にはワープとして星間移動すら果させる技術となるが、その時分でも酔いをもたらすことだけは改善できなかった。

 閑話休題。

「それにの・・・そもそもこの術を用いねば、ここに近寄ることすら出来ぬのじゃぞ?」

 自慢げに告げる久秀に、頭上の果心も「ええ」と素直に同意する。

「何せ、この一帯にかけた人除けは人の精神に関与するものですから。よほど強固な意志を以て探さない限り、まずここに近寄ることすら出来ないでしょう。小生の自信作です」

「ですか」

 今度は、ミルシが気の無い返事を寄越す。勿論、彼女だって果心の術の凄さは身を以て実感している。しているのだが、果たしてここに誰も近寄らないのが術のお陰か、ここに招かれてからよりそこへ素直に頷けないでいた。

 何せ、先ほど描写した通り一軒家の周りには丈の高い雑草が生えこびっており、その中の数か所を伐採して畑を作っているが、それも猫の額くらいのものだ。

 そして何より、その一軒家だ。留守なので全ての窓の蔀が閉じられているのは、まだいい。ただ、その蔀がかかる窓が必要なのかと疑いたくなるほど土壁はあちらこちらが崩落しており、壁の意味を成していない。加えて板張りの屋根はすっかり腐りきっているのか真ん中が大きく陥没して、いつ穴が開いてもおかしくない状態だ。

 つまりところ、そこに立つのは雑草に囲まれた廃屋である。果たして、誰が好き込んで近寄ろう。

「それにしても・・・相変わらず、人の住むところじゃありませんね」

「まだ言うか。ホンの見かけばかりじゃと言うておろう」

 当然、見栄坊で気位の高い久秀がこんなボロ屋に住める訳も無く、彼女の言う通りこの外観も幻術で見せかけたハリボテに過ぎない。

「でも・・・そんなに言うほどの魔術を使って人が来ないようにしてるんなら、こんな見た目にしなくても。趣味ですか?」

「馬鹿者!な、訳無かろう。物事、何事にも万一があろうでな。全ては『備えあれば憂いなし』じゃ」

 精進が足らん、とミルシへと言い放ち廃屋へと近づいて行く久秀であったが、その頭上の君子だけは知っている。

 こんな外観にしているのは、ひとえに彼女の通俗趣味と数奇趣味のなせる業だと。


「ほれ」

 多く設けた魔術的ロックを解除した久秀は、ガタピシと立て付けの悪い戸を苦心しながら開けた。尚、この戸の立て付けが悪いのは防壁だとか警戒とかではなく、ただ単に久秀が建てる際に目測を誤っただけである。弘法にも筆の誤りということか。

「中は綺麗じゃろう?」

「いや、知ってますけど?」

「何じゃ・・・張り合いの無い」

 面白くなさそうにそう腐す久秀であったが、事実として幻術を剝ぎ取った室内はその見せかけの外観からは想像すらできないほど整理が行き届いていた。

 室内は8畳ほどの板間と4畳ほどの水回りに分けられており、板間の方は更に2畳くらいの小上がりとなっている。更に、その奥には物置代わりの地下室への階段がある。

 調度品も違い棚と衣紋かけ、折りたたんだ布団にそれを隠す衝立とシンプルに纏められており、唯一ミルシが持ち込んだパッチワーク作りの大きなクッション以外変わったものは無い。ただ一ヵ所、小上がりの上が座卓と散らばった木片紙片に筆小刀と少々乱雑に散らかって見えるが、そこは久秀が符や札を作る作業スペースなので仕方が無い。

 当然、水回りも大小の笊や籠、煮炊きの道具が大きさ順に積み片付けられており隙は無い。流石に雪隠や井戸は屋内に無いものの、それはこの世界の一般住宅としては普通なので、彼女たちのような風来坊の住まいとしては上等の部類である。

「ふう、あー気持ち悪い」

 革鎧を脱ぎ捨ててゴロンと板間に横になるミルシを、久秀はジッと半眼で睨む。

「休むのは後じゃ。ほれミルシ、お主のルックの中じゃろう」

「はぁい・・・よっこいしょっと」

 渋々といった体で立ち上がったミルシは自分のルックを開けると、そこに仕舞われていた革袋を取り出して久秀の方へと近づいて行った。

 その久秀は違い棚の所に座り込んで、何やらコチャコチャとやっている。

「はい、今回の報酬。置いときますよ?」

「うむ。いや・・・もう開くでの、そのまま持っておれ」

 そう、久秀が言うが早いか。ピンという金属音と共に違い棚の下が押し下がり、ポッカリと口を開けた。

「良し。ではミルシ・・・」

「はいはい。ここに入れて、中のボタンを押せば良いんですよね」

「はい、は1回じゃぞ」

 そう軽く窘めながら、彼女はペタペタと小上がりの所に行くと自身のルックを逆さまにしてその中身を全部ぶちまけた。窘められなければならないのは、果たしてどっちだ。

「さて、飯にしようかの」

「一つ聞きますけど、作るのは?」

「無論、お主じゃ」

 やっぱり、という顔で彼女の自称親友を睨みつけると、その彼は尻尾を丸めて外へと逃げて行った。

「まったく・・・仕方ないですね。じゃあ、せめて地下から保存食と乾燥野菜、あと水を汲んで来て下さい。子供だって、それくらい出来るでしょう?」

「やれやれ、年寄りは敬うものじゃぞぅ・・・」

「つべこべ言わない!」

「はいはい」

「はい、は1回!・・・でしょ」

 独り「つべこべ」と呟きながら、それでも素直に地下へと降りていく久秀を見送ると、ミルシはせめてもの休息とばかりにボスンとクッションに身を預けた。薄く積もった埃が宙を舞うが、そんなものは横になりたい欲求を前に文字通り芥の如くだ。

「ふう・・・つっかれた、あ!」

 うん、と大きく伸びをすると、そこにチョロチョロとさっき逃げ出した果心が姿を現した。

「お疲れでしたね、ミルシ嬢」

「ええ・・・まあ、はい。カシンさんもお疲れ様です」

「これはどうも。しかし・・・」

「しかし?」

「いえ、繰り言ですよ。貴女も懲りませんね」

「?何がです?」

 コテン、とクッションに体重を預けながら小首を傾げる器用なミルシに、果心は肩を竦める(※比喩表現)と、

「これで、あの人に振り回されるのも何回目でしょう。ですから、懲りませんね、と」

「ああ・・・でも、それはカシンさんも同じでしょう?」

「小生は良いのです。小生と松永殿は一心同体、共犯者にして親友の間柄ですから」

「・・・最後のは、カシンさんの片思いでないと良いですね」

 まあ、仮に久秀がそう認めていたとしても、素直に吐露することは無いだろうが。

「ですがミルシ嬢。貴女は違うでしょう?」

「一緒ですよ?」

 その言葉に、果心は「おや?」と首を傾げる。

「一緒・・・ですか?」

「ええ。爺様が死んだあの時から、私とダンジョーさんは共犯者で、親友です。・・・流石に、一心同体じゃないですけどね」

 そう言って、ミルシは自分で言っておきながら照れ臭そうにはにかむが、直ぐに真面目な表情に戻って果心を見据える。

「でも・・・それより何より、一緒にいるのは『放っておけないから』、それが第一です」

 そう、あの松永久秀という人は目的の為には自分の命を度外視するところがある。それが、あの人個人の問題なのか、あの人がよく言う『武士』だからなのか、それはミルシには分からないけれど。

「だから・・・折角仲良くなったのに、そんなのでうっかり亡くなれたら悲しいじゃないですか」

「・・・損な性分ですね、それ」

 その意見に、ミルシは「そんなことないです」と即刻否定する。

「それに・・・それは、カシンさんもそうでしょう?」

「いえ。小生はひとえに、あの方は見ていて飽きないからですよ」

「素直じゃないですね。ホント・・・面倒臭い人たちです」

「成程・・・松永殿とお揃いとは、小生も高く買われたものです」

 しかし、果心は満更でもない風にチチチと笑い、それに釣られてミルシも「ふふ」と顔をこころばす。すると、

「おおい、ミルシや!手が足りぬ!」

 そう、地下から叫び呼ぶ声が聞こえて。それがまるで、2人が仲良く話しているのを羨んで、拗ねて話しかけたようなタイミングに思えて。

「ふ・・・ふふ」

「はは、ははは」

 思わず、2人の口から笑いが漏れた。

「ふう・・・さて」

「ええ。あまり等閑にして放っておくと、松永殿は本気で拗ねかねませんしね」

「はい。・・・はーい、今行きまーす!」

 そう元気よく返事すると、ミルシはピョンと立ち上がると「では」と果心へ言い残し、地下へと向かって歩き出す。

 そして、その背中をしばし眺めていた果心であったが、

「・・・本当、良き人に出会われましたね、松永殿」

 そう、微かな声で独り言ちると、ペコリとその背中へ向かって礼をした。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る