第4話 なんで!?


(意味がわからない……!! 本当に、なんで!?)


 功績がきちんと評価されて、昇進したことには何の文句もない。

 むしろ、本物のジャンが戻って来たら、感謝されることだろう。

 自分で何一つ功績をあげることもなく、一気に二階級も昇進したのだから。

 しかも、終戦したばかりでしばらくは実戦はない。


 昇進はいいのだが、それでなぜ、よりにもよって、あのエリックの補佐官なのか。

 わけが分からなくて人事の担当者に聞いたら、この人事を決めたのはエリック本人の希望だという。

 いくら変装していたとはいえ、ビアはシルビアとしてつい二週間前にエリックに会っている。

 顔をじっと見つめられた。

 一番会いたくない人物と、なぜまた会わなければならないのか。

 しかも、補佐官ということは見合いとは違って、毎日顔をあわせることになる。


(私が……ジャン・ルーチェがあなたを怒らせたシルビアの従兄弟だってわかっていないの?)


 ルーチェ公爵家は、騎士なら誰もが知っている代々騎士団長を輩出している名家だ。

 その令嬢であった伯母のヴィーナスが爵位が下のフィオーレ侯爵と恋に落ちて結婚したという美談は、派手に脚色されて演劇にまでなっている有名な話。

 実際は、フィオーレ侯爵の財力に目をつけた伯母ヴィーナスの計略であるが……


 この人事に決まったのは、六日前。

 つまり、あの見合いの後に決まったことらしい。


(まさか、腹いせに顎で使おうとしているんじゃないでしょうね!?)


 どんな人物か、噂程度でしか知らないが、鬼と呼ばれていた男だ。

 それに先日のあの様子からも、まったく何を考えているかさっぱりわからない。

 ビアはこれからどうなってしまうのか、不安でいっぱいになった。


(ジャンのやつ……!! さっさと帰って来なさいよ!! あのバカ息子!!)


 これ以上の不幸が待っているのかと思うと、エリックの執務室へ向かう足取りは重くなる。

 なんどもドアの前を行ったり来たりして、中々中に入らないビアをすれ違った他の軍人たちが不思議そうに見ていた。


(ああ、もう、考えていても仕方がない!! どうにでもなれ!!)


 意を決してビアは大きく深呼吸をして、ドアをノックし、「入れ」と短く返事が聞こえた後、勢いよくビアはドアを開けて、中に入った。

 朝なのにしまっているカーテンを背に、エリックは椅子に座って顎の前で手を組み、神妙な面持ちで待ち構えている。


「本日付で配属になりました、ジャン・ルーチェ中尉であります」

「そうか。よろしく頼む……」


 エリックは先日と同じように、じっとビアを見つめていたかと思うと、近くに寄るよう手招きした。

 恐る恐るビアが近づくと、ビアの長い前髪を指差して尋ねる。


「その前髪、ちゃんと見えているのか?」

「は、はい。切った方がよろしいでしょうか? 実は子供の頃に負った傷が残っておりまして————あまりにお見苦しいので、こうしているのですが」


(これは本当。ジャンの顔には傷がある)


 それも、自分でつけた。

 まだビアがルーチェ公爵家にいた頃、子供剣術の練習試合で妹のビアに負け、悔しくて投げた剣が跳ね返って右の頬に当たったのである。

 そのせいで、ビアは試合に出場させてもらえなかったが、もし出ていれば最年少で優勝していただろう。

 軍から逃げ出す前のジャンは、「これは昔盗賊を退治した時にできた傷だ」と言い張って傷を隠していなかったため、ジャンの顔に傷があることを証言してくれる人はたくさんいる。

 ビアが前髪を伸ばしているのは、女だとバレにくくするためでもあるが、いちいち偽物の傷を描くのが面倒だったからだ。


「いや、そのままでいい。仕事さえできれば、なんの問題もない」

「ありがとうございます」

「それより、早速で悪いのだが、一つ、聞きたいことがある……」

「何でしょうか?」


(先日よりは喋るわね。もっと無口なのかと思っていたけど……仕事だからかしら?)


 あの時は本当に、まともに会話すらできていなかったが、それと比べればだいぶマシであるとビアは安堵する。

 前日に寝付けなかったようだと執事が言っていたし、もしかしたら、寝不足でちょっと目つきが悪いだけだったかもしれないとさえ思えて来ていた。


「実は、先日、俺は君の従姉妹であるシルビア・フィオーレ嬢と見合いをしたのだが……それについて何か聞いていないだろうか?」


(げっ。いきなり直球で来た)


「まったく情けないことに、俺は彼女を怒らせてしまったかもしれないんだ」

「へ……?」


(今、なんて言った?)


 ビアは自分の耳を疑った。

 聴覚は他人より優れているはずだ。

 そのおかげで、戦場では敵の動きにいち早く気づくことができたこともある。


(怒らせた? 怒っていたのは、そっちでしょう!?)


 エリックは両手で自分の顔を覆いながら、話を続ける。


「いざ彼女を目の前にしたら、あまりの可愛さに俺の語彙力が全部死んで、何も言えなくなってしまって……震えが止まらず、恥ずかしくて逃げてしまった」

「…………はい?」


 耳まで真っ赤になっていた。

 執事が言っていたことは、本当だったのだ。


 エリックは本当に、シルビアと会って極度に緊張し、震えていただけだった。


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