第9話 仮面の下


 三年前。

 シルビアの招待状を手に、ビアは仮面舞踏会に参加していた。

 もちろん、仮面をつけているため、それがシルビアではなくビアであると気づかれることはまずない。

 受付で招待状を渡してしまえば、あとは誰がどこの貴族の娘だとか、どの種族の王族だとか、そんなものはわからなくなる。

 招待状を持っている時点で、やんごとないお貴族様であることは保障されているのだ。


 ところが、ビアが会場に着いたとき、問題が発生した。

 舞踏会に参加したどこぞの令嬢に振られた招待状を持っていない大男が、受付で大騒ぎしたのだ。

「裏切られた」だの「騙された」だの、「俺を捨てるなんて許せない」など……当人同士に何があったかなんて全く誰も興味がなかったが、その男はその令嬢を見つけ出して殺そうとしていた。

 警備兵が二人、対応に当たっていたが、男はかなりの怪力。

 警備兵が地面に落とした剣を奪い取って、「うおおおおお」と叫びながら両手に振り回している。

 男は感情的になり冷静さも失っているという状態で、ほとんどお飾りで雇われていた訓練も受けていないような警備兵が太刀打ちできるような相手ではなかった。


 騒ぎを聞きつけて、別の警備兵たちもその場に集まって来てはいたが、その様子に恐れをなして近づくこともできない。

 このままでは本当にこの男が相手の令嬢を殺しかねないと思ったビアは、物怖じしていた警備兵の腰から剣を勝手に拝借して、薄桃色のドレス姿のまま地面を蹴った。


 ダンスでも踊っているかのような華麗な動きで、男の頭上を飛び越え、剣を薙ぎ払い、男の足の皮と首の皮を一枚切り、あっという間に男を制圧。


「いくらフラれたからって、暴力はダメでしょう。それも、こんなところで」

「……は、はい。す、すみませんでした」


 男は喉元にから流れる血の感触に震え、すっかり大人しくなった。

 そのとき、ビアがつけていた仮面がはらりと顔から落ちる。

 男が適当に振り回していた剣先が、仮面を縛っていたリボンを切ってしまっていたのだ。


 その様子を見ていた何人かに仮面の下の顔を見られてしまったが、騒ぎを聞きつけた主催者である鳥人族の王女の手配で、ビアはドレスと仮面の両方を別のものに着替えることになった。

 シルビアがいつも着ている淡いピンクの子供っぽいレースやリボンのひらひらのドレスから、王女お抱えの仕立屋が作った女性らしいシルエットの黒いドレスへ。

 少女から、一気に大人の女性に変わる。


 赤毛と仮面の下の瞳の色で、それが先ほどの華麗な剣さばきを見せた令嬢と同じであることに、エリックはすぐに気がついて、壁の花になっていたビアをダンスの相手に誘う。


「お嬢さん、僕と踊りませんか?」


 最初は、ただの好奇心だった。

 実は寡勢するつもりで馬車に積んであった自分の剣を執事に取りに行かせていたのだが、あっという間にカタがついてしまって、その必要はなくなってしまった。

 感心していたのだ。

 いったいどんな女だろうと、ただ興味があった。


 ところが、ビアの手を取った瞬間、まさに雷でも落ちたかのようにエリックの体に衝撃が走る。

 仮面で顔を隠しているとはいえ、間近で見たビアは美しかった。


 ダンスのために体を密着させると、いい匂いがして、細い腰に回した手に力が入ってしまうのを必死に抑える。

 大きく開いたドレスの胸元から覗く、柔らかそうな白くて美しい肌。

 今すぐにでも噛み付きたくなりそうな首筋。


 突然、激しい吸血衝動に襲われ、一曲終わったところですぐに逃げるように下がった。

 本当は離したくなかったが、このままでは、本当に首に噛み付いてしまうと慌てて控え室に戻り、吸血衝動を抑える薬を飲んだ。

 吸血衝動は収まったが、心臓の音が落ち着かない。

 全身の血液が沸騰しているんじゃないかと思うくらい、熱くて仕方がなかった。

 その時、まだ幼い頃に、一度、参加した剣術大会で同じようなことがあったのを思い出し、自分の体に何が起きていたかわからなかった当時、父から聞かされていた母を吸血鬼の人形ヴァンパイア・ドールに選んだ話が頭をよぎる。


『何よりまず、ビビッときたんだ。胸は高鳴り、全身が熱くなった。もう、これは恋以外の何ものでもないと思えた』


 初めて聞いた時は、意味がわからなかったが、今ならわかる。

 あの令嬢が欲しい。

 けれど、名前がわからない。

 そこで、エリックが取った行動は……



 *


「————俺と鳥人族の王女の愛人とは旧知の仲で、すぐにあの時の女がシルビア嬢だということは調べがついた。だが、その後すぐに戦争が始まってしまって……俺の吸血鬼の人形ヴァンパイア・ドールの話は、一度保留になった」


 エリックは当時のことを思い出しているようで、少しにやけながらそう言った。


「その後、戦争の立役者だと国王陛下から褒美をいただけることになって、シルビア嬢との見合いの席を用意して欲しいと頼んだんだ。三年ぶりに見た彼女はより可愛くなっていた。いや、もはやあれは可愛いも美しいも通り越している。天使……いや、女神か?」


 ビアもすべて思い出して、改めて確信する。


(やっぱり、私だわ……え? 待って? じゃぁ、これまで隊長がシルビアについて言っていたと思っていたことは、全部————)


「三年も我慢したんだ。だが、やっと彼女と再会できたというのに、この思いをいざ彼女を目の前にしたら、上手く伝えることができなかった。きっと、彼女も俺と同じように待っていてくれたはずなのに……だから、こうして文通から始めようと……————」


 すべて自分に向けられたものだと気がついて、嬉しさと恥ずかしさで身体中がほてる。

 手紙に書かれていた「可愛い」だの「綺麗」だの「君のことを思うと、夜も眠れない」だの歯の浮くような言葉は、すべてビアに向けられている言葉だ。


「————……ん? ルーチェ中尉?」

「……」


 突然、顔も耳も、真っ赤なだこ状態になって固まったビアを、エリックは不思議そうなに首を傾げて見つめた。


「おい、どうした? 顔が赤いようだが————熱でもあるのか?」


 心配したエリックが、手を伸ばしてビアの額に触れる。

 その瞬間、ビアの全身に雷のような衝撃が走る。


「ななななななななななんなんでもないです!! 大丈夫です!!」


 ものすごい勢いで後ずさり、ビアは逃げるように執務室を出て行った。


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