第3話 夜凪 麻


あさちゃんって絵が上手だね!」


 小学校の頃、同じクラスの隣の席に座っていた男の子に言われた言葉。ノートの隅に何となく描いた、当時流行っていたアニメキャラの落書きに対して、目を輝かせながら彼は確かにそう言っていた。

 彼からしたら何でもない単なる感想だったのかもしれないが、私――夜凪よなぎ あさにとっては違った。引っ込み思案でクラスでも冴えない私は、初めて異性から褒められたことによって、必要とされたと勘違いしてしまったのだ。

 

 こんな私でも絵が上手かったら男子に相手して貰える。


 その日から私は必死になって絵を描き続けた。

 デッサンも模写もクロッキーも全部見様見真似の独学だけど、それでも少しづつ上手くなってきている自覚はあった。練習用のスケッチブックは部屋中至る所に積み上げられ、数えるのも億劫な程になっていたり、1枚の絵を完成させるのに数週間掛かっていたのが、気が付くと数日で終わっていたのだ。


 あの日から何年経ったか。

 高校生になった今でも私は絵を描き続けている。

 最初は男子に構って貰いたい一心だったが今は違う――いや、正確に言えば男子に構って貰いたい気持ちは今でもあるのだけれど、それ以上にどうしようもなく私は絵を描くことが好きなのだ。



◇◇◇

 


 漫画同好会初の一大イベント「池袋魔法少年博覧会 19」用の同人誌の入稿を終え、ひと段落付いた最近。

 入稿期日近くではあれだけ慌ただしく死に物狂いで漫画を作っていたと言うのに、今ではそんなことを感じさせない程に落ち着いてる。

 

 当時は連日の徹夜作業で授業中は寝てばかりだったのだけれど、今は教師の言葉を作業用BGMに、落書きをする程余裕があるのだ。

 教卓から聞こえる抑揚の無い声が程よく私の集中力を高め、筆の進みを良くする。こんなことを続けているから成績が壊滅的な状況になっているのだと頭では分かっているのだが、どうしても体が言うことを聞かない。私に勉強をさせたかったら、美少年とのマンツーマン授業でもなければ無理だなと最近ではちょっと諦めている。

 

 そんな私の最近の流行ブームを描くことだ。


 この学校――都立神田南南東かんだなんなんとう高等学校に在籍する者なら誰もが知っているあの人のことだ。

 横目でチラリと、少し離れた席で授業を真面目に受ける彼の姿を目に収める。

 彼――皆月みなづき 伊織いおり君がどんな人間か、一言で言うなら「男神おがみ」だ。

 あれこそ濡羽色と言うのだろうか、吸い込まれてしまいそうなほど黒く美しいサラサラの髪。

 誰にも汚されたことのない雪のように真っ白な肌。

 まるで瞳に黒い真珠を嵌め込んだような、どこか作り物じみた眼。

 ぴくりとも動かない表情も相まって本当に人形なのではないかと錯覚するほどの美貌だ。


 君、どこのアニメから出てきたの? と尋ねたくなる程、浮世離れした彼は入学当初から学校中で噂になり、今では学園の不可侵領域アンタッチャブルとして伝説になっている。

 彼と仲良くなろうと試みた者は男女問わず多数存在したのだが、彼の持つ冷たい美貌とこの世界の人間では無いような独特な雰囲気に呑まれて誰1人として会話もできず、結果的に今の不可侵領域が出来上がったのだ。


 勿論、私も大勢多数と同じく皆月君と仲良くなりたいし、彼と付き合う妄想をしたことは1度や2度じゃ済まない。そして何より、彼は私の好きなアニメキャラ――「魔法少年 マギナ・マギト」の「マギロウ」に何処となく似ているのだ。綺麗な黒髪も、それに対比するかの如き白い肌も、いつも1人でいる孤高さも、私の大好きなマギロウそのものに見える。何度もマギロウのイラストを描いてきた私が言うのだから間違いない。

 実は、今回制作した同人誌――マギロウとイチャイチャデートする本は、夜寝る前にする皆月君との妄想を重ね合わせて作った節がある。

 我ながら気持ち悪いことをしているなと反省しているが、作ったことに後悔はない。

 


「……ふぅ…………」


 気付けば彼の絵を描き切っていた。それと同時に終礼のチャイムがなる。描き上げたイラストを見てみると、ノートの中の皆月君は私に向かって微笑んでくれていた。考え事をして描いていたため、無意識にペンを動かしていたのだろう。

 実在する皆月君は私どころか誰にも笑みを浮かべている姿を目撃されていないため、一部の厄介なファンからは解釈違いだと叩かれそうだ。

 


 昼休みになり、朝買ってきたパンを食べようと口を開いた時、不意にブレザーのポケットが震える。

 中にあるスマホを取り出し通知内容を確認すると、信じられないこと、信じたくないことが表示されていた。


武山たけやま ひかる

『ごめん! 魔法少年博覧会参加できなくなった! ほんとにごめん!』



 ◇◇◇



 武山 光は高校1年生の時に同じクラスに編入してきた転校生だ。最初は明るく、陽キャみたいな奴だと思って無意識に避けていたのだけど、話してみると意外にも意気投合してしまい、今では……気恥ずかしいけど親友と呼べる仲になっていると思っている。

 彼女はあの有名な、夏と冬に有明で行われる「コミックゲットバザール」――通称コミゲに毎年参加している程の猛者で、今回のイベントも色々と手伝って貰う予定だった。

 しかし、どうやら家が結構厳しいみたいで当日会場に来れなくなってしまったらしい。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、彼女から連絡用SNSから通知が届く。


武山 光

『誰かに手伝いしてもらうように頼んでみる!』


 ……これは不味い。

 彼女は持ち前の明るい性格で転校生でありながら、沢山の友人と交友関係を築き上げているのだ。

 これで手伝いとしてチャラチャラした陽キャが来てしまった日には、苦手意識のせいでまともにサークルスペース――各サークルに用意されている本を頒布する場所――に滞在することもできないだろう。

 そんなことになる位なら1人で良いと連絡しようとした時、またもやメッセージが届く。


武山 光

『あ! そうだ! 夜凪のクラスにいる美人な子。夜凪君? に頼んでみようよ! あの子にマギロウのコスプレとかして売り子してもらったら話題性ばっちりだよ!』


 ……もっと不味いだろ!

 

 そうか、武山は転校して半年も経っていないため、不可侵領域を知らないのだ。あの神聖さすら感じさせる皆月君を前に、余り一般受けが良いとは言えない同人イベントについての会話なんて出来っこない。

 もし仮に会話ができたとしても、何者も寄せ付けない学校一の美男に「コスプレして売り子してください」なんて言った日には、次の日から教室どころか学校に居場所があるなんて思わない方が良いだろう。

 そもそも同級生にマギロウのあんなエッチな衣装着てもらうようにお願いするなんて、セクハラ通り越して普通に犯罪だ。正気の沙汰じゃない。


 とりあえず彼に声をかけることは辞めるようにチャットではなく、通話で武山を説得しようとする。


「……あっ! も、もしもし? さっきの件についてなんだけど……」


 

◇◇◇


 

「――うん。うん。……わ、分かった。そうだよね。……うん。大丈夫。……じゃ、じゃあ今日の放課後ね」


 ガチャリと通話が切れ、ビジートーンが耳に響く。


 …………普通に言いくるめられた。


 よく考えたらコミュ力抜群の武山に絵しか描いてこなかった私が叶うはずもなかった。それに、できれば私も皆月君がマギロウのコスプレをしている姿が見てみたい。

 武山の言葉だけで、あれだけ無理だと思っていたことが、今なら出来そうな気がしてくる。


 ここは武山の力に賭けるとしよう。

 コミュ障陰キャ女子である私には無理かもしれないが、百戦錬磨の陽キャである武山ならもしかしたら……。

 

 私は淡い期待を胸に、決戦の放課後に挑むであった。

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