ヴァンパイア・ドールズ

星来 香文子

序章


 私はまだ、自分が『お母様』の本当の子供だと思っていた頃、父に連れられて青い湖が見える丘の上にある別邸に行ったことがある。

 季節は初夏で、空は雲ひとつない快晴だった。


 親子水入らずの旅だなんて、父は笑っていたけれど、結局父は急な呼び出しがあって何処かへ行ってしまい、私は一人、鳥のさえずりを聴きながら、青い湖に反射して揺れる光を見つめる。

 確かに美しい光景であったけれど、まだ子供だった私には退屈で、結局二階のバルコニーで父が帰ってくるまで本を読むことにした。

 兄よりも文字が読めるようになったのが嬉しくて、景色よりも書斎に並んでいた祖父の蔵書に興味があった。


「——急にお越しになられるから、何事かと思ったわ」


 急に話し声の聞こえた為、視線を本からそちらへ移すと、庭へ出てシーツを干しているメイド達がいた。

 どうやら、父は急にこの別邸へ来ることを決めたらしい。

 メイド達は準備が大変だと、愚痴をこぼしている様子だった。


「それにしても、あの子はどちらの子かしら?」

「ああ、旦那様とそっくりな顔の……」


 自分のことだとすぐにわかって、私はメイドたちの話に耳を傾ける。

 兄よりも私の方が、父と顔が似ていると本邸の方でも言われていたからだ。


「女の子でしょう? きっと、めかけの方よ」

「そういえば、本妻の方は男の子だったわね」


 私が聞いていることなんて知らずに、メイド達は私の知らない真実を話した。


「いくら政略結婚だったとはいえ、相手は本邸の使用人なんでしょう?」

「違うわよ、別邸の方。私、一度だけ会ったことがあるわ。子供が出来て本邸に移ったけど、産んですぐにいなくなったそうよ。噂じゃ、魔女だって話」

「あら、いやだ、魔女だなんて恐ろしい」


 魔女は、今読んだ本の中では悪い存在だった。

 魔法で王様の心を王妃様から奪って、自分の子供をお世継ぎとして、最初の第一王子を追放した悪い人。

 最後は、その王子様に成敗されたけれど、その美しい姿も、何もかも魔法で作り出した幻想であった——という話だ。


「魔女の子供なんて連れて来て、一体どういうつもりかしら」


 私は自分がその魔女の子供なのだと気がついた。

 それなら、私が今まで「お母様」と呼んでいたあの人は、私の本当のお母様ではないということだろうか。

 本当の子供じゃない。

 今まで、お母様に対して抱いていた違和感の理由がわかって、私はそれまでのことを思い返した。


 兄の手は握ってくれるのに、私の手は握ってくれない。

 兄と私の二人とも風邪を引いて寝込んだ時、お母様は私の寝室には一度も顔を見せてくれなかった。

 隣の兄の部屋からは、お母様と兄の話し声が聞こえていたのに。

 私が兄よりも早く読み書きを覚えた時、父は喜んでくれたけど、お母様は笑顔ひとつ見せてくれなかった。


 思い出して悲しくなったその時、湖の向こう側の森から、一斉に鳥が羽ばたいた。

 青い空が、その後を追うように厚い雲に覆われて灰色に染まって行く。

 メイド達が急に降り出した雨に慌てて、シーツを取り取り込んで、お屋敷の中へ走っていく。

 激しさを増した雨に打たれて、私はただ、その光景を眺めていた。


 その時、大きな雷が落ちる。

 ゴロゴロと唸り、光って、湖の向こう岸に見える山の頂に落ちた。


「——■■■■!!」


 父はバルコニーにいた私の後ろ姿を見つけて叫ぶ。


吸血族きゅうけつぞくとの戦争が始まってしまった。俺は、もう行かなければならない。お前は、雨がやんだらすぐに執事と一緒に馬車で本邸に戻りなさい!」


 私は、これから戦地に行く父を心配させまいと、振り返らずに頷いた。


「うん……」


 それが、父と交わした最期の言葉だった。

 あの時、私が振り向いていれば、父は戦地に行くことはなかったかもしれない。

 ほんの少し、時間がずれていたら————今でも、そう思わずにはいられない。


 私はもう、父の笑顔を上手に思い出せない。

 遺影として残っている肖像画の、誇り高きルーチェ公爵家の騎士としての顔しか、私の記憶には残っていなかった。


 あの日から、私はずっと嘘をついて生きている。

 名前も、身分も、性別まで偽って、父と同じ騎士として、戦場に立っている。

 何度も死のうと思ったけれど、たくさんの命を、この手で奪いながら、図々しくも生きている。

 父から受け継いだ剣を手に、今日も私は生きている。

 いつかこんな私にも、幸せだと思える日が来ることを願って。



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