第5話 智者嵌策

「・・・・・・・・・・う?」

 ポツリと頬を打った水滴で、久秀は目を覚ました。どうやら、またあの夢を見ていたらしい。

(懲りん・・・の)

 あの信貴山城から果心の術でこの地へ来て幾星霜・・・と言うのは些か表現が過ぎるか。彼女は幾度となく、あの初めてこの体となった時のことを夢に見るのだ。

 特に、今回のように夢見の悪かった時は、必ず。

(しかし、此度は・・・ああ、いかんな、これは・・・)

 薬のせいか、この血の巡りの悪い体のせいか、はたまたその両方か。まるで深酒をした次の朝のように頭が重く、まるで脳みそを薄い膜で包んだような未覚醒感が気怠く久秀を苛む。

「・・・・・・む?」

 と、その時。彼女の顔に落ちた水滴を何かが拭う。そしてそっと、まるで慈母のように彼女の頭を撫でるではないか。

 まるで孺子扱いのようだが、そのお陰だろうか。久秀の体を蝕んでいた悪酔感は微睡むような心地よさへと変わり、久秀の喉からは「・・・ふふ」と小さな笑いが漏れた。

「あ、起きましたか?」

「・・・・・・んん」

 薄ら薄らと瞼を持ち上げ、やがてパチパチと瞬かせて覚醒させた視線の先には、人好きのする微笑みと鳶色の瞳が彼女へと向けられていた。

「・・・ミルシ、かの?」

「はい。おはようございます、ダンジョーさん」

「むう。お主、いつから・・・」

「私が起きたのも、ついさっきですよ。やっぱり薬って、体が小さい方が良く効くんですね」

「薬?・・・・・・そうじゃ!」

 ようやくマトモに働きだした思考により久秀が眠りに落ちる直前の光景がフラッシュバックし、彼女は反射的にガバと上体を起こす。が、

「まあまあ」

 と、ミルシは久秀の両肩をぐっと掴んで再び寝かしつける。頭に感じる感触とお互いの位置関係から判断するに、どうやらミルシは彼女を膝枕していたようだ。

「折角なんですから、もうちょっと・・・」

「馬鹿を申せ、そんなことをしておる・・・」

 場合か!と面罵しようとした久秀の機先を制するようにミルシは再度彼女の頭を撫でると、

「している場合ですよ」

 そう、薄暗い中でも分かるくらい、満面の笑みで笑った。

「何じゃと?」

 やはりどうも頭の動きが緩慢らしい。

 ミルシに口で負けるという中々屈辱のザマに自身の頭を叩こうとした久秀はそこで彼女に遅れること八半刻、自らの意思を両手に感じる拘束に拒まれたことで、やっと自身の現状を悟る。

「この薄暗い灯りに両腕の拘束。オマケに横を見れば鉄格子、と。ふうむ、ここは若しや・・・」

「はい、牢屋です」

 正解、とばかりにミルシは再び、大きく微笑んだ。


「ふうむ・・・牢屋か。何故じゃろう?」

「そんなの決まってるじゃないですか。ダンジョーさんのせいですよ」

「儂か?」

「はい、ダンジョーさんの、です」

「なら・・・しょうがないのう」

 さっきまでの困惑顔から一転、久秀は呵々と愉快そうに笑うと、膝枕を堪能すべく体の力を抜きその柔肌に頭を擦らせる。傍目で見る分には女の子同士の微笑ましいやり取りに見えるが、生憎とその年若い片方の中身は狒爺だ。

「儂も少々骨を折ったことじゃし、命の洗濯でもさせてもらうかの」

「ですね」

 その囚われの身とはとても思えぬ呑気な物言いに、同じ牢にいる襤褸を纏った男は驚いたようにビクリと体を揺らすと部屋の隅へと体を退がらせる。

「なにせダンジョーさん、この都市に来てからずっと野宿でしたから」

「じゃの。いくら宿屋に泊まれぬ身の上とは申せ、流石にこの老骨には堪えるわい」

「体は私より若いじゃないですか。まあ・・・それに、私としても邪魔が入らない内に、その。少しでも・・・」

「誰が邪魔ですって?」

 ミルシの言葉を遮るように、チョロチョロと現れた鼠が2人へ声をかける。言うまでも無い、果心居士である。そうそう喋る鼠がいて堪るか。

 さっきのやり取りよりこの光景はよっぽど驚天動地だろうが、襤褸の男は驚く気力も無いのか、軽く身を震わせて俯くだけだった。

「果心、おったのかの?」

「ええ。・・・いいえ、嘘です。ついさっき来たばかりですよ」

「無意味な嘘を吐くでない」

「はは。どうやらお楽しみのようでしたので・・・出刃亀をされていたとあれば、どんな顔をされるのか興味が湧きまして、つい」

「つい、では無いわ。たわけ」

 しかし、すっかり興が削がれたのは確からしい。久秀はむっくりと手を使わず器用に上体を起こすと、ジロリと果心を睨めつける。

「で」

「で?」

「で、何ですか、用事は」

 こちらもお楽しみを奪われて立腹気味なのか、どことなく棘のある言葉をミルシはぶつけた。

「用事も何も・・・小生は松永殿と一心同体。それはミルシ嬢、貴女も御存じでは?」

「でも約束が・・・コホン」

 約束?と首を捩じって問いかけてきた久秀に「何でも無いです」とミルシはその首を捩じり戻すと、2度3度と誤魔化すように空咳を繰り返した。

「ま、ええがの。それよりミルシや」

「何です?」

「お主、儂らがこうして投獄されておるのは、偏に儂のせいじゃと申したがの。それは一体、如何なる咎でかの?」

「・・・?そんなの、私が知る訳無いじゃないですか」

「んん?ならば、儂のせいとは・・・」

「嫌ですね、ダンジョーさん。私じゃ無いなら、貴女に違いないじゃないですか」

 平然とそう嘯くミルシに、久秀は思わず手枷を自らの額へと打ち付けた。

「松永殿・・・あの素直な娘をこんなのにして、どう責任をとるんです?」

「それは言うな。儂も・・・流石に悔やんでおる」

 あの時、確かに「面倒は見る」とは言ったものの、ここまで強か者に育つとは流石の久秀も予想外だった。

「まあ、それは冗談としてですね。実際、私たち、何もしてませんよね?」

「本当、強かになったの。・・・しかし、それはお主の言う通りじゃ。儂らはクリ坊の依頼でこの都市へ来て、ポデスタの依頼で裏切り者を暴き出したのじゃからな」

 加えて、今回は籠城戦だったこともあり、どこも燃やしてはいない。

「ああ、若しかして松永殿。今までのあれやこれやの罰を受けたのでは?」

「それは無かろう。お主も知っての通り、儂らがやらかした時の咎は、その折々で投獄されることで償っておる。今更、それを蒸し返すことも無かろうて」

「え、そうなんですか?」

 久秀の言葉を聞いて、ミルシは意外そうに問いかける。

「そうじゃ。そう言えば・・・お主と会うてからは、これが初めてじゃの」

「へえ・・・でも、どうやったらダンジョーさんたちが捕まるんです?あれだけの魔術が使えるなら、捕吏から逃げるのなんて簡単でしょう?」

 その質問に、視線を合わせる為に久秀の頭の上に移動した果心が、いまだ頭が少し呆とする久秀の代わりに答えた。

「それは簡単ですよ、ミルシ嬢。それは道義に反するからです」

「道義?」

 不思議そうに小首を傾げるミルシに「ええ」と続けた果心は、

「小生たちは幾度となくこの地の法度を破って参りました。無論、それは法度を守って何かを見過ごすことが、小生たちの義に反するからであったからですが・・・」

「が?」

「それでも、法度破りは罰せられねばならないでしょう?だからです」

「生真面目なん・・・ですかね、それ?」

 なら初めから破らなきゃ良いのに、と苦笑するミルシに、久秀も同じような表情で笑いかける。

「損な性分なのは承知の上じゃ。じゃが、儂らとて気儘の仁ではおれぬからの。じゃが・・・」

「じゃが?」

 そこで終われば良い話だったのに。

「じゃがの、捕まるのは儂らが定めた『るーる』じゃが・・・それの脱柵を許すは官吏の不明じゃ」

 そう嘯いて、トントンと鳩尾を叩いて口から何かを吐き出した久秀は、一転して悪い笑顔を浮かべた。

「え、えーとダンジョーさん、それは?」

「これか?これは『符』じゃ。この木片に、この地で言うところの『魔術』を封じてある。これをこうして隙間へ差し込んで念を込めれば・・・」

 仕上げを御覧じろ。ポンという乾いた音と共にさっきまで彼女の腕を拘束していた手枷は地面に落ち、ガチャンと激しい金属音が牢に響く。

「とまあ、こんな具合じゃ」

「いや・・・自慢気に言いますけど、ダンジョーさん・・・良いんですか、コレ?」

「じゃから、言ったであろう。脱柵を許すは儂らが悪いのではなく、ここの官吏の手抜かりじゃとな」

 絶対に違う。そんな理屈を堂々と、悪びれもせずに言い放つ久秀に、「間違ってなかった」とミルシは聞こえないように呟いた。

「それに、儂らがおらんくなればその分の食費も助かろう。儂らも時間を無駄にすること無く、互いに益があるのじゃ」

 そう嘯き、「どれ、お主のも外してやろう」とにじり寄る久秀に対して、ミルシは引き攣った笑みを浮かべた。

「どうした?」

 それを見て小首を傾げる久秀に、ミルシはパンと両手を合わせて拝むと、

「・・・ええと・・・その・・・ゴメンナサイ!」

 と、申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。

「いや、お主何を・・・・・・いや、待て。お主その手、手枷をされとらんのか?」

 それを言うならば、今まで散々に頭を撫でられたり、顔を拭われたり、肩を抑えられたりしていたのだから、そこで察するべきではあったが。

「どういうことじゃ、果心!?」

 しかし、縋るような目を向けられた果心は「小生は何もやってませんよ」とばかりにそっぽを向く。

 そして、牢の隅からいきなり、爆発したような大笑いが発せられた。

「ハァッハッハッハァ!成程、成程。そう言うことだったか!」

 そう言って、先まで蹲っていた同じ牢にいた男が顔を上げ、やおら立ち上がる。その突然の事態に久秀も「え?」と唖然とした表情を浮かべたが、

「な、なんじゃ貴様!?」

 直ぐに生来の気丈さを取り戻してその男へと向き直ると、ビッと指を突きつけた。

「俺の名か?」

「そうじゃ、貴様!名を、名を名乗れい!」

 思わず悪代官のような台詞を吐く久秀に、男はフードの下でニヒルに笑う。

「良いだろう・・・と言いたいがな。ダンジョー、俺の顔を見忘れたか!?」

 そう言い放った男は、これまた手枷の無い腕でガバと被っていたフードを外して、その顔を2人と1匹へ露わにして見せる。

「な!・・・・・・き、貴様は!?」

 そして、その顔を見た久秀は驚きで大きく目をひん剥いた。

「く、クリ坊じゃと!?」

「正しくは、クリスフト=イージュケン子爵殿、ですね松永殿」

「と言うより・・・ダンジョーさん、人に指を指してはいけません。失礼ですよ」

 驚き慌てる久秀とは対照的に、ミルシと果心は落ち着き払った余裕の態度であり、そう彼女を咎めるほどだ。

「果心、ミルシ・・・お主らまさか、知っておったのか!?」

 余りの展開に、アワアワと自由になった両手を宙へ躍らせつつそう問うと、ミルシは気まずげに顔を反らす。

「ええ。小生は元より、子爵殿が松永殿へとお会いしたい旨を聞いておりましたので。貴女のように特段、驚くことはありませんよ」

「私は・・・その、目覚めるまではダンジョーさんを好きにしてて良いからって言われて、その・・・」

 平然と「知ってました」と嘯く果心と、良心の呵責に苛まれながら「買収された」と白状するミルシ。そして、その三者三様を愉しそうに観察するクリスフト。

 何のことは無い。とどのつまり、この牢屋の一角は彼が演出した舞台のワンシーンだったということだ。

「な!?・・・ちょ、お主・・・・・・おい!?」

「いや、ですから、良いじゃないですか・・・ちょっとくらい」

「言いわけあるか!」

「・・・静粛に!」

 しかし、そうは言ってもここは飽く迄牢獄の中。他の房には囚人がいる中で、あまりにも牢獄らしくない乱痴気騒ぎに似た喧騒は好ましく無く、流石のクリスフトも面白がってばかりはいられないのだろう。パンパンと良く響く柏手を打ってそう告げると、クリスフトはすっと手を上げて牢の外にいた看守へと合図を送る。

 すると、忽ちに鉄格子はスルスルと開き、入って来た2人の屈強な衛兵によって久秀は両脇から抱え上げらえた。

「おい、貴様ら何を!?」

「ああ、そのままだ。いいかお前ら、逃がすなよ。こいつはこう見えて牢破りの現行犯だ。しっかり押さえつけておけ」

「なあ!?」

 嵌められた。それが分かった久秀の顔からは、サアと血の気が引いていく。

「兎に角、こんな所では話も出来ん。場所を変えるぞ」

「分かりました。では、行きましょうか」

「ええ。流石の小生も、こんな湿っぽい所は苦手ですから」

 ガッシリと抱えられながら移送される久秀とは反対に、ミルシと果心はそれぞれ自分のペースで牢を出て、階段を上がって行く。それを最後尾から眺めつつ、最後の抵抗とばかりに久秀は元凶と思しきクリスフトを半眼で睨めつける。

「おいおい、そう睨むな。綺麗な顔が台無しだぞ」

「ふざけおって。それに貴様、こんな小芝居までして儂らにいったい何の用じゃ!?」

「用?・・・決まってるだろう」

 何を言っている、とクリスフトは小さく肩を竦めると、ペラリと1枚の羊皮紙を久秀の鼻先に突き付けて、言った。

「仕事だ、化物フリークス

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る