第一章 身勝手なロマンス

第1話 一生のお願い


「急に帰れと言われても……」


 正規軍である辺境警備軍第九騎士団隊に配属されて二年。

 国境付近で発生した吸血族による侵攻を防ぐために戦地で戦い抜いた赤毛の少女は、終戦直後の十八歳の誕生日、突然、二週間の休暇を言い渡された。

 騎士団が使っている寄宿舎で、唯一の趣味である読書でもしようかと思っていたが、その日程が寄宿舎の全体清掃と丸かぶりしていたため、結局彼女は二つの実家に伝書鳩を飛ばした。

 一つは、幼少期を過ごした生家であるルーチェ公爵家。

 もう一つは、伯母に引き取られ養女として六歳から十年間過ごしたフィオーレ侯爵家。


 どちらからも断られる可能性があったが、寄宿舎周辺の宿はどこも戦後の復興作業中で営業していない。

 もっと都心部に近い町へ行くしかないのである。

 特に親しい友人がいるわけでもないし、彼女は途方にくれていた。


「ほら、さっさと出ていきなさい」

「いつまで残ってるんだ」

「邪魔だよ、あんたその前髪も邪魔だね、ちゃんと前見えてるのかい?」


 急な話で中々やって来ず、自分の部屋で待っていたが、邪魔だと掃除業者に追い出されてしまう。

 仕方がなくサイズの合わない所々穴の空いたボロボロの外套を羽織り、大きな鞄一つと鳥籠を持って寄宿舎を出た時、そこでやっと手紙を脚につけた伝書鳩が帰ってく来た。

 フィオーレ侯爵家からだ。


「珍しい。なにこれ……」


 読んでみれば、ものすごい歓迎されている。

 何か裏がありそうだなと思うくらいに。

 しかし、ルーチェ公爵家からの返答は届いていないし、今更ルーチェ公爵家に行ったところで、自分を捨てようとした継母と顔を合わせなければならない。

 彼女は鳥籠に鳩を入れると、鞄を持ち直して相乗りの馬車乗り場まで歩いていった。

 そうして、馬車を乗り継いで、一日と半日後、二年ぶりのフィオーレ侯爵家の邸宅へたどり着く。

 色とりどりの花が映える美しい庭園の中を突っ切るように長く伸びたレンガの小道を進むと、見慣れた真っ白い壁と金色の装飾が見えてくる。


「あ! やっと来た!」


 二階のバルコニーから、甲高い声の主が彼女に向かって笑顔で手を振っている。

 フィオーレ侯爵家の一人娘——シルビア・フィオーレだ。

 この豪華な邸宅にふさわしい、淡い桃色のレースが何層にも重なったドレスを着て、年中パーティーでもしているのかと思うほどの装飾は相変わらず目に悪い。

 シルビアが動くたび、ダイヤのイヤリングが光を反射して、眩しくてたまらない。


「お嬢様、いったいどうされたのです?」

「どうって、あなたが帰ってくるのをずっと待っていたのよ!」

「待っていた……? お嬢様が、私を?」

「そうよ、お願いがあるの!」


 手すりに半身を乗り出し、彼女を見下ろしながら、無邪気に笑うシルビアは、戦地から戻った従姉妹に向かって労いの言葉もなく、言った。


「一生のお願いよ! こんなこと、あなたにしか頼めないわ、ビア」


 久しぶりにその名で呼ばれ、ビアは一瞬、不快感をあらわにしそうになった。

 この家に養女として入って、シルビアにつけられた名前。

 この国では飼い犬に名前をつける時、飼い主の名前から二文字取ってつける習慣がある。

 つまり、シルビアにとってビアは飼い犬だ。


 二年前までは、上手に隠せていたのに。

 戦地にいた間、すっかり忘れていた。



 *



「————つまり、私にお嬢様の代わりに見合いに行けと?」

「ええ、そうよ。それくらい、簡単でしょう? あなたなら」


 荷物を下ろす暇もなく、ビアはシルビアの部屋に引き入れられた。

 シルビアのお願いというのが、見合いの替え玉である。


「あんなことがなければ、あなたは私の護衛だったのだもの。子供の頃にも何度かあったじゃない? 風邪を引いた私の代わりに、あなたが私としてパーティーに出席したことが」

「それは……まぁ、確かにそうですが……私の今の状況をわかって言っていますか? 私の体は一つしかないのですよ?」


 ビアは六歳の時、父が戦死した後、継母に捨てられそうだったところを、このシルビアの母である伯母ヴィーナスに拾われた。

 ビアの本当の母親の身分は低かったが、騎士として名高いルーチェ公爵家の血を色濃く継いでおり、ビア自身には特別な才能があった。

 伯母は王太子妃の座にシルビアをと画策していため、妃となった後の側仕えとしてちょうどいいと考えたのだ。

 年齢も一つしか違わず、背丈も似ている。

 顔は従姉妹であるせいか、似ていなくもない。


 今は顔を隠すように右側の前髪をわざと長くしているが、シルビアと同じように前髪を綺麗に切り揃え、同じ髪型と同じドレスを着て、少し化粧を施せば見間違えられてもおかしくはない。

 本来なら、シルビアが王太子妃になった後も、護衛として側にいるはずであった。

 ところが、王太子妃の座は別の公爵家の令嬢に奪われてしまう。

 さらに、それとほぼ同時期にビアの腹違いの兄である嫡男ジャン・ルーチェが失踪する。

 軍に入隊して最初の基礎訓練を終えた後、戦地へ行く前に逃げたのだ。


 そこで、ルーチェ公爵家はビアを呼び戻した。

 ジャン・ルーチェとして、戦地へ行くように。

 ジャンが戻るまでの間だと言いくるめられ、ビアは男装して軍に入った。

 腹違いとはいえ、実の兄とは顔がよく似ており、背丈も大して変わらないらしい。

 爵位の高い家の者は寄宿舎では一人部屋を与えられていたため、女であることはなんとか隠して過ごしていたが、ビアは他の誰よりも強く、戦地で武功を挙げたのだ。


 結局、ジャンが戻ることはなく、終戦。

 この休暇が終わったら、また彼女は軍に戻らなければならない。

 赤い死神と呼ばれて敵から恐れられたジャン・ルーチェとして。


「それは分かっているけど、今は休暇中なんでしょう? お見合いはね、明後日なの」

「あ、明後日……!?」

「簡単よ。ちょっと会って来るだけでいいの。お断りするのにも、一度会って欲しいってお願いされてのことだから」

「会うだけでいいなら、お嬢様が行けばいいじゃないですか」

「嫌よ、怖いもの……」

「怖い……?」

「だって相手は、あのルーナ侯爵家なのよ? 吸血族が相手だなんて、怖いじゃない」


 シルビアはその怖い吸血族に、代わりに会いに行けと言っているのだ。

 シルビア・フィオーレとして。




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