貞操逆転世界の同人誌即売会で売り子をする

参元 夜里

第1話 プロローグ


 貞操逆転世界。

 

 ある程度web小説やインターネット掲示板に詳しい者ならこの世界のことをそう呼ぶのだろう。

 年々増加する痴女被害。その対策として設置された男性専用車両。毎週火曜日に開催されている映画館のボーイズデー。女性の目を気にせずリラックスして利用できる男性専用ジム。基本的には男女の性的価値観がそっくりそのまま逆転した世界だと思ってもらって良い。


 気が付けばそんな世界に僕は立っていた。

 理由は分からないが、ある日突然何の前触れも無く社会の常識がガラリと変わっていたのだ。

 幸いなことに家族や交友関係――友人と呼べる人間は1人もいないが――などに変化は無く、通っていた学校も逆転前の世界と何ら変わっていなかった。

 僕の精神だけが、元いた世界とは異なる常識を持つ並行世界に移動してしまったのだろうか。どこかで読んだSF作品のような展開に柄にも無く興奮を覚える。しかし、待てども待てども物語のような運命的な出会いも世界を揺るがすような大事件も発生せず、気が付けば1年が過ぎてしまった。

 

 最初は戸惑っていたこの世界の常識にも1年経てば自然と慣れてくる。今ではどこに出しても恥ずかしくない立派な文学少年として中学時代と同じくクラスの隅っこで目立たず過ごす日々だ。

 社会の性的価値観が逆転したからと言って、女の子にチヤホヤされたり、クラスの人気者になるなんて都合の良い妄想のような展開は僕には訪れなかった。

 いや、それどころか逆転前よりも更に周囲から距離を取られているような錯覚に陥る。中学時代に陰で呼ばれていた「ゾンビ」という渾名が指す通り、死体のように青白い肌、生気を感じさせないガラス玉のような眼、運動不足によるガリガリの体は、高校に入ってから更に拍車がかかり、周りの人にとってはさぞ不気味に見えていることだろう。

 結局のところ、人々の中心に立つ者は逆転前も後も変わらず、明るくて優れた容姿を持つ話上手な人間――僕と対極にいるような人種なのだ。

 

 貞操逆転世界に迷い込むという途轍もないビッグイベントが発生したにも関わらず、僕の青春の物語はまだ幕を開ける気配すら感じられない。まさかこのまま僕の学生時代は何の盛り上がりもないまま退屈な駄作として終わってしまうのかと悲観していたところに思わぬ声が掛かる。


 まさかそれが物語の始まり――青春のプロローグだったとは、その時の僕には知る由もなかった。


 

◇◇◇



「――皆月みなづき君、今日この後ちょっと時間ある?」


 高校2年生の春。ゴールデンウィークが近くなり、クラスメイトたちの雰囲気も浮き足立っていた今日この頃、珍しいことに僕に話しかけてくる物好きな人がいた。

 

 頭を上げるとよく手入れされた綺麗な明るい茶髪が目に入る。彼女は…………恐らく見覚えのないことから、昨年末に転校してきた隣のクラスの武山たけやまさんだろう。初めて彼女のことを見たが、なるほど。さながら恋愛小説の様に転校初日に男子達が騒がれていただけあって、かなりの美少女だ。

 彼女が持つ溢れてしまいそうな程の大きな瞳に目を奪われていると、彼女の隣に人が立っていることに気が付く。同じクラスの夜凪よなぎさんだ。

 武山さんとは対象的な寝癖の様に飛び跳ねた黒髪に、薄らと見えるそばかすが目立つ普通の女の子。夜凪さんは僕程では無いにしろ、クラスでも目立ったタイプの人間ではない。

 パッと見だと正反対に感じる2人が揃って何の要なのだろうか。

 彼女達と僕の間に何の接点もなかったはずだが、誘いを断る理由も特に無かったため、とりあえず承諾の旨を返す。

 部活動には所属しておらず、今日はキリが良いところまで本を読んだら帰るつもりだっただけなので、時間は有り余っている。

 場所を変えて話をしたいそうで、僕は先ほどまで読み進めていた本に栞を挟み、2人に続いて教室を出た。

 

 暫く歩いて案内されたのはコンピュータ準備室だった。

 僕にとっては余り馴染みが無く、コンピュータ室の隣にある部屋程度の認識しか持っていない場所だ。実際に室内に入った経験は無かったため、興味深く部屋を観察してしまう。

 乱雑に管理された書類の棚。段ボールから溢れる程山積みとなっている電子機器の数々。少し埃っぽいのも相まっていかにもな雰囲気を漂わせている。もしここが物語の舞台なのであれば学者の様なキャラクターが登場する場面になったであろう。

 そして、その中でも一際目を引いたのは中央に向かい合う形で設置されている2台のPC――正確に言えばそのPCと繋がっているタブレットのような見覚えのない機器だ。僕の知っているタブレットより遥かに巨大で超薄型のモニタと言った方が近いのかもしれない。


「あ〜、それはえきタブだよ。触ってみる?」


 そう言うなり、PCの電源を入れ始める武山さん。

 PCに電源が付くと液タブと呼ばれていた機器にも光が灯るり、画面にはPCのモニタに表示しているものと同じものが映し出されている。やはりこれは薄いモニタなのかと思っていると、武山さんが何処からか取り出したペンを液タブに滑らせた。それに呼応するように、画面には線が引かれる。つまり液タブという機器はPCで絵を描くためのデバイスなのだと僕は理解した。

 そのまま僕をそっちのけで絵を描き続ける武山さん。

 絵心なんて無い僕に偉そうなことを言う資格は無いのかもしれないが、素人目にはかなり上手く感じる。

 

「ね、ねぇ、武山。そろそろ本題に入った方が良いんじゃ……」


「あ〜、そうだそうだ。すっかり集中しちゃってた」


 夜凪さんの声で我に返った様子の武山さんは、お客さん――それも男の子を立たせておく訳には行かないと2脚しか無い椅子の1つを僕に譲ってくれる。僕が腰を下ろした様子を見た武山さんは口を開いた。


「うーん、何から話したもんか……あっ! 皆月君はアニメとか漫画って見る?」


「……あー……そう言うのにはちょっと疎くて……小説とかはよく読むんだけど……」


「あっ! じゃあ、『山岳探偵シリーズ』とか知ってる? 前期でアニメやっててそれが面白くてさぁ!」


「あー、それなら小説で読んだことあるよ。登山家でありながら探偵でもある主人公の『難事件登頂成功』って決め台詞が印象深かったなぁ」


「そうそう! 私は謎を解き明かせそうになった時の『登山ルートが見えてきた』って台詞が好きで――」


「た、武山っ! ……また話が逸れてる」


「あっ! ごめんごめん」


 ついつい脱線して2人で「山岳探偵シリーズ」の話をしていると、またもや夜凪さんから注意が入る。見た通り武山さんはかなり自由奔放な気質で、それを抑えるのが夜凪さんと言ったところだろうか。


「えーっと、さっき見てもらったみたいに私たちここで漫画を描いてる漫画同好会なんだ。メンバーは私と夜凪の2人だから部としては認められてないんだけどね。」


 漫画を読んだ経験は余りないが、先程見た武山さんの絵は僕にも分かるほど上手かったので、漫画同好会と言われてしっくりくる。


「まぁ今までせこせこと2人で漫画を描いたんだけど、この度小規模なんだけど同人誌即売会どうじんしそくばいかいに参加することが決まりまして……」


「同人誌即売会?」


「あ〜……簡単に言えば皆んなが自作の本を持ち寄って頒布するイベントみたいなもの……かな?」


 へ〜、そんなイベントがあったのか。教室で本を読んでいるだけの僕には預かり知らぬ世界だな。


「それで、私たちのサークル……あっ! サークルっていうのは自作の本を頒布するグループのことで、私たちは私と夜凪の2人で参加する予定だったの」


「予定?」


「そう、イベント開催日に急遽私の方に予定が入っちゃってさ。どうしても外せない用事だから私だけがイベントに参加できなくなっちゃったの」


「……はぁ、それは……大変だね?」


 対人能力の低い僕では気の利いた返しができる訳も無く、迷った結果、煽りと取られてもおかしく無いような返事をしてしまう。そんな様子の僕を見ても笑って流し、続きを話してくれる武山さん。


「それで、まぁ……単刀直入に言わせて貰うけど、皆月君には私の代わりにサークルの売り子をやって貰いたいの」


 ……売り子?

 

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