第3話 身勝手なロマンス


 持ち主が変わったことで、インテリアも多少だが変わっているように見えるのは、昼間だというのにほとんど全ての窓に赤いカーテンがかけられているせいだ。

 吸血族は太陽の光が苦手だと聞いたことがあるし、それは納得がいく。

 白と黒のチェスボードのような長い大理石の床や、黒いダマスク柄の壁、シャンデリアはあの頃と何も変わっていない。

 案内された応接間の赤いベルベッド生地の椅子に腰掛けると、シワひとつない真っ白なテーブルクロスの上に、ティーカップに注がれた紅茶が置かれる。

 向かいの席には、まだ誰も座っていなかった。


「少々お待ちください。坊ちゃん————失礼、主人がまもなくこちらへお越しになりますので……恥ずかしながら、少々準備にお時間がかかっているのです」

「そうですか」


 紅茶を置いた年配の執事は、ニコニコと微笑みながら言った。


「シルビア様にお会いするのを楽しみにしておられましてね、昨夜中々眠ることができなかったようなのです。それで少し寝坊をしてしまいまして……」

「は、はぁ」


(眠れないほど楽しみにされていたの? あの、鬼の副隊長と呼ばれていた男が?)


 そんな、旅行に行く前の子供のようなことになるなんて、シルビアはよっぽど気に入られているのだとビアは思った。

 シルビア本人は、一度も話したことも、会ったこともないと言っていたし、どうして自分が見合い相手に選ばれたのかもわからないと言っていたが、本人が自覚していないだけで、どこかで会っているのかもしれない。

 あるいは、一方的に見初められたとかでなければ、大人がそんな風に緊張しないだろう。


(確か、二十歳は過ぎていたはずだけど……)


 正確な年齢は知らない。

 吸血族は人間族よりずっと長生きするらしいし、見た目と年齢が合わないと聞いたこともある。

 ビアと共に戦った混血の男も、見た目は人間族でいうと二十代前半くらいなのだが四十歳だと言っていた。


(まぁ、いくら向こうがシルビアにぞっこんでも、断ることになるのだから、どうでもいいか)


 カップに口をつけようと、持ち上げたところで急に扉が開く。

 ビアは手を止めてそちらを見ると、黒いフロックコートを着た背の高い男が無言で立っていた。

 混血の吸血族の特有の白くきめ細やかな美しい肌と、毛先の方だけ灰色の白髪で、一瞬生首が浮いているように見えてぞっとする。

 均衡の整った美しい容姿ではあるが、三白眼で目つきが鋭い。


「…………」


 赤い瞳の双眸でじっと、無言でビアを見つめている。


「…………」

「…………」


(何……? すっごい見られてるんだけど……)


 お互いに一言も発しなかった。

 目を逸らした方が負けだ。

 二年も戦場にいたビアは、本能的にそう思ってしまったのだ。

 視線はそのまま、カップをゆっくりソーサーの上に戻した時に鳴った小さな食器の擦れた音が静寂の中響き渡る。


(この人が、見合い相手で合っているのよね? そうだとしても、一体なんなの? 眠れないほど緊張していた相手に対して、この射るような視線は————)


 この場にいたのが本物のシルビアだったら、あまりの恐ろしさに泣きだしてしまうほど、圧が強かった。


「————坊ちゃん、入り口で突っ立ってないで、さっさと中にお入りください」


 執事はそんな異様な空気を全く気にせず、男の後ろに回って背中を押しながら言った。


「あ、ああ……わかった」


 男は少しだけ幼さの残っている顔に似合わず低く響きのある声でそれだけ言って、ビアの前に座る。

 右手と右足を同時に前に出して歩いていたし、明らかに緊張している様子なのだが、ビアはそのことに気がついていなかった。


(きっと、何か企んでいるのね。シルビアじゃなくて、フィオーレ侯爵家に何かしようとしているんじゃないかしら?)


 そんな風に、仮説を立ててしまったのだ。

 フィオーレ侯爵家は、ビアが知る限り一番の金持ち貴族だ。

 過去、シルビアとして参加したいくつかのパーティーでも、金目当てで言い寄って来た男は何人もいる。

 この男も、シルビアよりその金を狙っているのではないかと怪しんだ。


「シルビア様、こちらが、我がルーナ侯爵家がご嫡男エリック・ルーナ様でございます。では、私共は席を外しますので、あとは若いお二人でごゆっくりお過ごしください。何かありましたら、扉の外におりますので、すぐにベルでお呼びください」


 エリックの前に紅茶を置いたあと、執事もメイドも皆応接間から出て行ってしまった。

 文字通り、二人きりになってしまったビアは、エリックがいったいどんな話をしてくるのかと、身構える。


「……」

「……」


 ところが、何も話さない。

 見合いの話を持ちかけたのも、この邸宅に呼んだのもエリックの方だ。

 それなのに、エリックはただ、向かい合って先ほどと変わらず、じーっと、ビアの顔を見ていた。

 紅茶には手もつけず、ただただ、無言で見つめているのだ。


「あ、あの……」


 しびれを切らして、ビアの方から話しかけてみると、今度は急にカップの紅茶をぐびぐびっと一気に飲んで、勢いよく立ち上がる。

 その拍子に椅子は背もたれから床にダーンっと大きな音を立てて倒れる。

 明らかに様子がおかしい。


(なんだか気味が悪い人だわ……何を考えているかまるでわからない)


 エリックは震えていた。

 それが、ビアには怒りに震えているように見えた。

 シルビアの父であるフィオーレ侯爵は、普段は温厚だが急に怒りのスイッチが入ると顔を真っ赤にして震え出す。

 その様子と、エリックの様子が重なって見えたせいだ。


(お、怒ってる? な、なんで!?)


 わけが分からず、ビアは焦る。

 もともと断る縁談であるが、まだ何も会話すらしていないのに、どうして怒っているのか見当がつかない。

 こんなことは初めてで、どうしたらいいか全く分からなかった。


「失礼する———!」


 エリックは震えた声でそう言い放って、急ぎ足で応接室から出て行ってしまう。


「え……? ちょっと、待って……」


 バタンと扉は閉まり、引き止めようと伸ばしたビアの手は何もつかめなかった。


(今のは何……? え? 私、フラれたの? 何も話してないのに? こっちからフリに来たのに!?)


「申し訳ありません、シルビア様。どうも、シルビア様のお美しさに緊張して上手く話せなかったようです」

「……はい?」


 執事が急いで入って来て深々と頭を下げられたが、そんなのは、執事が気を使った嘘だと思った。

 結局、その日ビアはそのまま馬車に乗ってフィオーレ侯爵家へ戻る。

 シルビアにうまくいったのか聞かれたが、あの様子じゃぁ、破談に決まっている。


「ご安心ください。もう、あちらから連絡してくることもないと思います」


(身勝手な人だったわ。まぁ、貴族なんてそんなものよね)


 ビアは、エリックの様子を詳しく話さなかった。

 そもそも、何もなかったのだから、話すこともないのである。


 そうして、休暇の二週間はあっという間に過ぎて、ビアは再びジャン・ルーチェとして軍に戻った。

 ところが、掲示板に張り出されていた人事異動の通知を見て、愕然とする。


(嘘でしょ?)


 ジャン・ルーチェは戦場での武功が評価され二階級昇進し中尉に。

 そして、辺境警備軍第七騎士団副隊長から辺境警備軍第九騎士団隊長となったエリック・ルーナ中佐の、補佐官に異動になった。


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