第8話 撮影終了


「いや〜、凄い人やね」

 

 合わせ撮影も少し落ち着いてきた頃、聞き覚えのある声が耳に入る。

 金髪長髪の女性――写真撮影を約束していた金具かなぐさんがそこには居た。


 ハッとなり時計を確認すると、もうすぐ針が15時を指し示そうとしている。


「すみません。お時間なのに態々迎えに来ていただいて」


「ええよ、ええよ。皆月みなづき君のためなら例え地獄の果てだろうと遠足気分で出向いちゃうわ」


 大口を開けてカラカラと笑う金具さんは歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく言う。


「そんで、あそこに居るのってコスプレイヤーの『シズル』やんな? 友達なん?」


 金具さんの視線の先に目を向けると撮影会を中断されて不機嫌な顔になっているシズルさんが立っていた。僕に向かって「早くしろ」と言わんばかりに睨んできている。

 金具さんも知っているとは、やはりシズルさんは界隈でも有名な方のようだ。

 

「あー……いや友達ではないですね。さっき知り合いました」


「ほ〜ん、そうなんか。結構仲良しに見えたから友達かと思ったわ」


 仲良しか……。

 確かに、逆転前世界含めて同性の人にあそこまで良くされた記憶はなかった。まぁ、かなりキツく当たられているので向こうからは嫌われているかもしれないが。

 それに、僕なんかと仲が良いだなんてシズルさんにとっても迷惑な話だろう。彼との距離感は考えないといけない。


「んで写真どうしよっか? 忙しいならうちも全然時間ずらせるし、何なら今パッと撮ってしまっても構わんで」


「うーん……とりあえずシズルさんと話して来ます。少し待っててください」


 そう金具さんに断りを入れ、先ほどから此方を怖いくらい凝視しているシズルさんの方へと向かう。

 僕が近づいてくるのに気付くと彼は少し表情を和らげた。


「……あいつ誰? もしかして彼女か?」


「かの!? いや、違いますよ。金具さんは僕が売り子してたサークルの隣のサークルの方です。実は15時から撮影の約束をしていまして……」


 シズルさんからの予想だにしない質問に驚く。

 僕なんかと付き合ってるように見られるのは金具さんに申し訳ない。


「まぁお前とは釣り合ってないもんな。じゃあ一旦、休憩も兼ねて撮ってきて良いぞ」


 全くもってその通りなのだが、面と向かって釣り合ってないと言われると心に来るものがある。

 内心で涙を流しつつ気にしてないフリをして、金具さんの下へ向う。


「どやった?」


「暫く時間を空けていただいたので、大丈夫です」


「おっしゃ! ほならうちと撮ってもらおか」


 そう言うと金具さんはスマホの内カメラを此方に向け、2人が画角に入るように調整する。

 狭い画面内に人間2人を入れるとなると、必然的に金具さんとは体が触れ合うほど密着することになり、シズルさんとはまた違った形で心が揺さぶられる。


 更にもっと近づいてと言わんばかりに体を押し付けてくる金具さん。

 もう十分だろうというレベルまで近づいた時、僕の腕は柔らかい感触に包まれていた。

 思わず目を向けてみると金具さんの胸が僕の二の腕で押し潰されている。


 これは不味い、痴漢扱いされる……と思ったが、ここは貞操逆転世界であることを思い出す。

 この世界での女性の胸は、逆転前の男性の胸程度の価値しかない。

 逆転前の男性は厚い胸板、硬い胸筋でセックスアピールをすることはあっても、胸に少し触れられた程度で騒ぎを起こすことはなかった。

 それと同様にこの世界の女性は豊かな胸や形の良い胸でセックスアピールすることはあっても、不可抗力で触られた程度では問題にすらしない。

 ここが貞操逆転世界で良かったと、僕は心の底から安堵した。

 

 腕と胸が触れ合ってるせいか金具さんの体温や息遣い、鼓動までもがはっきりと僕に伝わってくる。

 スマホを掲げる彼女の腕が少し震えているようにも見える。

 逆転前世界含めて誰かと自撮りした経験がないため、僕には分からないのだが、恐らくスマホを頭上に掲げ続ける行為は腕に負担を掛けるのだろう。


 その辛さ故か鼓動もどんどん早くなっていき、呼吸も荒くなっていることが体を通して伝わってくる。

 心配になって金具さんの顔を覗くと頬が少し赤くなり、目が血走っている様子が視界に入る。


「だ、大丈夫ですか……?」


「え!? あっ! すまん、すまん。ぼーっとしてたわ」


 頭を振って正気に戻った金具さん。

 僕の肩にかかった彼女の長い金色の髪が揺れ、柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐる。


 その後、ベストな画角を見つけた金具さんは数枚写真を撮り、スマホを見つめて満足そうな表情を浮かべる。

 僕なんかとの写真でそんな顔をしてもらえるとは、何だか少し気恥ずかしい気持ちになる。


「いやぁ、ありがとう。ほんま嬉しいわ。……あっ! そうや、イベントの後って予定ある? 実は火龍かりゅう先生らと打ち上げしようって話になってて、良かったらどうや? 勿論、夜凪よるなぎ先生も一緒に」


「そうですね……夜凪さんに聞いておきます」


「おおきに。ほなこれ、うちの連絡先。うちは皆月君と一緒に飲みたいから前向きに考えてな!」


 そう言って金具さんはメールアドレスを教えてくれた。

 実際に参加するかしないかは夜凪さん次第だろう。

 僕は彼女のおまけのようなものだから。

 まぁ例え打ち上げに参加したとしても、未成年なので一緒にお酒は飲めない訳だが。


 とりあえず、夜凪さんに連絡しておこう。

 恐らくもうお目当てのサークルには並び終えている頃だろうから、丁度良かった。

 スマホを取り出し、連絡用SNSアプリを開いてメッセージを送信する。


皆月 伊織

『欲しいものは買えましたか? 僕は会場西南側にあるコスプレ撮影エリアにいます』


 送ったと同時に既読が付いた。

 夜凪さんもメッセージを送ろうとしていたようだ。


夜凪 麻

『今、丁度買えたところだよ。そっちに向かうね』


皆月 伊織

『諸事情によってもう少し此方でやることがあるので、ゆっくり来ていただいて大丈夫です。それと、先ほど金具さんとお会いしまして、イベント終わりに打ち上げに誘われました。夜凪さんに合わせようと思うのですが、参加なされますか?』


夜凪 麻

『……皆月君は参加したいの?』


皆月 伊織

『僕個人の意見としましては参加しても良いかなと考えてます。初のイベントなので打ち上げまで体験してみたいなと』


 これは本心だ。

 普段の僕ならすぐに帰ろうとするところなのだが、今日は違う。

 今回のイベントを通して様々なことを体験できた。

 大変だったことも多々あったが、全部ひっくるめて楽しかったのだ。

 なので、どうせならもう少しこの想いに浸っていたいという気持ちが強い。


 暫くして、夜凪さんから返信が返ってくる。


夜凪 麻

『……そっか、分かった。私も参加するよ』


皆月 伊織

『では金具さんに参加連絡しておきます』


 夜凪さんは返信としてマギロウの了解スタンプを送ってきた。

 

 夜凪さんとの連絡を切り上げて、金具さんには僕と夜凪さんの2名も打ち上げに参加させていただく旨のメールを送信する。


 そして急いで長い間待たせてしまっているシズルさんの下へと戻る。短い付き合いだが、彼が不機嫌になっている姿は容易に想像できた。


「遅いぞ」


 案の定、不機嫌全開になっている彼を何とか宥めて、撮影会の続きを行う。流石は50万人越えのフォロワーを有するコスプレイヤーなだけあって、カメラの前では自分の感情は一才表に出していない。

 さっきまであれだけ怖い顔をしていたのに、今はまるで慈愛の女神――この世界風で言うと男神おがみのようだ。


「じゃあ、撮影はここまでとします。皆さん今日はありがとうございました」

 

 キリの良い時間となり、撮影会をお開きにするシズルさん。

 最後までファンの前で猫を被り続けたことは驚嘆に値する。

 欲を言えば、その努力を僕にも向けてもらいたかったところだが。

 まぁ知り合いらしいカメコさんと一緒に身内認定されたってことは喜ばしいことなのだろうと思い込み、無理矢理自分を納得させる。

 

 撮影会終了の宣言を聞いた列に並んでいた方々も素直に撮影準備を取り止めて、拍手で終了を労っている。


 ひと段落ついたところで撤収準備を始めた僕とシズルさんの下に1人の女性――よく見ると僕が勝手にカメコさん2号と名付けた人がやって来た。


「シズルさん! 次回は何のイベントに参加しますか?」


 どうやら彼女はシズルさんの熱狂的なファンのようで、鼻息荒くシズルさんの回答を待っている。


「う〜ん、暫く忙しいから次は夏のコミゲかなぁ?」


 コミゲ……確か、コミックゲットバザールだったかな?

 日本最大規模の同人誌即売会だとか。

 次の参加が日本一のイベントとは流石は有名コスプレイヤーだ。


「あ、次もこの子と一緒に参加します」


 さらっと言われた驚愕の発言に一瞬、脳が理解を拒否する。


 聞いてないですよ……シズルさん……

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