赤い空

 1,000人目の勇者。


 それは女神にとっての「タイムリミット」だった。


 天界の掟で、1,000人の転生者を持ってしても世界を救えなかった女神は、問答無用で世界を取り上げられる。


 その世界は魔界となり、そしてその女神は女神でなくなる。


「そしてお前の最後の転生者は『スキルなし』だ」


 マルセリは傷痕きずあとをほじくるような言い方をした。


 ユレイナは黙って床を見つめるしかなかった。


「御愁傷様だね。どうせすぐに死ぬな。私がなにも手を下さなくとも、この世界は私のものになる。アイクレイアが魔界と化すのも時間の問題だ。お前はなにやら『攻略本』なんてものを作って転生者に渡しているらしいが、いやもうなんていうかさ、やり方にセンスが感じられないよ。世界管理の才能がないんだよ。まあなんだ……ドンマイ。そう気に病むな」


 ユレイナはすでに喉がカラカラになっていた。悔しさと怒りと、情けなさとそれからいきどおりと、ありとあらゆるマイナスの感情が吹き出そうだった。


「マルセリ……カナタを……今回の勇者を甘く見ないことね! 彼は――」


 魔王マルセリはユレイナを殴りつけるように、大きな声を出した。


「彼がなんだ?! イェスターを倒したらしいが、その程度でなんになる?! ユレイナ、お前は威勢のよさだけはいつも一人前だな。そうやって過去何人の転生者を犠牲にしてきたんだ? “導き手”だろう? 一度でもちゃんと導けたことがあるのか?!」


「――忘れてはいないわよね……あなただって、前は同じようなものだった――」


 マルセリの表情が怒りでいっぱいになった。


をお前はときどき持ち出そうとする。反吐が出るね。そのせいで、お前は過去最大のチャンスを逃したよな? 、稀に見る優秀さを誇っていた勇者パーティーを台なしにした。あのときも言ったが、お前の中に残るその人間くさい感情こそがダメなんだ」


 マルセリは赤ワインを飲み干し、空のグラスを適当に脇へ放った。それが割れるという音は、二人だけの空間に嫌に長く響き渡った。


「さて話を戻すが、神アゼムスは今や機能していない。お前はここへ抗議しにきたのだろうが、徒労だった。お引き取り願おうかな――ああ、それと言い忘れていた」


 魔王は軽く手を上に振る。すると彼女の玉座の後ろの壁に、ある映像が投影された。


 ユレイナは目を疑った。


「え……う、嘘?! あんたさっきなにもしないって!」


 映し出されたのは、都市がひとつ魔族の軍勢によって侵攻を受けている様子だった。黒々とした煙があたりに立ち込め、空は赤く染まっている。


なにもしないさ。ただランティスにいる私の部下が勝手にやってるんだ。好きにしなよって言ったらさ、ホントに好き勝手やるんだよあいつ。手に負えないね」


 ユレイナは踵を返し、魔王のいる部屋を後にした。


 ノルンがうまくやってくれれば、カナタはまだ王都ランティスまで行ってはいないはずだ。


 ……ごめんカナタ。あなたはこんなに勇敢に旅をしているのに、私はまたヘマをした。


 1,000人目の転生者。


 私の最後の勇者、カナタ。


 あなたに伝えなきゃいけない。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 小さな冒険者用のテントの外。


 ほとんどおきになってしまった焚き火の前で、カナタは夜明けを迎えた。


 陽の光の中で、テントは朝露に輝いている。幕の前室部分には荷物がきれいに整えられて置かれており、狭い幕内を効率よく使えるよう工夫のあとが見えた。


 そこはノルンの野営をしていた河口付近の森の中だ。


 カナタは朝日に目をしばたかせ、首を回したり両手を伸ばしたりして眠気を飛ばした。ノルンとは交代で見張りをしていたが、ゴールドウィン大佐の部隊はここまで追ってはきていない。


 彼らは一度王都へ引き返すだろうか。それとも再度ハレノへ向かうだろうか。いずれにしても、うっかりはち合わせないよう注意深く進まなければならないだろう。


 カナタは大きなあくびをした。交代の時間になったが、ノルンだってここまでの旅路でそうとう疲れが溜まっているはずだ。起き出してこなくてもそっとしておこう。


 耳を澄ませば、テントの中から小さな寝息が聞こえる。ときおり寝袋がもぞりと動き、テントも揺れる。


「……あぅ……うん、いいよ……きて……」


 寝言だろうか。


 疲れのせいで眠りが浅くなると、よく寝言も出るって言うし。


「ああっ……すごい……」


 でもやけにつやっぽい声のような気がする。心なしか、寝袋のもぞもぞする音も激しくなってきているような……。


「カナタさん……もっと……もっと……」


 えっ。


 これってもしかしなくても……えっ? 嘘、ちょっとノルンさん……?!


 絶対、よね?


 しかも今、僕のこと……。


 ノルンのの声が次第に大きくなっていく。もしかして夢中になっていて声が出ていることに気づいていない?


 いやこれホントにどうしよう。もう少し聞いていたいのは聞いていたいけど、声が聞かれていたことを彼女が知ってしまうと、今後王都までの旅路が最悪の気まずさになる。


 カナタは目の前のほとんど終わりかけの焚き火を見る。


 苦し紛れだが、これしかない。


「あ、まずいまずい! 火が消えそうだ……ええと、火属性の下級魔法……不機嫌な火葬場クリマトリアム――焦火しょうか


 無詠唱でも問題なく発動できる魔法だったが、カナタはあえてはっきり大きな声で唱えた。焚き火に炎が戻る。近くで鳥が数羽飛び立った。


 そして急にテントは静かになる。


 これで成功したのか失敗したのか、そもそもこの場合の成功や失敗とはいったいなんなのか、いっさいがよくわからないまま、カナタは馬鹿みたいに次々と薪をくべた。必要以上に煙が立ち上り、焚き火はキャンプファイヤーのようになった。


 しばらくしてから、テントの入り口が開き、ノルンが外へと這い出してきた。


「お、おはようカナタさん。ごめん。少し寝坊しちゃったみたい。ええと……見張り替わるね」


 ショートカットの黒髪が寝癖でぴんぴん跳ねている。額が少し汗ばみ、髪が張り付いている。ほんのり頬が赤い。ノルンは無意味に大きくなった炎を見て、それからなぜか汗だくのカナタを見たが、特にそのことについては触れなかった。


「おはようございますノルンさん。全然大丈夫ですよ。疲れは取れました?」


「うん。まあまあ、かな」


 ノルンがわざとらしい笑顔で答えた。


「それはよかった。うん、ホントに」


 両手は身体の後ろで組んで隠れていたのは、特に深い意味はないに違いない。そう思うことにしておく。


 だがカナタはいやでも考えてしまう。主にどこをいじってたんだろう。どっちの手を使ってたんだろう。


 、いったいなにをしていたんだろう……


 もし仮に今、「ノルンさんの声、聞こえてましたよ。僕のこと呼んでましたよね? 続き、一緒にします?」なんて聞いたら、どうなってしまうのだろう?


 気持ちの悪い妄想がどんどん捗っていく。


「カナタさん?」


「ああ、すみません! うとうとしちゃって……じゃあ僕、少し仮眠とりますね。寝袋、またお借りし……」


 そこで二人は目が合った。


「あっ」

「あっ」


 二人は目だけで大量の情報をやり取りした。


 寝袋はひとつしかない。


 そして夜から朝にかけてこのあたりはかなり冷え込む。


 昨晩、カナタはなんだか気が引けて、ノルンの寝袋はノルンだけで使って欲しいと提案した。自分はてきとうにうずくまって寝るからと。


 そんなんじゃ風邪ひいちゃう。遠慮せずに使ってと、ノルンは言ってくれた。実際問題、夜は凍えるほど寒く、寝袋に入っていないと夜は越せなかったと思う。


 そんなわけで、寝袋は交代しながら二人で使っていた。


 さて、さっきの声はお互いに「聞こえていなかった」ことになっている。


 でも実際、ノルンは疑っているだろう。「聞いていないわけないよね……」と。


 カナタが寝袋を使うのを遠慮すれば、聞いていたことをほとんど白状しているようなものだ。


 かといってノルンが「ごめん、寝袋……使わないでほしい」と言うものなら、カナタは「なんで?」と聞かなければ不自然であり、ノルンはどっちにせよ恥ずかしい思いをすることになる。


 そしてカナタは変態なので、今こそ寝袋を使いたいと思っている。


 いや待て。もしノルンも変態なら、むしろ今こそカナタに使って欲しいと思っている可能性もあるのでは。


 それなら全てが丸く収まる。


 ……収まってるのか?


「……うん。しっかり休息を取ってね。次起きたら出発だよ」


 ……なるほど、無難な着地だ。


 ノルンの声が震えていたような気がした。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 テントの中の寝袋は、少しよれて乱れている。触るとほのかに温かい。


 この中でノルンが……あんな可愛い子が……ソロプレイをしていた……


 まさか湿なんてこと、ないよね……


 危うくカナタはを構えそうになる。


「カナタさん!」


 突然、ノルンがテントの中に顔を突っ込んだ。


「あわわわわああごめんなさい! 構えそうになっただけです実際には構えてないですホントに!」


「構えそうってなにを……ううん、とにかく外へ出て見て!」


 冷静になってよく見ると、ノルンの顔がひどく青ざめている。


 急いでカナタは外へと出る。いったい何を見て欲しいのか、確認しなくてもそれはわかった。


 空が燃えている。


 ずっと遠く、東の方角。朝焼けの空とは似ても似つかない、焼き焦がしたような赤。


 ノルンが信じられないというような声色で言う。


「あの辺りは、ちょうど王都ランティスの上空だよ」

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