第39話 もうひと営業
夜になり研究所に戻っていた大成は、再び外出の準備を始めていた。
時刻はすでに午後八時を回っている。
「また配りにいくのか?」
ビーチャムがコーヒー片手に大成の背中へ声をかけた。
大成は石の入った布袋を手に持ってぶら下げた。
「ああ。といっても数軒だからこのまま手で持ってくけど」
「今日訪問予定の箇所はすべて回ったんじゃなかったのか?」
「もちろん行動ノルマはクリアしているよ。想定した成果も達成しているどころか大きく超えている」
「であるなら今日はもう行く必要はないのではないか?」
「逆だよ。感触が良かったからこそ行くんだ」
そう言って大成がひとり向かった先とは......。
夕食に訪れた客も引きはじめ、あとは閉店時間を待つばかりのレストランだった。
「あっ、お客さん。悪いけどもうラストオーダー終わっちゃったわ」
大成が入店するなり女性店員が言ってきた。
「いえ」と大成は客ではないことを示すと、手に持った布袋を見せる。
「私は魔導具を扱っている徳富大成という者です。これをご覧になっていただきたくて本日は参りました」
「は?」
何がなんだか女性店員はわからない。
さっそく大成は袋から石を取り出し、彼女へ差し出した。
「これは火の魔法石〔メラパッチン〕です」
「はあ」
「これを使用すれば、簡単に火を起こすことができます」
それから大成はメラパッチンについてのひと通りの説明をした。
「はあ。そうですかぁ」
手渡された石を持ったまま女性店員が頼りなさげな合槌を繰り返していると、奥の厨房から店主らしきガタイの良い中年オヤジがぬっと出てきた。
「どうした?」
「あっ、店長」
「なんかこちらの男性が」
「トラブルか?」
「いや、ええと......」
説明に困ったのか単に面倒なのか、女性店員は何も答えずに大成へチラリと目をやった。
それは大成にとって好都合なのは言うまでもない。
待ってましたと言わんばかりに大成は目をきらんと光らせ、穏やかな笑顔とともに口をひらいた。
「今、そちらの女性の手にある石は、火の魔法石〔メラパッチン〕です」
「火の魔法石だって?」
「はい。日常生活用に改良した火の魔導具です。これを使えば炉で簡単に火を起こすことができます」
「つまり、にーちゃんは、その魔導具をうちに売りつけに来たのか?」
中年オヤジが大成をぎろっと睨みつける。
すかさず大成は両手を振って否定した。
「いえいえ、そうではありません。本日は試供品をお持ちしたんです」
「じゃあタダってことだな?金はかからないってことだよな?一銭も出すつもりはないぞ?」
念を押すように、というよりも露骨に中年オヤジは確認してくる。
この辺はいかにも商売やってる人間という感じだ。
ビーチャムがいたらいかにも嫌がりそうだが、彼は連れてきていない。予定通り。
「もちろんです。本日は無料でお渡しします。もしよろしければ、ですが」
大成の心身は一部始終、実に落ち着いたものだった。
この程度のリアクションなどとっくにシミュレーション済みだからだ。
いくら当たりがキツくてもわかっていればそれはシナリオの一部。
逆に想定外の攻撃が来たときは、一定のダメージを覚悟しなければならないが。
それはボクサーが「見えないパンチ」を嫌うのと似ているかもしれない。
見えているものと見えていないものでは、受けるダメージは格段に違うという。
そういう意味では、大成は非常に多くのことが見えている人間だと言える。
「ふーん。そうか。要するにあれか」
中年オヤジの目が静かに光る。
裏を読むような、相手を
「なんでしょう?」
「うちの店でそいつを実験したいってことだな」
中年店長はしてやったりという顔をした。
お前の本音なんぞお見通しだぞ、とでも言いたげな面持ちだ。
さすがの大成も面喰らったか、と思いきや。
「こちらの火の魔法石〔メラパッチン〕は、すでに百軒以上の一般家庭にお使用いただいているものです。嬉しい反応もいただいております」
信頼感たっぷりの、優しくも芯のある口調で大成は言う。
正直、若干盛っていると言えなくもない。
でも嘘ではない。
つまり絶妙な言いまわしと表現だった。
この辺りは元やり手営業部長の
「そうなのか?」
中年店長もこれには少々の驚きを隠せなかった。
大成は判断する。
ここが攻めどきか。
「その上で、本日はこちらにお持ちさせていただいた次第です。是非、実際にどんな物なのか、どのように使うのか、ご覧になっていただければと思います」
いかがですか?とは訊かないのも、大成のやり方だ。
中年オヤジの店長は
忙しい時間は過ぎている。
手も空いている。
お金がかかるわけでもない。
もはや拒否する理由はなかった。
「わかった。でも手短に済ませよ」
中年店長はようやく承諾した。
表情はむっつりとしたままだったが、大成に上手いことしてやられたようだ。
「はい!ありがとうございます!五分あれば充分です!」
大成は快活に返事をすると、店長に連れられてキッチンに入っていった。
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