第12話 震える背中
「採寸しないとお作りできないんですけど……」
「す、すみません。あの————ちょっと、その、ここで脱ぐのは……」
ビアがちらりとエリックの方を見たのを見逃さなかった採寸担当の女性・フィリアはハッと気がついて、急に小声になる。
「あ、もしかして……恥ずかしいんですか? 坊ちゃんに見られるのが」
「ぼ、坊ちゃん?」
(あ、そういえば、執事の人も隊長のこと坊ちゃんって言ってたな……)
「そ、そうです。その、いくら男同士でも……」
「もう、それならそうと言ってくださいよ。お好きなんですね。坊ちゃんのことが」
「へ……?」
なぜかニヤニヤと笑うフィリア。
「上司と部下。それも、男性同士……ふふふ。わかりますよ。そんな相手に裸を見られるなんて、恥ずかしいですわよね。うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
(さっきから、何を言っているんだこの人)
何を言っているのかさっぱりわからなかったが、気を利かせてくれてビアは別の個室で採寸してもらうことになった。
「え、女!?」
その際、やっぱり女性であることはバレてしまったが、フィリアは少し残念そうな表情に変わったかと思えば「男装の麗人……それもそれでアリですわ」とさらに訳のわからないことをいうので、ビアはただただ首をかしげるしかない。
(さっきから、何を言っているんだこの人)
「とにかく、ちゃんと体に合ったものを作りますね」
「あの、私が男装しているということは……」
「もちろん、秘密にいたします。その代わり、胸を押さえていない状態の寸法も計らせていただけませんか?」
「へ……? なんで?」
ビアは男装のために胸を潰している。
この上に着るのだから、それでは誤差が生まれるのではないかと思った。
「私、今は紳士用の採寸をやっていますけど、本当は女性用のドレスを作るのが好きですの。完成したら、モデルになっていただけないでしょうか?」
「モデル?」
「ええ。そうしてくれたら、あなたが女性であることは坊ちゃんはもちろん、うちの主人にだって決して言いませんわ」
「……わかりました」
それくらいなら、ビアにデメリットは何もない。
口止め料を払えと請求されるよりよっぽどマシだと思った。
「それじゃぁ、測りますね」
そうして、男装用とドレス用の両方の採寸を無事に終えたところで、フィリアは主人に呼ばれて部屋を出ていった。
いつものように胸を潰すために布を巻こうとしたビア。
「あっ……」
ところが手元が狂って、はらりと布を床に落としてしまう。
拾い上げようと中腰になったところで、ガチャリとドアが開く音がした。
(フィリアさん戻ってきたのかな?)
そう思って振り向こうとしたが、背後から聞こえた声にピタリと動きを止める。
「ルーチェ中尉」
その声は、どう考えてもエリックだった。
背を向けているとはいえ、ビアは今、上半身に何も身につけていない。
立ち上がって振り返ることも、かといって、エリックからしたら床に落ちている何の用途に使うかわからない布を拾い上げるわけにもいかなかった。
(どどどどどどどどどどどうしよう!?)
「なんでしょう!?」
立ち上がることも振り返ることもできない。
かといって、中途半端な中腰状態で、この体勢をずっと維持していたら腰が持たない。
何とか冷静を装って、耐えるしかなかった。
「俺の方は終わったから、先に戻っている。君は今日はこのまま寄宿舎に帰っていい。それか、やはりどこか悪いなら医師に診てもらいなさい」
「え……? 医師? どうしてですか?」
「……今もそうだが、今日の君は何だかおかしいぞ? 上官である俺の顔を見ようともしていない。明らかに不自然だ。さっきも顔が真っ赤だったし、行動も君らしくない。どこか体調が悪いなら、正直に言って欲しい」
(私のこと心配してくれているのかしら……?)
「えーと、はい。わかりました。実はちょっと昨夜から熱がありまして……お気遣いありがとうございます。少し寝たら治ると思いますので……」
「やっぱりそうか。それなら、いつまでも裸でいないでさっさと服を着なさい。まったく、何をもたもたしているんだ」
入り口に立っていたエリックだったが、ビアの着替えを手伝おうとしたのか、ビアに近づいてくる。
足音と気配でそれがわかって、ビアは焦った。
(ちょっと待って! 来ないで!! 嘘でしょ!?)
「————あ、ちょっと、坊ちゃん!! 何をしているんですか!!」
そこへフィリアが血相を変えて戻ってきた。
◆
「ダメですよ坊ちゃん!! いくらなんでもセクハラですよ!!」
「せ……セクハラ? 何だそれは」
「まったくもう!! パワハラもダメです!!」
「ぱ、パワハラ?」
訳のわからない言葉に首をかしげるエリック。
フィリアはジャンをかばうように両手を広げ、エリックの前に立ちふさがる。
「……とにかく!! いくら男同士であろうと、本人の同意なく勝手に裸を見てはいけません!!」
「お前は何を言っているんだ? 俺は別に、そんなことをしようとしたわけじゃ……むしろ、そのままでは寒いだろうから手伝ってやろうと————」
「余計なお世話です!! 坊ちゃん、いいから出て行ってください!! 今すぐ!! ナウ!!」
「は……? フィリア、お前はさっきから何を言って————」
エリックは妙な言いがかりをつけられていると不機嫌そうに眉間にシワを寄せたが、フィリア越しに見えているジャンの背中が震えていることに気がついて、引き下がった。
何だかとても悪いことをしたような気分になる。
エリックとしては、ジャンとは男同士。
それも、相手を気遣って帰っていいことを伝えに来ただけだというのに……
「わかった。わかった。俺はもう行くから、中尉も男同士で何を恥ずかしがっているんだ、まったく。女性ならわかるが」
そう文句をいいつつ、仕立て屋から出た。
(まったく、俺が何をしたというんだ。男同士で恥ずかしいもなにもないだろう……)
しかし、しばらくしてふと気がつく。
騎士団にいるのだから、今までなんども裸の男の背中くらい目にしている。
共に戦った隊員同士で川に入って、体についた血や汚れを洗い流すなんてことは普通にあった。
大浴場に行ったことも何度かある。
そのどの背中とも、あの後ろ姿が一致しない。
男の……それも騎士の背中というのは、もっと筋肉質で、ゴツゴツとしているものだったはずだと思った。
(あの背中、女みたいだったな……————)
そこでなぜかシルビアのあの大きく開いたドレスの胸元から覗く、柔らかそうな白くて美しい肌が脳裏をよぎる。
もちろん、あの時のドレスは胸元だけじゃなく背中も大きく開いていたが……
(いやいや、いくら従兄妹で顔は似ているとしても、男と女だ。体つきまで似ているわけがない————)
すぐに首を振って、否定した。
(まったく、何を考えているんだ俺は……いくら、シルビアに会いたいからって————もしや、これが欲求不満というやつだろうか? いやいや。いくらなんでもそれはないだろう。バカか俺は……)
エリックのこの直感が正しいものだとわかるのは、もう少し先のことである。
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