第6話 壁サークル
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元々部数は多くなかったため、かなり早かったように感じる。
時計の針はまだ12時を回ったばかりだ。
約束していた15時までかなり時間が空いてしまった、
チラリと右隣のサークルを見てみると
とりあえず夜凪さんとスペースの片付けを進めていると、何か言いたげな彼女が視界の端に映る。
彼女は折角持ち込んだ作品が完売したというのに、まだ何処となく不機嫌そうだ。
やはり、スペースに来てくれた人達と馴れ馴れしくしていたことが原因だろうか。
勘違いコスプレ豚男がここぞとばかりに色目使いやがってとか思われている可能性が高い。
確かに自分の容姿のことをすっかり忘れ、多くの女性と接して舞い上がっていた節はある。客観的に見たらかなり痛い男だったのだろう。
ブスなのに調子に乗ってしまってすみませんと謝ろうとした時――
「……ごめん。折角皆月君が売り子してくれたのに空気悪くしちゃって……」
――ポツリと呟くように夜凪さんが言った。
僕が悪い筈なのに先に謝罪してくれた。いや、謝罪させてしまった。
「いや謝るべきは僕の方だよ。ごめんなさい、(ブスなのに)調子に乗っちゃって……」
「え……? いやいや、皆月君は悪くないよ……私が……その……し、嫉妬しちゃったせいだから……」
嫉妬……? あぁ、なるほど。
本を求めにやってくる人たちは夜凪さんの作品のファンやファンになるかもしれない人なのだ。
それなのに夜凪さんそっちのけで対応していたら、折角来てくれたファンを僕に取られたように見える訳だ。
彼女が嫉妬してしまう理由にも納得がいく。
「夜凪さんの嫉妬は正当なものだよ。勘違いさせてしまった僕に原因があるのだから」
「せ、正当なの!? 私の? 嫉妬が?」
「そうだよ。だから、夜凪さんは謝らなくて良い」
「で、でも……その……私なんかが……皆月君にめ、迷惑じゃないかな……?」
顔を赤らめてモジモジとしながら夜凪さんが僕に問う。
彼女の頭は僕の足元に向けられているが、目だけはチラチラと僕の方を見て様子を伺ってきている。
「全然。今回は僕が悪いし、夜凪さんの気持ちは夜凪さんのものなのだから。他人なんかを気にする前に自分の気持ちを大事にしよう」
夜凪さんは自分を卑下する癖があるからしっかり言ってあげないといけない。
「……そ、そっか。良いんだ……私なんかでも……」
何やら怖い目をしながら1人でブツブツと言っている夜凪さん。
しかし、今の彼女には少し前の不機嫌そうな雰囲気は存在せず、何処か嬉しそうにも見える。
どうやら無事、誤解が解けて機嫌が直ったようだ。
「じゃあ、丁度片付けもひと段落ついたところだし、少し休憩に行こう」
僕の言葉を聞いた夜凪さんは晴れやかな、吹っ切れたような顔で頷いた。
◇◇◇
夜凪さんと軽く昼食を取った後、まだまだ予定の時刻まで時間が有り余っているため、少し会場内を散策することになった。
隣を歩く夜凪さんは何時もより距離が近くなったような気がする。
もしかして、青春小説でよくある仲違いを乗り越えたことで友情が深まったような感じなのだろうか。
彼女と仲良くなれたように思えて、少し嬉しくなった。
しかし、こうして見るとやはり人が多い。
人気アニメと言ってはいたが、公式ではないイベントにもここまで人が集まるのか。
所謂オタクと呼ばれる人種の底力を見せつけられたようで、僕は圧倒されてしまった。
そんな会場内でも異様に人が多い場所が目に入る。
「あ、あれは壁サーって奴だよ」
疑問に思っていると横から夜凪さんが説明してくれた。
壁サーとは壁サークルの略で、会場の壁際にサークルスペースがある人気サークルのことを指すらしい。
僕達のスペースにも多くの人が来訪してくれたが、確かにここサークルはレベルが違う。
幾つもの列が成形されていて、その列が尋常ではないスピードで捌かれていた。人が現れてはお金と本を交換して去っていく、それを凄まじい速度で延々と繰り返しているのだ。
これと比べたら僕の頒布速度は陸地を歩く亀のようなもので、自身の未熟さを痛感する。
「あ、あれは……」
そんな中、夜凪さんは何かに気づいたように呟いた。
「どうかした?」
「いや……ちょ、ちょっと知ってるサークルがあって」
彼女の視線の先には壁サークルの中でも一際目立つサークルがある。夜凪さんはそのサークルのことがどうしても気になっているようだ。
「行ってみる?」
「い、いや、大丈夫だよ! ……皆月君を列に並べさせる訳にはいかないし」
「確かに凄い列だけど……時間はまだあるし僕は全然大丈夫」
「いやでも申し訳ないよ! 行くなら私だけで行くから」
まぁ、余り執拗に言うことでもないか。
他のサークルと比べて明らかに長い列だし、僕が夜凪さんの立場ならこの列に付き合ってもらうのは確かに気が引ける。
「分かった。じゃあ、暫くこの辺りを見て待ってる」
「う、うん。すぐに戻ってくるね」
そう言うや否や夜凪さんは大急ぎで列に並んだ。
……さてと、どうしようかな。待っている間、暇になってしまった。
時間を潰すため、当てもなくぶらぶらと壁サークルを眺めていると、既に片付け作業を行っているサークルが目に付く。
この時点で片付けをしているということは、同人誌をそこまで持ち込んでいなかった僕達のサークルと同等近くの速度で完売しているということだ。壁サークルともなれば持ち込んだ部数はそれなりの数になる筈なのに。
そんなに凄いサークルなのだろうかと興味本位でサークルスペースを覗く。
中にいたのは中年女性数人と、真っ白な髪をした少年だった。
僕にはその白い少年の姿に見覚えがある。
あれはこのイベントのテーマでもあるアニメ「魔法少年 マギナ・マギト」の主人公「マギト」だ。
綺麗に整えられた真っ白な髪に同じくシミひとつない真っ白な肌。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい際どい短パンに胸元に大きな穴が空いたレース付きの白い服。
パッチリと開いた眼はサファイアでも嵌め込んでいるのかと思うくらいキラキラと綺麗に輝いていた。
同性、それも貞操逆転前の世界の精神を持つ僕ですら見惚れてしまうほど美しい美少年だ。
じっと見ていたことに気づかれたのか、彼と目が合ってしまう。
彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに鋭い目をして口角を釣り上げた。
本物のマギトでは絶対しないような表情だ。
彼はその不適な表情を浮かべたまま、サークルスペースを抜け出して真っ直ぐこちらに歩いてくる。
進行方向的にも、タイミング的にも明らかに僕に用がありそうだ。
何かしてしまったのだろうかと謎の緊張感に身を強張らせていると、気付けば彼がすぐ目の前に立っていた。
そこにいるのが当たり前だと言わんばかりの、堂々とした自信に満ち溢れた立ち振る舞いだ。
そんな彼は僕を上から下までじっくりと舐め回すように見た後、開いた口から綺麗な顔に似合わないドスの効いた音を出す。
「お前、誰?」
これは完全に因縁をつけられてしまったようだ。
ジロジロと見てしまった少し前の自分を殴りたくなる。
初対面の人間をお前呼びするあたり、彼の見た目は天使かもしれないが、中身はそうとは限らないのだろう。
とりあえず何とかこの場を乗り切る方法はないかと考えていると、痺れを切らしたのか苛ついたように彼は言う。
「何で黙ってんの?」
「あ……皆月です……」
偉そうな人には逆らえない僕はつい名乗ってしまう。
この時ほど気の弱い自分の性を恨めしく思ったことはない。
僕の返事を聞いた彼はすぐさまスマホを取り出し何やら調べ出した。
「知らない名前……ネットにも出てこない……」
この人、僕を調べているのか……!?
まさかの行動に驚き、全身から冷や汗を流す。
目の前の美少年は今も尚スマホに高速で何かを入力し、僕の情報を探し続けている。
名前のみならず更に深い個人情報まで掴もうとする彼に恐怖を感じずにはいられなかった。
兎に角逃げようと彼がスマホに目を移してる隙に、僕は少しづつ下がって距離を取ろうとする。
しかしそんな僕を見透かしたように、彼から声をかけられてしまう。
「……まぁいいや、この後時間ある? あるだろ? 向こうで合わせやるぞ」
あ、合わせ……?
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