第18話 君の名は


「な……なんのことでしょう?」


(や、やばい!!)


 緊急事態にうっかりエリックの存在を忘れていたビアは、頭をフル回転する。


(い、一体いつから見られていたのかしら……!? シルビアはここにいるし、本物のジャンもいるし————ええと、この場合、どうしたらいいの!?)


 取り繕うにも、何から言えばいいのかわからない。

 そんな中、状況をまったくわかっていないシルビアが言った。


「ちょっと、ビア!」


(ばかばか!! ビアって呼ぶな!! 何考えてるのよ!?)


「この素敵なお方は一体誰!?」


(……へ?)


 仮面をつけていても、面食いのシルビアにはエリックが自分のタイプであることはすぐにわかる。

 身長も高く、声も低くて、エリックはまさにシルビアの好みの男そのものだった。

 しかし、今ここにいる婚約者のアーロン王子は偽者ではあるが、本物の王子は存在してる。

 シルビアが婚約を決めたのも、本物のアーロン王子に会ってから決めたことだ。

 すでに婚約者がいる身でありながら、シルビアの瞳はハートになっていた。



「仮面の下のお顔もとても素敵なのでしょう? 見せていただけませんか?」

「え……? ええ」


 エリックが仮面を取ると、シルビアはぽっと頬を赤く染める。


「まぁ、なんて素敵な方ですの。お名前はなんとおっしゃりますの?」

「エリック・ルーナと申します。それで……あの、あなたは? なぜシルビアと呼ばれているのです?」


 シルビアの方はまだ仮面をつけたままだった。

 エリックはそのせいか、この令嬢が本物のシルビアであることには気づいていない。

 シルビアは仮面を外しながら、「エリック・ルーナ様ね……」と名前を小さく復唱していた。

 だが、その名に聞き覚えがあり、ピタリと動きを止める。


「ルーナ……? え、まさか————」


 自分が会うことさえ嫌だと拒否していた、吸血族の名前と同じだと気がつき、今度は一気に顔面蒼白となる。


「え? え? それじゃぁ、吸血族の————?」


 エリックはシルビアの顔をはっきり見たが、首をかしげる。


「俺の話はどうでもいいです。それで、どうしてあなたがシルビアと呼ばれているんです?」

「え、えーと、それは……」


 シルビアもなんと答えたらいいのかわからなくて、言葉に詰まっている。

 ビアに見合いの替え玉を頼み、届いた贈り物を返して、二度と関わらないようにしろとまで言ってある。

 ビアがどんな風にエリックからの求婚を断ったのか、状況をなにも把握していないのだから、仕方がない。


「————どうしても何も、こいつの名前がシルビアだからに決まっているじゃないか」


 そこへ一番空気を読めていないジャンが口を出して、ビアも更に焦る。

 ここはどう考えてもジャンが口を出すシーンではない。


「珍しいな。社交界でシルビアのことを知らない人間がいるなんて。フィオーレ侯爵家の一人娘なのに」

「……は?」

「ちょ、ちょっと、ジャン!! あんた余計なこと言わないで!!」


(このバカ!! あんたは黙っていなさいよ!!)


 ビアはジャンの口を手で塞いだ。

 これ以上余計なことは喋るなと止めようとしたのだが、時すでに遅し。

 エリックは眉間に深いシワを寄せ、鬼の形相になっている。


「全部説明しろ。お前は誰だ。それに……」


 そっくりな兄妹を睨みつけたかと思うと、愛しいはずのシルビアを指差して言い切る。


「こんな不細工な女が、シルビア・フィオーレのはずがないだろう!!」


 まさかの暴言に、自分の容姿に絶対的な自信を持っていたシルビアはショックを受け……


「ぶ……ぶさ…………私が……? ぶさいく……?」


 そう何度か呟いた後、シルビアは気絶した。



 *



「————つまり、本物のシルビア嬢はこの不細工で、ルーチェ中尉にそっくりなそっちの青い男が、本物のジャン・ルーチェであると。そういうことか?」

「そ、その通りです。申し訳ありません。騙してしまって……どんな処罰でも受けます」


 エリックは三人を横一列に座らせ、ジャンとビアが入れ替わって生活していたことや、自分の見合いにシルビアとして会いに来たのは変装したビアだったことも全て聞いた。

 ビアだけが、本当に申し訳ないと頭を下げたが、ジャンとシルビアは不機嫌そうに座っているだけだ。

 ジャンは替え玉がバレてしまったことで自分がまた軍に連れ戻されるのではないかと恐れ、シルビアは不細工といわれたことに怒っている。

 二人とも自分のことだけを考えていて、反省する気が全くない。


「……なぜ君が謝る必要がある?」

「え?」


 しばらく黙って話を聞いていたエリックは、ジャンとシルビアをにらみつけながら言った。


「話を聞いた限りでは、君はこの二人の尻拭いをさせられていただけじゃないか。危険な戦地に男として送られ、見合いにも替え玉として送られただけだ。顔をあげろ。謝罪すべきなのも、罰を受けるべきなのも、君じゃない」


 ビアが顔を上げると、エリックはビアの長い前髪をそっとかきあげて、顔を見つめる。


「もう自分を偽って生きなくていい。俺が全部、君が君として生きられるようにしてやる。ところで、ビアと呼ばれていたが、それが君の本当の名前か?」

「い、いえ。それは、シルビアが私につけたもので————本当の名前は……ジャンヌ。ジャンヌ・ルーチェ」


 十二年ぶりに、自分の本当の名前を口にして、彼女の瞳が潤んだ。

 もう自分で口にすことも、誰かに呼ばれることも一生ないのだと思っていたその名前を、エリックは愛情を込めて呼んだ。


「ジャンヌ。俺はここで君に、改めて確認したい。俺の吸血鬼の人形ヴァンパイア・ドールになってくれないか? 君は実の兄より勇敢で、従姉妹とは違って美しく、誰より優しい魅力的な女性だ。俺は、君が欲しい」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る