第2話 売り子
「売り子って言うのは、作品の頒布を手伝ってくれる人のことで、
「べ、別に私は1人でも良いって言ってるのに」
目元まで伸びた黒髪を指で弄りながら夜凪さんはそう呟く。
話をまとめると自作本を頒布すイベントに
家に居ても本を読むこと位しかすることが無いので彼女たちを手助けすることは可能なのだが、余りにも急な話だ。
「えっ、と……2人は別に友達が居ないって訳じゃないよね? どうして僕にそんな話を?」
普通に考えて彼女達の頼れる人間が、特に接点の無い僕以外に誰も居ないなんてことは無い筈だ。僕の問いかけに少し困ったような顔を浮かべた2人は、躊躇いながらPCのモニタに1枚の画像を表示した。
そこには黒い衣装に目を纏った冷酷そうな表情を浮かべた少年のイラストが写し出されていた。高級感溢れる黒地の衣装によって大事な部分は隠れているが、全体的に露出度が高くかなり際どい格好をしている。何かの漫画のキャラクターだろうか。
「……これは?」
「これはアニメ『魔法少年 マギナ・マギト』に登場する主人公のライバルキャラクター『マギロウ』だよ。知らない? 2年前にちょっと話題になったんだけど……」
「……ごめん。見覚えはないかな……」
そっかと残念そうに呟く武山さん。夜凪さんも心なしか落ち込んでるようにも見える。
「それでそのキャラが一体?」
「うーん……ちょっと言い辛いんだけどね。同人誌即売会での売り子の役割って2つあるの。1つはさっきも説明した通り自作本の頒布の手伝いね。これが主となる仕事。そしてもう1つはキャラクターのコスプレをして、参加者の注目を集めてサークルの宣伝をすること」
「はぁ……それが一体?…………ま、まさか?」
最悪の展開を想像してしまう。
僕の予想通りなのであれば当然、売り子を断る以外の選択肢はないのだが、そんな僕の心境を知ってか知らずか目を爛々とさせた武山さんが言う。
「そう! 皆月君には是非ともこの『マギロウ』のコスプレをして売り子をやって貰いたいの」
残念ながら僕の予想は外れず、最も聞きたくなかった言葉が耳に入ってくる。
勿論、絶対に嫌だ。貞操逆転どうこう関係なくシンプルにこんな恥ずかしい格好をしたくはない。
もし万が一、何らかの奇跡――僕にとっては悲劇――が起きて、そのコスプレをすることになったとしても「ゾンビ」の僕には到底似合わないだろう。
こういうものは元が良い人間がやるからこそ映えるのだ。女子からモテモテだとクラスでも噂の
力になれず申し訳ないと断ろとした時――
「お願いっ! どうしても皆月君にコスプレをして売り子をやって貰いたいの! どうか! この通り!」
――畳み掛けるように2人揃って僕に懇願してきた。
深々と頭を下げ手を合わせる姿は、思わず頼みの内容を忘れてしまいそう程美しい体勢で、彼女達の必死な想いが伝わってくる。
正直に言ってかなり断り辛い。作戦でやっているのだとしたら大したものだ。
「……はぁ……コスプレをして売り子をして欲しいって希望は分かったのだけど、どうして僕なんかを選んだの?」
このままでは埒が明かなかったので、言外に「僕より美人に頼め」という意図を滲ませながら、彼女らに問う。
「え、えーっと……それは……」
「――皆月君が一番似合うと思ったからだよっ! ねっ?」
答え辛そうに目を泳がせる夜凪さんに変わって武山さんが回答する。同意を求められた夜凪さんも激しく首を縦に振っていることから、それが彼女達の真意なのだと理解はしたが、納得はできなかった。
「に、似合うかな……?」
純粋な疑問の筈が、意図せず逆転前の世界で言う「慣れない衣装を披露するヒロイン」のような台詞が出てしまった。自分で言っておいて何だが、僕のキャラクターと余りにも合っていないため、全身に鳥肌が立ってくる。気持ち悪いとか思われていないだろうか。
恐る恐る彼女達の方を見るとそこには頬を赤く染めて2人がいた。
……あっ……これは……共感性羞恥を感じてしまってるな……。
僕の為出かした無差別テロ行為によって場は永久凍土の如く凍ってしまう。そして、それに反比例するように僕たちみんなの顔は灼熱地獄のように熱くなっていた。
暫く気不味い空気が流れた後、突然、紅潮した顔のまま2人が口を開く。
「に、似合うよ! 似合う似合う」
「そうそう! 今まで見てきた男子の中で1番の適任に感じたし!」
「皆月君以外に考えられないよ!」
「一目見た時から思ってた!」
怒涛の褒め言葉ラッシュである。
羞恥を紛らわせるためとは言え、ここまで言ってくれるとは……。
貞操逆転世界で初めて女性にチヤホヤされ、満更でもない気持ちになる。そんな僕の様子が伝わってしまったのか、褒め言葉の勢いはドンドン苛烈さを増し、それに合わせて僕の心も嬉しさと照れ臭さでフワフワとしてきた。
顔が緩むのを必死で抑え、極めて冷静に彼女達の言葉を聞き流そうとするが、思春期の僕の脳が、体が、心が、異性から求められる状況に歓喜してしまい、この状況を長く耐えられそうにない。
そして遂に――
「もう分かった! 売り子でも何でもするからとりあえず落ち着いて!」
――2人からの怒涛の攻撃に女性に対する耐性が無い僕の意思は折れてしまった。
彼女達の行動を止めるための苦肉の決断。
これ以上続けられると眠れる男性本能が刺激され、彼女達のことを好きになってしまいそうだったからだ。
「本当っ!? やったね! 夜凪!」
「うん……やった!」
とんでもない偉業を成し遂げたかの如くお互いを褒め称え合う彼女達の姿に思わず笑みが溢れる。そこまで僕に必死になる理由については最後まで納得できなかったが、彼女達が満足するのであればそれで良いのかもしれない。そう無理矢理自分を納得させる。
しかし、本当に似合うかな……?
PC画面に表示され続けているイラストをもう一度、今度はじっくりと見る。
画面の中の彼と僕の類似点なんて、目と鼻と口がある程度の似ているなんて口が裂けても言えないレベルのものしか無い。強いて挙げるとすれば、髪が黒いってことくらいだろうか。それでも多くの人間に当てはまる気がするが……。
やっぱりどう考えてもこの子のコスプレが僕に似合うとは思えないが、やると言ってしまったからなぁ。喜ぶ彼女達に聞こえないように小さくため息を漏らす。
「……まぁ他にも色々と聞きたいことはあるけど、今日は遅いしもう帰ろうか。……これ僕の連絡先」
PCのモニタに表示されている時間が夕飯
帰る前に何時でも連絡できるようにと、連絡用SNSのQRコードを表示して2人に見せる。
誰かと連絡先を交換したことが無かったため、やり方があっているのか不安だったが、どうやら無事に交換できたようだ。
SNSの友人欄には2人のアイコン――武山さんは家で飼っている? 犬の画像、夜凪さんは何かの漫画のキャラクターの画像――が新しく登録されている。
まるで初めて友人ができたみたいで僕は少し嬉しく思ってしまった。
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