第16話 湯当たり



 なんで。


「うわあっ」

 部長が悲鳴を上げてドアを閉める。


 私はそれにリアクションをとる余裕もなく、かろうじてタオルを身体に巻きーー

「すまん、まさか入ってると思わなかった」

 遠くで部長の声が聞こえる。


「てゆうか、なんで鍵開いてるんだ」

 視界が白くて何も見えない。


「おい、大丈夫か? だいぶ顔赤かったけど」

 完全にのぼせた。


 座ったまま立ち上がれない。


 水ーー。


「部長、水、くだ、さい」

「え?」

 やばい。もう声も出ない。


「おい、如月。大丈夫か? 如月」

 返事ができない。 


 その時、

『おい、如月。大丈夫か?』

 心の中で部長の声が響いた。

 何これ。

 あれ、でもこれ前にもーー?


『湯あたりしました。水欲しいです』

『ばか。開けろ。水やる』

『目の前が真っ白で動くと気持ち悪くて無理です』


『何やってんだ。開けるぞ』

 ドアが開く。部長が入ってきて、鍵を閉めた。


 タオル一枚かけただけの姿で壁にもたれるように座っている私に、部長がペットボトルの水を飲ませてくれる。


 ハンドタオルを水で濡らして、私の額に当ててくれた。

「大丈夫か?」


 部長の心配そうな顔が見える。

「だいぶ良くなりました」

「全く気をつけろよ。酒も入ってるんだから」

「すみません、ご迷惑ばかりかけて」


 こんなふうに部長と話すのは、始めてなのに、何か久しぶりな気がした。


 いつも冷たい雰囲気の部長が、すごく優しい人のように思える。


「てゆうかお前、なんで鍵開いてた」

「鍵なんてあったんですか?」

「当たり前だろ!」

「勝手に閉まるものだと思ってました」

「このドアのどこにそんなハイテクなシステムがあると思うんだよ。お前ってやつはほんとにーー」


 と、隣の貸切風呂から聞き覚えのある声が聞こえてきた。 


「うちの社員だな」

 部長が顔を曇らす。


「こんなところから一緒に出て行ったらまずいじゃないか」

「何か言われたら私が説明しますよ。のぼせちゃったって」

「それをどうして俺が知ってるんだよ。たまたま居合わせたって?」

「まずいですか?」

「だれも信じないだろそんなの」

「確かに、心の中で部長の声が聞こえたなんて言ってもそれはだれも信じないですよね」

「しっ」


 部長が慌てて私の口を押さえる。

 外で、カラスが鳴きながら飛び去っていった。


「それは口に出すな」

 部長が厳しい顔でカラスの飛び立った後を睨みながら言う。 


「とにかく、俺が先に出るからお前は落ち着いたら出てこい。服を着るのを忘れるなよ」

「それは流石に忘れませんよ」

「鍵もだ。俺が出たらすぐにかけろ」

「はい」


 部長はそういうと、あたりを警戒しながら外へ出ていった。


 動けるようになった私は、その後すぐに鍵をかける。


 鏡に映る自分を見て、一気に恥ずかしくなった。


 冷静になってみれば、私なんて格好を部長に晒してるんだろう。


 ほとんど裸じゃないか。


 でも、部長ーー何も気にしてないみたいだった。

 私の裸になんか興味ないのかな。

 ため息が出る。

 でも私、なんでそんなこと気にするんだろう。

 部長とは、会社であまり話をすることはない。


 私のことなんて眼中にもないだろう。

 だけど私は、あの日の出張の後から部長のことをつい目で追ってしまう。


 たまに目が合うとドキリとして、すぐにそらしてしまうけど。

 私、部長のこと好きなのかな。


 でも、好きになったところで相手は部長だ。対して私は入社一年目の新入社員。

 釣り合わな過ぎる。


 これがもし恋なら、諦めた方がいいに決まってる。


 でも、今みたいに優しくされたら、諦めきれなくなってきちゃう。

 胸が締め付けられるように痛い。

 もう、この気持ちは後戻りできないのかもしれない。


 私はのぼせを冷ましてから、浴衣を着て風呂を出た。

 ふと視線を感じて振り向くと、同じ部署の先輩である美佳がこちらを睨むようにして見ていた。


 私は一瞬ゾッとする。

「あ、すみません。ずっと待ってましたか?」 


 私が尋ねると、美佳はまるきり無視して、私に背を向けると行ってしまった。  


 なんだか怖い。


「あ、いたいたー」

 廊下を歩いてくる涼子を見てほっとする。


「なかなか戻ってこないから心配したよ」

「ごめん。風呂で寝ちゃって」

「まじ!? あぶな」

「うん。マジで危なかった」

「水持っててよかったね」

「あ、うん」


 部長のくれたペットボトルを思わずギュッと握った。

 ふた、開いてたな。


 もしかして、間接キスだったのかな。

 そんなことを考えると、ちょっとドキッとした。


「もう大丈夫なの?」

「うん。すっかり冷めた」

「もう、気をつけなよ〜。夕飯になるから行こ」





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