第17話 壁ドン
「あ、スマホ部屋に忘れてきちゃった」
宴会場へ向かう廊下で、私はスマホがないことに気がついた。
「じゃあ先行ってるよ?」
「うん、ごめんね」
どうせ宴会の席はくじ引きだから、急ぐこともない。
部屋へ戻る途中の渡り廊下に差し掛かると、だれか立っている。
浴衣姿だけど、旅館のものじゃないみたいだ。
それに顔には黒い狐の面。
なんか異様な人だな。
しかも渡り廊下のど真ん中に立っていて、嫌な感じ。
私はその側を会釈しながら通りすぎる。
その瞬間、
「あなたは私が視えてますね」
と耳元で声がした。
「え?」
と振り向くと、もうその人はいなくなっている。
背筋に寒いものが走る。
なんだったのだろうか、今の人ーー。
********
宴会場に着いたのは私が最後だった。
謝りながら、会場に入って決められた席に着く。
ゲッ。
よりによって川瀬とさっき風呂の前で私を睨んでいた美佳が私の両隣だった。
でも、部長が私の斜め向かいにいる。
それだけでちょっと嬉しくなる。
幹事の挨拶があって、部長が乾杯のために立ち上がる。
ざっと三十人くらいいる人の前で堂々と、そつなく乾杯の挨拶をする部長。やっぱり大人。やっぱりすごい。
「はいかんぱーい。ほら、新人ちゃんいっぱい飲んで飲んで」
川瀬はそればっかりだ。よっぽど新人に飲ませるのが好きらしい。
「ありがとうございます」
私も誰かに注がなきゃと、隣の美佳がグラスを空けたので注ごうとしたら逆にビール瓶を取られた。
「ほらほら飲んで〜。如月さんってお酒、好きなんでしょう?」
美佳さんは5年先輩の社員で、独身。早々に化粧を落としてしまった私と違って今もバッチリメイクをしていた。
アラフォーだとは聞くけど実際の年齢はわからない。
「ありがとうございます。美佳さんもーー」
と言う私の言葉は聞こえなかったようで、向かいの部長に瓶を傾ける。
「部長は飲み会でもあまりお飲みにならないですよね〜」
「あまり強くないからな」
「あれ、そうなんですか? でもこの前は日本酒たくさん飲んでましたよね」
そう言うと、部長は怪訝そうな顔をして私のことをじっと見た。
「あらぁ、部長と2人で飲みに行ったの?」
美佳さんの質問に私は頷きかけて、首を傾げた。
「いや、無いです。部長と飲みに行ったこと。あれ、妄想? 夢かな」
なんか混乱する。
「なになにもう酔っちゃったの? まだ宴会は始まったばかりだよ〜」
川瀬が私にビールを注いでくる。
私はビール党じゃないから、お腹いっぱいになっちゃう。
日本酒が飲みたいなと思っていると、部長がメニューを取って店員を呼んだ。
「地酒、このページの全部お願いします」
あれっ。
私は驚いた。
地酒の美味しい居酒屋にいくときの、私のいつもの頼み方。
部長も同じことするんだと思ったら少しうれしくなった。
「部長、そんなに日本酒お好きでした?」
美佳が驚く。
「最近ね。美味しそうに飲む奴がいて、私も好きになった」
「へえ。お知り合いに日本酒好きな方がいるんですね。私も御相伴に預かろうかしら」
周囲の人を巻き込んで、私の周りだけ日本酒パーティみたいになった。
川瀬も酒が好きらしく、私に勧めながらも返盃を受けているうち自分がベロベロに酔っぱらい始めた。
「おいおっぱい揉ませろや」
川瀬がダイレクトな昭和的セクハラ発言をして、隣にいた私に手を伸ばしてくる。
「やめろ!」
部長がするどく言って向かいから川瀬の腕をつかんで止めた。
「あんたそれセクハラで済まされないぞ」
部長の厳しい態度に川瀬が追い詰められた猫みたいに激昂する。
「なんだ若造が偉そうに!」
川瀬は手近にあったお椀を部長に投げつけた。
けれど酔っているので手元が狂い、隣にいた美佳の方に飛んでいく。
「キャアっ」
「危ない」
美佳を部長が身を挺して守る。
美佳の両肩に手を置く部長を見て、ドキッと胸が鳴る。
「大丈夫か?」
美佳は部長の手の中で、目をキラキラさせて部長を見つめた。
そうか。
私はこの時ようやく気づいた。
部長と美佳さん、付き合ってたんだ。
だから部長が私と話してると睨んできたんだ。
部長は上司として指導してくれていただけなのに。
「部長のほうこそ大丈夫ですか? 大変、火傷してる」
美佳がそう言っておしぼりを部長の胸に当てる。
川瀬が投げたのは五徳に乗った鍋だったのだ。
「そんなに熱くなかったから心配ない」
「だめですよ。火傷はあとになります。水道のところに行きましょう冷やさないと」
部長と美佳がくっついたまま立ち上がる。
思わず目を逸らしてしまう。
胸が痛い。
「川瀬さん、変なことしないでくださいよ。箕川、川瀬さんを頼むよ」
部長は川瀬と同室の後輩に告げると美佳と消えてった。
「はいはーい」
箕川さんは調子のいい返事をしたものの、自分の気の合う人と飲んでてこっちに見向きもしない。
川瀬は寝息を立てていた。
仕方なく私は川瀬の肩を叩く。
「川瀬さん、お部屋戻りましょう。こんなところで寝たら風邪ひきますよ」
「ぬぁっ」
川瀬は目覚めて、よろよろと立ち上がる。
「大丈夫ですか?」
「肩かせ如月」
「あ、はい」
そばにいた男子社員が変わると申し出てくれたが、部署も違うしなんだか申し訳なくて私はそれを断った。
別に川瀬を部屋に送るだけだ、問題ない。
川瀬は千鳥足で何度も転びそうになるのを私が支えながら、どうにか部屋までたどり着いた。
部屋にはもう布団が敷いてある。
「川瀬さん、ほらお部屋ですよ」
「おーっ。おまえも一緒に来い」
グイッと川瀬に腕を引っ張られる。
「えっ」
まずい。と思った瞬間、川瀬が勢いよく布団に吹っ飛び、私は逆に後ろに引っ張られていた。
ほわっと柔らかく温かい空気に伝われるような感覚で背中が受け止められる。
いい匂い。大好きな匂い。
「いい加減にしろ、このゲス野郎が」
大いびきをかく川瀬を尻目に、部長が私を乱暴に部屋から連れ出す。
「あのっ、ほっといていいんですか? 急性アルコール中毒かも」
「心配ない。あんなの狸寝入りだ」
「え、そうなんですか」
「おまえも!」
ドンっ。
部長が振り返りざま、廊下の壁を強く叩く。
部長の両腕が私の顔を挟んでいる。顔も近い。
「あんな酔っ払いにホイホイついていくんじゃない! おれが来なかったらどうする!? この前みたいなことがあったのにまだ懲りてないのか!」
「この前?」
私が問い返すと、部長がハッと口をおさえる。
「いや、なんでもーー」
部長は言いかけて、ふと廊下の先を見つめて目をみはった。
そこには、玉藻とジィの姿があった。
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