シオン

 ポルタの王都ランティスの上空が、真っ赤に燃えている。


 ノルンが青ざめた顔で、首を横に振った。


「信じられない。でも、あれは……あれって……」


「ノルンさん、知ってるんですか? あの空はいったい……」


 カナタはなぜかその赤い空に対し、沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。


 似た体験を前にもした。目の前のそれを絶対に許してはいけないという、強い使命感にも近い感情。


 そう。これはイェスターを前にした時に、一度感じている。


「聞いた話だけどね……帝国ドランが魔王に侵略された時も、同じように空が真っ赤に染まったらしいの。まるで空が血を流しているみたいな、不吉な赤だったって」


「魔王の侵略……」


 イェスターが魔族だったことで、ユレイナはかなり懸念していた。その懸念は今、最悪の光景となってカナタの目の前に広がっている。


「は……早く。早く行かないと! 王都に住む人たちが」


 焦るカナタの腕をノルンが両手で掴む。


「待ってよ! もし本当にあれが魔族による攻撃だとしたら、イェスターみたいなのが何人もいるに違いない。いくらカナタさんの魔法が強力でも、かないっこないよ……」


「でもあの空の下には、今まさに殺されそうになっている人たちがたくさんいるんですよ! 僕の魔法が少しでも役に立つなら――」


「王都へ向かう前に、あなたの魔法について少し話をさせてちょうだい」


 突然の声に、カナタとノルンは飛び跳ねた。


 焚き火のそばに、いつのまにかユレイナがいた。


「ユレイナさん!


「よかった。ノルンがうまくやってくれたみたいね」


 ノルンがユレイナに向かって頷いた。


「カナタさんにも伝えた。私も一緒に行くよ。改めてよろしく、ユレイナ」


「よかった。あなたが加わってくれたら心強いわ。ちょうどいい。ノルンにも聞いて欲しい」


「その前に……ユレイナ、今どうやって現れたの? 周囲の警戒を怠ったつもりはなかったのに、まったく気配を察知できなかった」


 一瞬カナタとユレイナは目が合う。


「ノルン。ここからはもう後戻りできないわ」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 ユレイナはまずノルンに素性を明かした。


 女神ユレイナと勇者カナタ。勇者の祠で転生を果たし、はじまりの村ウィムを経由してハレノへ行き着いた。旅が始まってまだ二ヶ月と経っていない――


「ごめんなさいノルンさん。今まで本当のこと言えなくて」


 カナタたちはテントをたたみ、すぐに移動できるようにしてから、手近な切り株や丸太に腰を下ろした。


「ううん。すごく驚いたけど、納得がいった。実はずっと気になってたんだよ。新米のソーサラーさんに捕まるなんて、私腕が鈍ったかと思ってた……まあ、勇者と女神が相手なら……仕方ないかな」


 ノルンは人差し指で頬をぽりぽり掻く。そしてユレイナに向き直った。心なしか背筋が伸びている。


「め、女神様……申し訳ございません。私、そうとは知らずに無礼な態度を……」


 ユレイナは慌てて手を振る。


「いやいや、そういうのいいから! これからは同じパーティーのメンバーなんだし、引き続き『オールラウンダーのユレイナ』でいいわよ」


 ノルンは少しほっとした様子だったが、背筋は伸びっぱなしだった。律儀な子だな……そういうところも可愛いな……カナタは思った。


「ところでユレイナさん。さっき魔法について話したいって言ってましたよね。実は僕も、魔法について相談したいことが」


 カナタはあの声について、ユレイナに話した。


「まだよくわからないんですが、特定の状況でその声が聞こえます。これまでだと転生してすぐ、初めて上級魔法を撃ったとき、グムド族が間近に迫ったとき、それにイェスターと戦ったときです。ピンチのときはその声が背中を押してくれて、普段とは全然違う、強い魔力で身体が満たされ――」


 ユレイナは立ち上がった。


「転生直後から?! あんたそれなんでもっと早く――」


「わあああ、すみません! だって、自分にだけ聞こえる声なんて、心配させちゃうかなと思って」


 ユレイナはしおしおと座り直す。少しのあいだ目を閉じ、なにか考えているようだった。


「ユレイナさん?」


「いや、そうよね……ごめんなさい。イェスターを倒したときの魔法については、その声はなにか言ってた?」


「はい。僕は『魔女の魔法』を使えるんだって言ってました。だから、魔族にも効果があると。そもそも魔女の魔法は魔族を倒すためにできたものだからと。あと気合いが足りないと」


「最後のはおいておくとして……なるほど、たしかに魔女の魔法は魔族、そして魔王にも効果があるわ。普通のソーサラーやソーサレスが使う魔法とはわけが違う。ただそれをなんでカナタが使えるの?」


「わかんないですよ! とにかくその声が『お兄ちゃんならできる』って励ましてくれるんです」


「お兄ちゃん?」


 ノルンが首を傾げた。


「そうそう、その声が妹そっくりなんですよ。詩音しおんって言うんですけど」


「えっ……カナタ、妹の名前、なんだって?」


「シオンです。ええと……妹は身体が弱かったから、僕より先に死んでしまって。あれですかね? 僕が妹のことを引きずってて気持ちを整理できてないから、この世界で幻聴が聞こえるとか、そんな感じでしょうか……ホントすみません。こんな女々しい勇者で……あれ? ユレイナさん?」


 ユレイナは、いつのまにか両手で顔を覆い、啜り泣いていた。


「あの子……シオンが……そう、そうなのね……間違ってなかった。あの子の決断は、間違ってなかったんだわ! ああシオン……ぐすん……ありがとう。ありがとう……けほっ、けほっ……」


「だ、大丈夫?! ユレイナ……」


 ノルンが駆け寄ってユレイナの肩を抱いた。


「ユレイナさん、シオンを知ってる――」


 カナタはハッとした。


 女神ユレイナが別の世界の人間を知っているなんて、理由はひとつしかない。


「妹は――シオンは、この世界に転生していたんですね。勇者として」


 女神は嗚咽を漏らしながら、何度も頷いた。

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