第5話 頒布


Side:夜凪よなぎ



皆月みなづき君、遅いなぁ……」


 スマホに映る時間が一般参加者の入場時刻をとうに過ぎていることを指し示す。

 着替えに行ったっきり、イベントが始まっても皆月君の姿が確認できない。

 何かあったのだろうかと心配してしまう。

 あれだけの美貌の持ち主だ。不埒な輩によって事件に巻き込まれていてもおかしくはない。

 彼の様子を見にいきたいところだが、サークルスペースに誰もいないという状況を作り出す訳にもいかないので、自席で大人しく無事であることを祈る。

 

 目の前では多くの人が行き来をしていて、稀に男性が通る度に、皆月君ではないかと目で追ってしまう。

 同人誌即売会としては小規模らしいこのイベントでも、大人気アニメのオンリージャンル系のイベントだということもあり、会場は凄い賑わいを見せている。


 一般参加者の入場から15分経ったが、未だに私達作った本を欲しがる人物は現れていない。両隣のサークルには多くの人が訪れていることが尚更、自分を惨めな思いにさせる。

 自分はSNSでもそこそこの人気を誇る絵師だと思っていたのだけど、どうやら井の中の蛙だったようだ。


「はぁ……」


 思わず溜息が溢れる。

 皆月君は帰ってしまったのだろうか。これが事実なら、彼にこんな情けない姿を見せなかっただけ、良かったのかもしれない。


 そうやって自分で自分を慰めていると、遠くの方で会場内でも一際大きなざわめきが聞こえてきた。気になってそちらの方に意識を向けると、騒めきがどんどん近づいているように感じる。

 するとあれだけ多くの人がいた通路が、まるでモーセの海割りのようにぽっかりと人一人分の道を空けていた。


 その道を悠々と歩く1人の少年。

 主人公達と時に敵対し、時に協力した孤高の戦士――魔法少年マギロウがそこにはいたのだ。彼の歩く場所だけ、本当に魔力を発しているかの如く空気が異なっているように感じる。一度見てしまうと不思議な引力が働き、目が離せなくなった。

 マギロウが本当に居る筈はない、あれはコスプレだ、そう分かっていても、本物と錯覚してしまうほどの現実離れした再現度だ。

 唯一違う点として挙げるのなら、本物のマギロウと比べると全体的に肉感が良過ぎる点だろうか。しかしそれが妙なリアリティを感じさせ、女の情欲を掻き立てる。

 彼の持つ思わずむしゃぶりつきたくなる程の魅惑の肉体は、異性との交際経験のない私にとって余りにも刺激が強過ぎた。

 周囲の反応を見てみると私と同じように鼻息荒く、目を血走らせている女達が多い。


 そんな魔性のマギロウレイヤーさんは何故か通り過ぎることなく、私のサークルスペースの前で立ち止まった。

 近くに立たれると、惜しげもなく晒し出された男の肌に目が吸い寄せられてしまう。

 

「……ごめんなさい! 売り子として頼ってくれたのに……僕、まだ何もできてなくて……着替えにも時間をかけてしまって……」


「…………は?」

 

 突然、マギロウレイヤーさんが勢い良く頭を下げてきた。

 

 ……ていうか、この声は皆月君!?

 マギロウレイヤーさんを上から下までじっくりと見てみれば、確かに皆月君にしか見えない。

 普段のクールでスレンダーな彼と、今目の前にいる女を誘惑する淫魔のような彼とでは印象が違い過ぎて、気が付かなかった。


 とりあえず彼が通路に立ち続けると周りの女達も動きを止めてしまうので、サークルスペース内に入って貰う。


「……無事で良かったぁ……」


 まずは彼に危険が及んでいなかったことと、帰らずに戻ってきてくれたことに安堵する。

 

 尚も真剣な表情で謝罪を続ける彼だったが、頭を下げたことで首元が緩み、そこから見える彼の胸元に目が釘付けになってしまって話が全く入ってこない。

 

 皆月君って着痩せするタイプなんだなぁ。

 

 暫くの間、彼の体を目に焼き付けさせてもらっていたが、これ以上私の目で彼を汚すことは許されないと考え直し、断腸の思いで目を逸らす。


 まぁ、どのみち私達のサークルの本は売れてなかったので、皆月君が遅れても全然問題なかったのだ。そう彼に伝え、頭を上げてもらうと意識外から声が掛かる。


「すみません。……これ、1部ください」



◇◇◇


Side:皆月みなづき



 僕は最低だ。

 着替え終わっていたにも関わらず、恥ずかしがって更衣室から中々出ることがてきなかった。夜凪よなぎさんを放置して、自分の感情を優先してしまったのだ。

 結局、イベント開始時刻を大幅に過ぎてからサークルスペースに到着する。

 

 遅れてきた僕を快く許してくれる夜凪さんの優しさに涙が溢れそうになるが、泣く資格なんて僕にはない。

 貞操逆転世界の男という立場に僕は甘えていたのだ。

 余りにも情けなくて、女々しい――この世界風に言うなら男々しい――自分に腹が立つ。


 この失態は働きで挽回するしかないと気合いを入れていると、見知らぬ女が本を求めにやって来た。


「――はいっ! 500円です! ありがとうございます!」


 早速来た活躍の場面に、自分でも驚くほど元気な声で対応する。

 初接客に緊張して震える腕を必死に堪えながら、2人が作った大切な本を差し出す。

 しかし、僕の腕は前に突き出されたまま、女は中々受け取らない。彼女の視線は本ではなく、僕のお腹に向かっているような気がする。

 まさか、僕がお腹に力を入れて引っ込ませていることに気付いたのだろうか。


「…………あの……?」


 まるでミステリー小説の探偵ばりの洞察力に畏れを感じながら、相手の様子を伺う。


「……あ!? はい、すみません! ありがとうございます!」


 僕の困惑した様子に気付いたのか、女は差し出していた本を引ったくるように慌てて走り去っていった。

 一体何だったのだろうと疑問に思ったのも束の間、次なるお客さんがやって来る。よく見ればその人の後ろにも、そのまた後ろにも人が並んでいて、かなりの列になっているようだ。

 

 この列に並んでる全員が2人の作った本を求めているのか。


 夜凪さんと武山たけやまさんが作った「マギロウとイチャラブデート本」は僕も読ませてもらったが、素人が作ったとは思えない素晴らしいクオリティの作品だった。

 度々悲惨な目に遭い、視聴者に苦しむ顔を提供するマギロウだが、本編と打って変わって彼が幸せそうにしている姿が本作では拝むことができる。

 彼女達のキャラクターへの愛が詰まった、ここでしか手に入らない逸品だと考えると、この人気にも頷けるというものだ。

 夜凪さんは全然売れていないと謙遜していたが、この様子を見るに僕がいない間もかなり大変だったのではなかろうか。

 

 遅れてしまった分、夜凪さんの代わりに頑張らなくては。


「次の方どうぞ」


「し、新刊1部お願いしますっ!」


「はい、500円です!……丁度ですね。ありがとうございます!」


 次々とやってくるお客さん相手に夜凪さん達の本を雑にならないよう丁寧に受け渡していく僕。

 やってくる人全員が、等しく挙動不審な反応をすることが少し気になるが、今のところ順調に捌けていっている。


「――あのっ! しゃ、写真とかってダメですか?」


 何人目かのお客さんが意を決したように尋ねてきた。

 写真……? 本……のことだろうか?


 チラリと横目で夜凪さんを窺うと、彼女は尋ねてきた女を射殺さんばかりに睨みつけている。心なしかいつもフワフワとした彼女の髪が逆立っているようにも錯覚する。

 

「えーっと……」


「――ダメです」


 僕が何か答えるより先に夜凪さんが冷たい声を出す。

 その言葉を聞いた女はガッカリした様子で、すごすごと引き下がった。列の後ろに並ぶ女達も同じようにガッカリした顔を浮かべている。


 まぁ本の写真をネットにあげる行為は、社会問題にもなっている違法転載に近いし仕方ないかと、1人で納得する僕。


 気を取り直して本の頒布を進めていると、知った顔の人がやってきた。


「皆月君どうも。いやぁ〜偉い賑わってまんなぁ」


 お隣のサークルの金具かなぐさんだ。

 彼女は会場内の熱気に汗を滴らせながらも、喜色満面な顔でそう言った。


「新刊1部と……皆月君1人くれへんかな?」


「……え!? ……あー、いや、そういうのはちょっと……」


「ハハハ、冗談や冗談。あんまり執拗しつこいと夜凪よるなぎ先生にどつかれそうやし」


 横を見るとさっきより遥かに鋭い目、鬼の形相をした夜凪さんがいた。


 こわ

 同じサークル主として思うところがあるのだろうか。


 そんな夜凪さんの様子を敢えて無視するかのように金具さんが言う。


「なぁ……うち、皆月君とツーショット撮りたいんやけど、あかんかな?」


 予想だにしない依頼に少し驚いた。

 

 僕のだらしない姿を写真に収めて笑い者にするつもりだろうか。


 そんな金具さんを見て、夜凪さんは今にも爆発しそうな雰囲気を纏わせながら立ち上がる。

 

 不味い。ここのままでは喧嘩が起きるかもしれない。


「……ぜ、全然大丈夫ですよ! ただ後ろにも人がいるんで15時くらいにまたここに来てください!」


「ホンマ!? 悪いなぁ皆月君。じゃあ15時に伺わせてもらうわ」


 何とか話を終わらせて金具さんには一旦退場してもらう。

 僕1人笑い者になるだけで平和が保たれるのであれば、安いものだ。

 夜凪さんの方を見てみると何とも言えない顔をしていた。

 怒っているような、悲しんでいるような、落ち込んでいるような複雑な表情だ。

 トレードマークである彼女の飛び跳ねた髪の毛も何処かぐったりと垂れ下がっているように見える。


 彼女をそんな顔にするつもりはなかったのに。

 僕は何か間違えてしまったのだろうか。


 その後も頒布対応は続いたが、最後まで彼女の真意を知ることは出来なかった。

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