拝啓 先生へ

須川  庚

第1話

 先生へ。

 お久しぶりですね。

 わたしはもう大学4年生に、就活生で週に何度か忙しい日を送っています。

 わたしが小学校入学したときに、図工の先生としてきたらしいですが、わたしは3年生のときからずっと教わっていました。

 カーキというかベージュみたいな色のつなぎを着ていたのを思い出しました。

 その頃から教科書をあまり使わずに図工を教えてくれました。

 それがとても楽しくて、いつもるんるんな気持ちで授業がある日を過ごしていました。

 いつも自転車に乗って妹と一緒に通学しているときに挨拶をしてくれましたね。

 寝転ぶ体制でこぐ自転車で、最初はびっくりしました。

 でも、慣れてくれば普通に先生が来たなと思えました。

 4年生からはクラブ活動の参加がスタートしたときに、問答無用で美術系のクラブ一択でした。

 毎週木曜日の放課後、図工室ではいつもと違う曲を流してくれましたね。

 授業で集中するときはなぜか『太陽にほえろ』のサントラを掛けているのに、クラブのときはBeatlesのCDを流していました。

 それを聞いてとても楽しかったのを覚えています。

 ときどき先生は図工準備室から持ってきたギターを弾いているのを見て、すごいなと思うようになりました。

 それがきっかけで英語の歌を、主にBeatlesだけですが覚えて歌えるようになりました。ギターは弾けないのですが、ほぼ耳コピの適当な歌詞です。

 大学で先生に発音がきれいですねと褒められました。

 そのときに自由に創作することを教えてくれて、イラストも卒業するまで図工室に飾られています。

 授業では朧月に桜の絵を描いて、一度だけ保健室前の廊下にあったときはとてもうれしかったです。

 卒業するまで授業を教えてくれるんだろうなと思っていました。




 でも、それは6年の夏休みに打ち砕かれました。

 ちょうど10年前の昼下がり、夏休みなのにかかってきた連絡網に不安を覚えました。

 この時期に連絡網が来ること自体、ありえないからです。

 児童館からの帰り、お母さんが報せを言ってくれました。

 先生が突然この世を去ったことでした。

 最初は信じられないと思っていました。

 夏休み明け、先生の遺影が壇上に飾られていたときに現実だと思いました。

 会えない。

 色んな話もできない。

 あの授業を受けることができない。

 そのことに悲しみを感じました。

 初めて夜に泣きました。

 しばらくは受け入れられませんでした。

 わたしはあまりクラスメイトとなじめない性格だったのですが、一人でもできる図工の時間は楽しかったんです。

 それから先生のものが無くなった図工室は、全く違う場所に見えて不思議でした。

 準備室の入口に置かれたギターも持って帰ったみたいです。

 ただクラブのときに書いた絵は残されていました。

 あれから10年が経ちました。

 いまになったら、言えることがあります。

 いままで教えてくれて、ありがとうございました。

 イラストを描くのはとても楽しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拝啓 先生へ 須川  庚 @akatuki12

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ