第17話 噛み合わない二人


「俺の名を気安く呼ぶな! 混血の分際で————この、裏切り者め!!」


 マルクスはビアに切り落とされた自分の手首をなんとか拾い、結合させる。

 吸血族は体の一部を失ったとしても、人間と違って傷の回復力が異常に早い。

 みるみるうちに手首は元どおりにくっついて修復されてたものの、大量の血液を失ってしまっているせで、マルクスは立ち上がることはできそうもなかった。

 心臓を突かれない限り大抵は死なないが、血を失うと体が思うようにいうことを聞かなくなるし、もちろん痛みはある。


「裏切り者? 何を言っているんだ……それはお前の方だろう? 先の戦争で、指揮をとっていたお前が部下を置いて逃げた。そのせいでお前たちは負けたんだぞ」

「それは……違う! 俺は、逃げてなんかいない。俺は、最後まで戦うつもりだった!!」


 ビアとエリックが戦った先の戦争。

 人間族側が勝利した大きな理由の一つが、軍の指揮官だったマルクスの逃亡だ。

 戦場から突然指揮官がいなくなってしまい、現場は大混乱。

 一気に人間族側が有利となり、捕虜となった吸血族の男の話によれば、「マルクス王太子が兵を裏切った」という話だった。

 しかし、実際は少し違う。

 マルクスにとある問題が起きて、ほんの少し現場から離れただけだった。

 それを、誰かが「マルクス王太子が逃げた」と勘違いしたのだ。


「だが、この男がハニーを奪ったんだ」


 マルクスはビアに斬られた方とは別の方の手で、人間族の王太子を指差して言った。


「貴様が三ヶ月前、俺からハニーを無理やり奪って、王太子妃にしたんだろう!? お前のせいで、俺は、祖国からも追われる身となってしまった!!」


 皆一斉に王太子の方を見た。

 だが、王太子は首を横に何度も振る。


「三ヶ月前? ありえない。何を言っているんだ? 私が王太子妃を選んだのは先の戦争が始まるずっと前だぞ!?」

「……は!? そんなわけあるか!! ハニーと俺は、戦争が始まった後も甘い夜を何度も何度も過ごして————」

「甘い夜!? はぁ!? ふざけるな!! 王太子妃と私は婚約してから正式に夫婦になるまでの間も何度も男女の関係を————」


 マルクスと王太子の会話がなんだか噛み合わない。


 マルクスの話によれば、二人が出会ったのは戦争が始まる少し前。

 主に鳥人族が多く暮らしている小国で出会い、人間族と吸血鬼という禁断の恋に落ち、ドラルク家の別荘で度々逢瀬を重ねていた。

 吸血衝動が抑えきれなくなるのが怖いと言われ、プライドの高い純血の吸血族であるマルクスは彼女のために吸血鬼の人形ヴァンパイア・ドールとして大切にすると約束するくらい、マルクスは彼女に夢中であった。


 ところが、五ヶ月前にマルクスが兵の士気をあげるために指揮官として戦地へ行くことになり、必ず勝利して戻ってくると約束。

 毎日のようにマルクスは戦地から伝書鳩を送って、二人の愛を確かめあっていたのだが、三ヶ月ほど前それが突如、止まってしまう。


 一切返信がなく、何かあったのではないかと、様子を見に部下を一人行かせると、誰もいなかった。

 それどころか『両親に連れ戻され、敵国である人間族の王太子妃に無理やりされてしまった』と置き手紙が置かれていたのだ。

 マルクスはそれが信じられなくて、一度、戦地から別荘へ向かったのだ。

 その間に、戦況は一気に傾いてしまい、吸血族は負けてしまった。

 マルクスは兵を置いて逃げた裏切り者の汚名を着せられ、祖国に戻れずに悔しい思いをしているという状況。


 一方、こちらの王太子の話によれば、王太子妃と婚約が決まったのは戦争が始まるよりもずっと前。

 シルビアを含めた数名の王太子妃候補の中から、王太子は彼女を選んだ。

 告示されたのは戦争が始まる少し前ではあるが、それ以前から二人は何度も逢瀬を重ねていた。

 もともと初めて会った頃から惹かれあっていた二人だ。

 まだ正式な夫婦となる前ではあるが、若い男女の燃え上がるような恋は誰にも止められなかった。

 正式に二人が結婚したのはそれこそ三ヶ月前のことで、王太子妃が王城で暮らすようになったのはそれからだ。


(あれ……? それって、もしかして————)


 ビアは二人の話を聞いていて、すぐにそれがどういうことか気がつく。

 二人の話が両方本当なら、おかしいのは王太子妃の方だと。


「まさか、二股……?」


 一緒に話を聞いていたジャンもそのことに気がついて、つい口に出してしまう。

 気を失ったまま倒れている王太子妃に一斉に視線が集まった。


 すると、マリアが倒れている王太子妃に近づくと、脇のあたりをくすぐる。


「あひゃっ……!!」


 王太子妃から、なんとも素っ頓狂な声が出た。


「あらあら、あなたやっぱり、本当は最初から起きてたでしょう? ダメじゃない。吸血族の男は、と違って、とーっても一途なのに」

「魚人族……!? ちょっと待ってくれ、王太子妃は、人間族じゃ————」


 驚いている王太子に、マリアは告げる。


「ええ、表向きはね。でも、本当は魚人族と人間族のミックスなのよ。昔、私の叔父様が人間族のご令嬢に手を出してね……それがこの子の母親なのよ」

「は?」

「え?」


 王太子もマルクスも、まさかの事態に口をポカンと開けていた。

 要するに、人間族の王太子も、吸血族の王太子も二人して同じ女に騙されたのだ。

 魚人族は恋愛には奔放。

 二股なんて当たり前。


 とくに吸血族は一途すぎるが故に、魚人族のそういうところが大嫌いである。

 吸血族の間では、人間族よりも、恋愛相手にしてはいけない種族と言われているくらいだった。



(うわぁ……何これ、修羅場ってやつ?)


 ビアは呑気にそう思っていたが、問題はこれからだ。


「————ところで、ルーチェ中尉。聞きたいことが山ほどあるのだが」

「へっ!?」


 王太子二人と王太子妃がなんとも醜い言い争いをしているのを見ていたビアに、エリックは訊ねる。


「どうして、ジャン・ルーチェ中尉が二人いる? それに、さっき、こちらのご令嬢に対して、シルビアと呼んでいなかったか?」


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