第3話 外垢内智
「いやはや、驚きましたよ」
包囲軍の一斉攻撃、そして人知れず大捕り物のあったその次の日、都市の政庁にある応接室では1組の少女たちが招かれていた。
高そうなテーブルの対面にチョコンと座るのはミルシと、彼女にダンジョーと呼ばれていたあの少女。そしてその対面に座って少女へとそう述べるのは誰であろう、この都市の行政を司るポデスタその人であった。
「・・・っと、責任者としては反省よりも先ず、礼を述べるべきでしたね。此度はありがとうございました、魔術師ヒサヒデ・ダンジョー・マツナガ殿」
「構わぬ、構わぬ」
深々と頭を下げるポデスタに対し少女、松永久秀は鷹揚に頷いて見せた。
「しかし・・・まさか、あの若者たちが甘言に弄されるとは。郷里心に篤い、意気のある若者たちのはずだったのですが」
どこか悔やむような口振りのポデスタに対して、久秀はどこか万感の籠った溜息を吐いた。
「じゃから、じゃろうな。包囲されて飢え殺しにされるよりはむしろ、敵に内通してでも町を守ろう。そう考えてもおかしくはあるまいて」
「そういうものですか・・・」
「そういうものじゃ。儂も大和や摂津の国人共にはほとほと手を・・・すまぬ、忘れよ」
紡がれる単語の半分も理解できない繰り言に、ポデスタは久秀にそう言われるまでも無く曖昧に微笑みながら頷いた。
「兎も角じゃ。あの手の国衆にとって、大切なのは郷里であって王国でも無ければ雇われのポデスタでも無いということよ。努々、忘れぬ事じゃな」
見かけは少女とは言え、その中身は老境の古強者。その態度はまこと堂に入ったもので、傍でカチコチに固まっているミルシは勿論、上司たるポデスタよりよっぽど年嵩に見える立ち振る舞いだ。
もっとも、床に届かずプラプラと揺らす足を除いて、だが。
「とまれ、同情は出来ん。いくら郷里が大事だからとて、王国から禄を食んでおいて裏切るとは、とんだ恥知らずじゃ。して、ポデスタ殿。此度の1件、下手人はあれで全てかの?」
「それについては・・・司令官?」
水を向けられた彼の隣に控えていたこの都市の軍司令官は軍人らしく「は」と堅苦しく姿勢を正すと、「分かりません!」と返した。
「・・・おい、こ奴大丈夫か?」
「司令官、流石にそれは・・・」
「ですが!少なくとも行動に起こしたのはあれだけです。あ奴も、正直に白状したとは言えません。ですから、分かりませんと申しました!」
そう、ここの3人に告げるには些か過剰すぎる大音声で報告した。そのハウリングでミルシなんぞは大きく椅子から転げ落ちたくらいだ。
「ならば、初めからそう言いたまえ。とまあダンジョー殿、つまりはそういう事で」
「う、うむ・・・ミルシや、大丈夫かの?」
「は、はあい。うう・・・み、耳が痛いです」
無論、それは慣用句で無く、文字通りの意味でだ。
「まあ、仕方ないのう。上古より、防衛に対する報酬は与え辛いもの。ましてや今回は・・・」
「ええ。言い方は悪いですが、単なる相手の自滅ですから」
何せ、この度の戦については戦略の上では確かに勝利だが、とどのつまりは追い返したに過ぎないのも事実。それも、忠勇なる軍人が武力で追い返したなら格好も付こうものだが、実際は調略に掛けた奴を始末されて撤退されただけ。相手の策略を打ち破ったとはとは言え、追撃すらかけられなかった身で声高に勝者と主張するのは流石に憚れよう。
「・・・そんな中で確証も無いのにアレコレ嗅ぎまわれば、褒賞を吝嗇るための粗探しと邪推されかねん、か。是非も無いの」
「ええ。敵にみすみす、調略の手掛かりを与えることになるでしょう。近い将来は兎も角、今は一旦棚上げにするしかありませんね」
そう語るポデスタの目にも、諦めの色が濃い。
「結論としては・・・今回の1件は飽く迄もあ奴らによる凶行、それだけに留める。そう言う話と」
「おっしゃる通りで。しかし逆に言えば、彼らの罪を親兄弟に連座させる気もありません」
「然もありなん、じゃな」
つまり、ポデスタの側としては厳しく内実を締め付けるような真似は慎まざるを得ないのが現状で、結局のところ、彼らの実情は敗軍とそう変わらないということだ。もっとも、敵を押し返したというのも事実であるので以前よりは強弁を通せるだろうが、それも先の話だ。
「もっとも、流石に彼らの家族はこの町では暮らしていけませんでしょうから、どこか別の都市へと移らせるよう子爵様にお伺いを立てているところです」
「儂からそろりと伝えようかの?」
「いえ。お心は有り難いのですが・・・これは公的な記録として残さねばなりませんから」
つまり、表向きはどうあれ裏切りをすればその土地から追い出されると、そう記録には残しておきたいということである。腰の低いところはあれど流石に1都市を管轄するポデスタであるから、やることにソツは無いようだ。
「かの。まあ、仮にそ奴らが敵の連中と結んでいようと、バラバラに追い出してしまえば脅威にはならぬ、か」
「そう言うことです。・・・それにしても、流石は子爵様が太鼓判を押される程の魔術師殿。ああも容易く間者が隠し持つ指令書を奪って見せるとは、感服しました」
そのポデスタの褒めたたえる言葉に、この場において初めて久秀の表情が凍り付いた。
「今だから言えますが、そのお姿故に、私も初めは疑いもしましたが。いやあ全く、自身の不明を恥じるばかりで・・・・・・ど、どうされました?」
「いやあ・・・その・・・」
何故だか、久秀は気まずそうに眼を逸らして言葉を濁す。すると、いつの間にかテーブルの上、丁度久秀とミルシの中間くらいの位置に鼠が1匹チロチロと這い出してきて。
「宜しければ、小生が説明させて頂きましょうか?」
喋った。それも流暢に。
「な!?」
反射的に払いのけようとした司令官は、手を伸ばした体勢のままビクリと固まった。生半なことでは驚かない心算だったポデスタもこれには面食らったのか、湧き出てた汗をハンケチで何度も拭った。
「これは・・・失礼、少々驚きました。貴方は?」
「いえいえ、お気になさらず。小生は果心居士、私度僧で道術・方術を嗜む才人で・・・加えて言えば、松永殿の唯一の友人です」
「口が過ぎるぞ、果心。流石に儂とてお前以外にも・・・」
そう嘯き、指折り数えようとして1本目が折れない久秀を無視するように、果心はポデスタへと向き直る。
「では、哀れな友人に代わって説明を。松永殿は小生に命じて、衛兵たちの私室を探らせました。なにせ、この矮躯ですからお茶の子さいさいです」
「・・・でしょうね。流石にの私室も、鼠1匹入り込めないようには造っていませんから」
そのポデスタの同意に、果心は嬉しそうに尻尾をピシピシと振るう。
「しかし、逆に言えばこの駆です。その隠された指令書を、引き出しの奥から出すことは出来ませんでした」
「・・・つまり?」
「つまり、じゃ。あの裏切者に見せつけたやったのはまあ、当て推量に近くてのう。つまりは・・・・・・・・・ただのハッタリじゃ」
流石に全てを果心に言わせるのは心が咎めたか、説明を引き継いだ久秀は大層気まずそうに視線を泳がせながら白状した。そのあまりのいたたまれなさに、果心とミルシ以外には部屋の温度が10度も20度も下がったように感じられた。
「じゃからの、ポデスタ殿。敵の指令書については、どうかお主らで探しては・・・頂けんかのう?」
おずおずとそう言いだした久秀に、ポテスタは初めて見た目通りの年頃らしさを見た気がした。中身が60の爺なのだから、むしろ年甲斐が無いと言うべきか。
「ええ、構いませんよ」
「・・・いいかのう?」
「いえいえ。それに、それくらいのことすら果たせなければ、今度はこちらが鼎の軽重を問われてしまいますよ」
気にしないで下さい、と笑顔で申し出たポデスタに気負いが解けてホッとしたのか、久秀は自分用に供されていたカップへ初めて口をつけ、
「む!・・・苦いの」
舌を刺す刺激に、思わず眉を顰めた。
「おや?従者の者が茶葉を入れすぎましたかね?」
「私もちょっと・・・わ、ホントに苦い!」
試しに、と口をつけたミルシもその苦みに思わず舌を出す。吐き出さないだけ気を使ったと言えるくらい、確かにその紅茶は苦み走っていた。
「ま、まあ良えわい。してポデスタ殿。であれば、後は宜しく頼んでも良かろうな?」
「ええ。・・・と言いたいところなんですが。ダンジョー殿、この都市に残っては頂けませんか?高禄はお約束しますし、それだけの見識がおありなら子爵様に願い出て次のポデスタへの推挙でも―」
「それは駄目じゃ。儂とて、為すべきことがあるのでのう。それに・・・儂は、もう人の上に立つのは懲り懲りでの」
「そう・・・ですか。しかし、都市の統御を司る身としては女々しい話ではありますが、王国の現状を思えば貴女のような賢なる御仁には未練も残ろうというものです」
「構わぬ。儂も貴殿の立場なら、そう言っておったじゃろうて」
無理も無いと笑い飛ばす少女に、ポデスタも素直に頷く。何はともあれ、戦いは終わり、その後始末とあれば緊迫している必要も無いのだ。
その中で唯一、表情を固めたままの司令官が「では」とポデスタへと問いかけた。
「ええ、では」
そう言って彼が頷いたことを確認し、司令官がパンパンと柏手を打つと廊下より数人の官吏と思しき男たちがガラガラとカートを押して入って来た。
事前にポデスタから『何を見ても、何も言わぬよう』指示されていたのだろう。官吏たちは出来るだけ目に入らぬよう押してきたカートを置くと、長居は無用とばかりにそそくさと立ち去って行った。
そうして、再びドアが閉じられると同時にポデスタがカートの上に置いてある革袋を掴み上げ、
「さて・・・ダンジョー殿、こちらがお約束していた報酬になります」
そう言ってトンとテーブルの上、丁度久秀の手の届く真正面へと置いた。中からチャリチャリと金属の擦れ合う音がすることから、それなり以上の硬貨が入っていることが伺える。
「お約束の金額に加えて、私からのお礼として少々増額しておきました。どうぞ、中を検めて下さい。」
「いや、よい。それくらいは信用させて貰うでの」
そう言って久秀が無造作に押しやった革袋を、ミルシはどこか気怠そうな様子でテーブルに立てかけてあったルックサックへと詰め込んだ。
「・・・ふう」
「どうした、ミルシ?」
「え?い、いえ・・・なんでしょう、疲れでしょうか?」
「お主のう・・・座っておっただけで、いったい何に疲れたと言う気じゃ?シャンとせい、シャンと」
ぐしぐしと眼を眠そうに擦るミルシを一喝した久秀は、表情を整えると再びポデスタへと背筋を伸ばして向き直る。
「・・・では、ポデスタ殿。これで」
そして最後に深く礼をして、久秀は立ち去ろうとした、・・・のだが。
「・・・しかし、本当によく信用してもらえたものです」
別れの言葉で無し、意味深な言葉を吐くポデスタに久秀は浮きかけた腰を再び椅子へと降ろす。
「何のことじゃ?」
しかし、ポデスタはその問いには答えず曖昧に微笑み、代わりにゴンという鈍い音と共にミルシがテーブルへと突っ伏した。
「な!?き、貴様・・・」
しかし、そう問いかける久秀の舌鋒もどことなく鈍い。
そして、そうこうする間にグラグラと揺れる頭と2重3重にブレだした視界に全てを察し、忌々しそうにテーブル上のカップを睨めつけた。
「油断、した、わい。ど・・・く、か?」
「どうでしょうね。薬と毒は表裏一体と、薬師は言っていましたが」
しれっと何かを盛ったと白状するポデスタであったが、今の久秀には彼をどうすることも出来ない。警戒するようにいつの間にやら立ち上がった司令官が傍に控えているが、無駄な努力だ。
「ふ・・・かく」
とうとう薬が回ってきたのか。久秀は姿勢を保つことすらできず、べしゃりと机へと頬から落着する。衝撃で転げたカップからは飲み残しの液体が零れ、彼女の膝を染めていく。
「か・・・し」
薄れゆく意識の中、ポデスタの後ろのドアが開いて誰かが入って来る。そして、それをポデスタは立ち上がって迎え入れ・・・。
「・・・ん」
そこで、彼女の意識は途切れた。
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