第2話 不徳招闇
「矢の雨だ!魔術師どもに防壁を出させろ!折角北方のカルサから大金出して雇った連中だろうに!」
「ダメです!防護の魔術は、敵が魔術で攻撃してきたときの備えであると・・・」
「それまでに全滅してしまうぞ、早くしろ!」
「ダメですって、司令官殿のお達しです!」
「ええい糞が!あの青瓢箪のマリオネットめ、死んじまったら殺してやる!」
「ひゃあ!ああ、矢が、矢があ!!」
「ガキみてえに喚くな!戦えんなら端に寄れ、邪魔だ!」
様々な罵声と怒声が交差するグランドゼロ。それが昨日まで平穏だった城市の全てだ。
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」
そんな中をロバウトは走る。走る。只管、走る。
既に戒厳令下の町中に人影は無く、時偶出会う衛兵はロバウトの鬼気迫る表情に気圧されて声もかけてこない。
そうして走り続け、居住区の裏筋を抜ける頃にはいつしかロバウトの周りには誰もいなくなった。
「はあ・・・はあ・・・ええと・・・」
流石の衛兵とはいえ具足を着けての全力疾走は堪えるものだ。吐く息も途切れ途切れのロバウトだがその目は変わらず爛々と輝いており、その眼でキョロキョロと辺りを見回しつつゆっくりと、しかし、しっかりとした足取りで迷いなく路地を突き進む。
「・・・ふう。間に合った」
そうして辿り着いたのは、今まさに攻撃を受けている正門の真逆。この都市において唯一、市民が出入りする用の通用門が設けられていない、北側に設けられた裏門だった。
若しかすると何か彼の知らない作戦に使われるかも、と危惧して全力疾走したロバウトだったのだが、どうやらそれは杞憂だったらしく人っ子一人いやしない。
「・・・さて、と」
そろそろと、しかし迷いなく門へと歩を進めたロバウトは、門へとかけられている大きな閂に思わず「チッ」と舌を打つ。その閂は大きな1本の角材がそのまま使われている頑丈な代物で、それが門を真一文字に塞ぐようかけられていた。蝶番の錆具合から見ても碌に使われていない門のはずなのに、どうしてここだけはこんなにも頑丈にしてあるのか。
「・・・いや、いけるか?」
若しかして頑丈そうなのは見た目ばかり、中は腐ってたりしないだろうか。そんな儚い期待を胸に軽く叩いてみるが、ゴンゴンと詰まった音に期待は期待で終わった。
「チッ、しょうがないか」
最後の最後で祟りやがると、ロバウトは忌々し気に再び舌を打った。
しかし、逆に言えばこの門を封鎖しているのはこの閂だけで、他には鍵穴も閂を固定する金具なども存在しない。ならば、やるべきことは1つ。
ロバウトは注意深く辺りを見回してそっと閂に近づき、そのままグッと力を入れようとして、
「やはり貴様か、下郎」
不意に、背後から声を掛けられたロバウトは反射的に声の方に振り返った。
「お、お前はあの時の!?」
そこでロバウトが見た者は、あの時、彼に意味深な言葉を投げてきた少女だった。
「何じゃ、儂がここに居ってはいかんのか?のう?」
あの時とは違ってどこか時代がかった口調だが、間違い無くあの時の少女に違いない。何故に屋根の上なんかにいるのかは分からないが、そうと分かったロバウトはホッと表情を緩めた。
「なんだ、脅かさないで―」
「言っておくがの」
食い気味に少女から放たれた言葉は、まるでロバウトの鼻柱をピシャリと打つかのような勢いで放たれる。
「儂は貴様が考えているような身の上では無いぞ」
「は?」
「何じゃ、言わねば分からぬか?」
まるで孺子を見下すかのような目つきでロバウトをひとしきり睨め回すと、少女は軽やかな動きで屋根から飛び降りて彼の眼前に降り立った。
「儂は今この都市を攻めておる連中の仲間でも、貴様の様な薄汚い裏切者の味方なぞでは無い、そう言うておるのじゃ」
ひょう、と一陣の乾いた風が通り過ぎる。解れかけた空気がまた、少女の発言で再び凍り付く現状。その風はまるで、それを表すかのようであった。
「な、何を言っているのかな?」
状況を打開すべく口火を切ったのは、ロバウトの方だった。固まった笑顔のままで、さも何事も無いかのように語りかける。
「私が裏切者?何の事だい?」
誤解で誤魔化そうとするロバウトに対し、少女は変わらぬ冷たい目を向けながら鋭い舌鋒を突きつける。
「ふん、下手なシラを切るで無いわ、下郎め。では何故、この鉄火場で持ち場を離れ、そこな裏門の閂に手をかけておったのじゃ?ほれ、言うてみい」
「そ、それは・・・」
確かにその通り、理はこの少女の方にある。言い方こそ問いかけであるが、その言い様は正しく冷徹なる公証人のそれだ。対照的に問い詰められた側のロバウトの目は明らかに泳ぎ、何か見つからないかと哀れにもフヨフヨと右往左往を繰り返す。
「じ・・・実は」
「ほう?」
「実は、お、俺はもう・・・嫌なんだ。死にたくないから、逃げ出そうと・・・」
「して、敵に通じたと。確かにそうすれば死にはせんのう」
少女は一転、愉快そうに呵々と笑う。もっとも、その目はちいとも笑ってはいなかったが。
「裏切者であるにもかかわらず、その上更に臆病者の誹りも受け入れるとは。屋上屋を架す愚か者じゃなあ、お主は」
「・・・っ!第一、君は何を根拠に俺が裏切者だとか言うんだ!た、確かに逃げるのは卑怯かもしれないけれど、それとこれとは話が別だろうに!」
その回答に、少女はハアとため息を吐くと「しかたないのう」と独り言ち、懐から1枚の紙を取り出した。それは粗悪な漉きで作られた紙が四つ折りになったもの。
何の変哲も無い日用品。そのはずだが、
「き、き、君は・・・それを・・・どこで!?」
何故か、それを目にしたロバウトの体はわななくわななく震え、ガチガチと鳴る歯の音は問いかける声をも掻き消すほどに大きく響いた。
「これか?これは、貴様の部屋から頂戴してきたのよ」
「な、なななななな、何だと!?」
「驚くでない。しかし・・・それにしても引き出しの奥とは。知恵足らずの裏切者には相応しい、何とも工夫の無い隠し場所じゃな」
ひらひらと揶揄うようにその紙を振る少女に対して、ロバウトは衝撃に打ち据えられた様に立ち竦む。
この少女が『あの』指令書を持っている。それはつまり、この少女は彼の行動を全て知っていたということ。
「ハッハッハ、確かにこれは1本取られた。俺の負けじゃねえか」
証拠を握られ、現行犯を見咎められたロバウトに、最早罪を逃れる手段はない。
それを悟った彼は少女を見据えつつ、佩いていた剣の柄に手をかける。その眼には先ほどまでの動揺は影も形も無く、ほの暗い陰りの中で剣呑な光が覗いていた。
「初めから・・・全て、バレていた、そういうことかクソガキめ」
険しい表情になって剣をすらりと抜き放つロバウトに、その少女は一切臆することなく、
「まあ、そうじゃな」
と、鈴を転がすように軽やかな声で答えた。
「ふふ。だったら、どうしてお前しかいないんだ?捕縛だろうと何だろうと、そんな明白な証拠があるならどうとでもなろうに」
「・・・まあ、儂も鬼では無いからの。若し、儂に見つかったときに観念しておれば・・・目溢しとは至らずとも、自刎くらいは許したろうな」
そう言って少女は、少し悲し気に視線を逸らすが、直ぐに冷徹に戻った視線でロバウトを射すくめた。
「じゃが・・・、結果はこの通り。結局、貴様は自分の墓を自分で掘ったのじゃ。慈悲は無いものと思え」
「成程・・・しかし糞餓鬼、貴様が俺を下郎と蔑むのは勝手だが・・・これではどうかな?」
そう言ってロバウトがパチンと指を鳴らすと、建物の隙間や路地の奥から、たちまち数人の武装した男たちが姿を現す。その中には衛兵の姿をしたものも多い。
「俺一人なら、確かに裏切りとも言えるかもしれんな。しかし、これだけの人数がポデスタを捨てたならばこれは最早、この町の意思だ」
「町の意思・・・のう。やれやれ、大言壮語もここまでいけば溜息も出んわい」
「はっ、強がりも程々にしな。これほどの人数相手にどうする気だ、間抜けな鼠が!」
一転して自分の優位に転んだ状況に、ロバウトはキュッと口角を歪めて嗤った。
ギラギラと光る白刃や長柄を手に、ロバウトたちはぐるりと少女の周りを取り囲んだ。普通であれば絶体絶命の大ピンチに違いない。
しかし、少女は怯えるどころか何事も無い風で「ひい、ふう、みい・・・」と男たちの数を数えると、懐から取り出した懐紙を見て「ほう」と安堵の息を吐く始末。
その態度に、囲むロバウトたちのコメカミには怒りでビキリと2本の角のように、血管が浮き出る。
「テメエ・・・随分とまあ、余裕じゃねえか」
「ナニ、お主以外にも目星を付けておった者がおったでの。その数と今ここにおる人数を突合したまでじゃ。どうやら間違うてはおらんかったようで、重畳、重畳」
そう言ってニマニマ笑う舐め腐った態度に、遂に男たちの堪忍袋の緒が切れた。
「ふ、ふざけやがってぇ!!」
「馬鹿にすんじゃねえぞ、小童が!」
その中でも、血気盛んな数人が堪らず武器を振りかぶって切り掛かった。
「あ、おい!?」
そして、それに焦ったのはロバウトの方だった。殺すのは容易いが、軽々に殺してしまってはポデスタがどこまで情報を掴んでいるのか分からないままになる。
「待て、殺すな!!」
聞かねばならん事がある、と冷静さを保っていたロバウトが仲間を制止するが、頭に血が上った仲間にそのストップは届かない。
あと数歩で鋭い刃が少女をズタズタに切り裂く。そう思った次の瞬間、
「ぼ!?」
「ぷげ!?」
切り掛かった仲間たちへどこからか飛来した矢玉が突き刺さる。そして、狙い過たず脳髄を射抜かれた彼らは間抜けな声をたてて倒れ伏した。
「間抜けは貴様らじゃ。ここが怪しいと分かっておるのに、儂が何の備えもせぬと思うたか」
「・・・それって、ダンジョーさんが偉そぶって言うことですかね」
そう言いながら建物の陰から現れた人影に、ロバウトの目は更に大きく見開かれた。
「お、お前はミルシ!?」
そう、その人物は彼の良く知るミルシだった。衛兵姿では無く身軽な皮鎧姿ではあるものの、その人好きのする相貌を半月に渡り突き合わせてきたロバウトが見間違えるはずも無い。
「はい。どうもロバウトさん」
正解、とばかりにペコリと頭を下げるミルシだったが、その両手には先ほど仲間を射殺した弓がしっかりと握られていた。
「きさ、まが?」
「はい」
と言うが早いか、ミルシは素早く矢筒から数本の矢を抜くと、それを一まとめに番えて放つ。
「へ!」
「お!?」
「ぐふっ!!」
すると、ヒョウという風切り音と共に仲間たちにその矢が突き刺さりバタバタと倒れてゆく。遠慮がちな物言いに反し、その行動には一切の呵責は見られない。
「これ、ミルシ!」
「なんですか?」
「皆、お主が倒してしまうでない。儂の腕が見せられんじゃろうが」
「ええ・・・・・・じゃあ、お好きに」
そう言って地面へと腰かけたミルシを見て、ロバウトたちは再び生きる希望を見出した。
「何だテメエ、備えってのはそのミルシのことじゃねえのか?」
「違う。・・・とも言い切れんがの。じゃが、仮におらんでも貴様ら如き、どうとでもなるわい」
「ほざきやがれ!」
その舐め腐った態度に、ロバウトを除く残った全員が武器を構えて飛びかかる。対してダンジョーと呼ばれた少女はロバウトを見据えたまま、その指を宙をなぞるように「ち、ち、」と動かした。
たった、それだけなのに。
「ぱう!?」
「ぷん!?」
「べぶん!?」
それはまるで、見えない壁が襲いかかって来ている。そのようにロバウトには見えた。
「なん・・・だよ、これ」
そして仲間の悲鳴と共にバキバキと骨の折れる音、グシャグシャと肉の潰れる音が路地に響き渡る光景を、脚の動かなかった彼は唖然と眺めるしか出来なかった。
「ほら、ダンジョーさん。見て下さいよ・・・どうするんです、コレ?」
「どうする、と言われてものう。何をじゃ?」
「何って・・・ここの後始末に決まってるじゃないですか」
「知らぬわ」
「な?・・・な・・・何をした貴様ぁ!?」
まるで漫才のようなやり取りを始めるミルシたちに、堪らずロバウトはそう吠えかかった。
「ん?貴様は死んでおらんかったか。ナニ、これも方道術のちょっとした応用じゃ。ま、それは兎も角して・・・大言壮語しおうたが、結局は貴様独りじゃな。・・・さて、どうするね?」
「どうするね」と言われても、ロバウトには最早為すすべは全く無くなっていた。コイツの言う『ほうどうじゅつ』とやらは何やらさっぱりだが、魔術の類であろうそれに、ロバウト如きが太刀打ち出来る道理は無い。彼の頭の中には、生存本能が発する「逃げろ」という命令が響き渡る。しかし、
(逃げても・・・捕まるだけ、か)
捕まることは怖くない。しかし、口が利ける状態で捕まってしまえば拷問にかけられ、まず間違い無く親兄弟にまで累が及んでしまう。それだけは、何としても避けなければならない。
(なら、いっそ!)
覚悟を決めたロバウトは、ギラと目に凶暴な光を灯し直す。取り落としそうになっていた剣を持つ手に力を込め、大きく振りかぶった。
「死ねええ!」
わざと発した雄叫びとと共に、大げさな動きでロバウトは少女へ向かって走り出す。先に仲間を襲った仕打ちを見れば、返り討ちにしてくれと言っているような動きだが、それが彼の狙いだ。
「っ、ダンジョーさん!?」
「いや、よい。退がっておれ」
咄嗟に矢を番えようとしたミルシを、少女は手で制する。そして、彼我の距離があと数十歩ほどとなった時、少女が何かを懐から出してこちらへと投じようとするのが見えた。
(やった!賭けに勝った!)
ロバウトは、そう心の中でガッツポーズをした。
この少女がどんな魔術を使うのかは知らない。しかし、先に仲間たちを襲ったものから考えるに、それは必殺の一撃のはずだ。
ならば、それを身にわざとくらい、死んでしまうことでこの事態を闇に葬る。そんな彼の予想通りに、少女から投じられた何かは胴鎧へとコンとぶつかった。
「げへ!?」
そう、そこまでは予想通り『だった』。
しかし、ぶつかったその瞬間、ロバウトの体をまるで電流が走ったような衝撃が襲う。足は止まり、衝撃でピンと伸ばされた背筋は更に硬直し、まるで引き絞られる弓のように体が反る。しかし、体を砕く衝撃も無ければ、血潮が飛び散ることも無い。
ただ、そのままロバウトの体はバッタリと、あと数歩で少女まで届こうかという場所に倒れ伏しただけだった。
「あっ・・・あっ・・・あっ・・・」
「何故、俺は死なない?」と問いかけた心算も、口も顎も思い通りに動かずにただ舌が口蓋からニョッキと突き出すのみ。
「殺しはせぬ。死による逃避なぞと言う救いは、貴様には勿体無い。そして・・・主に与える慈悲なぞ、初めから無いと言っておろう」
その言葉に、憎悪に燃えていた心へ絶望の闇が染みわたる。コンと兜の上から頭を蹴られると、次第に意識が遠のき目玉もぐるりと裏返った。
「この愚か者めが」
それが、意識が暗闇に沈みゆくロバウトが最後に耳にした言葉であった。
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