魔王マルセリ

 ユレイナは巨大な鉄の扉の前に立っていた。


 エントランスにはいくつもの松明が燃えているが、あまり灯りの役割を果たしておらず、かなり薄暗かった。天井は高く、ときどきなにかが薄気味悪くうごめくのが見える。蜘蛛か蜥蜴か、あるいはもっと不吉な生き物か。


 ユレイナは鉄の扉に手を触れる。恐ろしく冷たい。少しの間があり、扉がしわがれた声を出した。


「認証を確認しました。現世うつしよアイクレイア、管理者ユレイナ・ファブリール。どうぞ中へ。魔王様がお待ちです」


 年季の入った音を立てて、扉は内側へと開いた。全て開ききるのを待たずに、ユレイナはどんどん奥へと進んでいく。


 周囲には無数の柱が立ち並んでいる。今にも動き出しそうなほど精巧に作られたガーゴイルが何体も鎮座し、ユレイナを見下ろしている。


 部屋の最奥には、背の高い玉座があった。


 そこには足を投げ出し、あご杖をつき、いかにも退屈そうな様子の女性が座っていた。


「マルセリ! いったいどういうこと?!」


 マルセリ。


 そう呼ばれた彼女は大きなあくびをした。


 血のように赤い目がユレイナを見た。同じように赤い髪が、彼女が座っている玉座を伝い床にまで伸びていた。黒いドレスを身につけ、何十年も生きてきた羊みたいに渦を巻いた角が生えていた。


「お前がここに来るときはいつも忙しないな。少しはしとやかなふるまいを学んだらどうなんだ」


 部屋の奥には段差があり、玉座はその上に据えられている。ユレイナはマルセリを見上げるかたちになった。


「質問に答えなさい。タウラス・イェスターが魔族である世界線なんて、? あなたの仕業よね? 防衛難易度の見直し時期までまだ期日があったはずよ」


「さて、そうだったかな」


 マルセリはまるで興味がなさそうに赤い髪の毛先を摘んでいじっている。


「世界規定への干渉と防衛難易度の更新。これは神アゼムスの管理下で行われる。私への事前通告も義務よ。ずいぶんと余裕をかましているようだけど、違反したあなたには処罰が下るわ」


 数多ある世界を束ねており、魔王すら管理下に置く神アゼムスは世界間のバランスをとるという役割を担っている。現世うつしよ、天界、そして魔界。この三つの世界が釣り合っていることが、神にとってなによりも重要だ。


 世界管理のために、アゼムスはあらゆる世界に「防衛難易度」を設定した。これは、その世界を侵略者から守ることがどれくらい難しいかを、1から100の数値で表したものだ。


 簡単に言えば、魔王に襲われていない平和な世界なら「1」。魔王に侵略され、もう救う手立てがないボロボロの世界なら「100」となる。


 防衛難易度100の世界は、ほぼ確実に魔王による侵略が完了し、魔界へと変質する。


 神アゼムスは急激な世界バランスの変化を嫌っていた。そのためは、神の承認が必要になる。


 ――例えば、魔王が国ひとつ攻め落とす行為などだ。


 ユレイナの管理するアイクレイアについては、七年前にドラン帝国が魔王の手に落ちた。


 そのときの手続きは問題なかった。ユレイナにとっては悔しい話だが、きちんと事前通告があり、また神アゼムスの承認が取り付けられていた上での

だった。


 また、防衛難易度の更新が許されるのは神の定める周期に従う必要があり、魔王はそれを無視して大きな動きはとれない。


 そのはずだった。


「ハシュラ海域の漁獲権の一部をポルタに譲渡しているわね。イェスター商会に保管されていた資料では、イェスター自身が交渉を行ったと書かれていた。国同士の交渉にたかだか商会の会長が出張っているのもおかしいし、そもそも魔族が人間相手に漁獲権を渡すわけがない。つまりポルタは実質、魔族に支配されている。。そうよね?」


 マルセリは歯を剥き出して笑い、大袈裟に拍手をした。


「ご名答だよユレイナ。そういう勘を身につけるのに、ずいぶん長い年月がかかったな」


「このあと王都ランティスへ向かうわ。ポルタは私が奪還する」


「せいぜい頑張ってくれ」


 ユレイナは彼女の態度がどうも引っ掛かった。


「ポルタの乗っ取りは、確実のこの世界の防衛難易度が上昇する要件になりうる。なのになぜアゼムスは動いていないの?」


 マルセリはどこからともなく出してきたワイングラスを手に取り、ぐいっとひと口飲んだ。グラスには鮮やかな赤い液体が満たされている。


「しばらく留守にしてるんだよ。あのおっさん」


「留守?」


「まあ留守というか、引きこもりだな。とある世界に存在するコンテンツの『没入型VRソーシャルゲーム』だかなんだかにハマっちゃったみたいで、しばらく出てくる気がないらしい」


「……はい?」


「ハンドルネームをそのまんま『神様』にしちゃって、他のユーザーにそうとうイジられてる。それがまたどういうわけか嬉しかったみたいで、もう何ヶ月も潜ってるよ」


「いや、言っていることがぜんぜんわからないんだけど」


 マルセリは目を細めて、ユレイナを憐れむように見下ろした。


「まあその反応は普通だ。てなわけで、ここんとこの各世界の防衛難易度など、誰も見ちゃいない。だがユレイナ、知らなかったのか? 天界じゃあもう皆この話で持ちきりだぞ。少しは天界に顔を出したらどうだ?」


「そんなこと言ったって……」と、ユレイナは拳を握る。


 魔王は顔を突き出し、ニヤリと意地の悪そうな笑顔を見せる。鋭い八重歯が特徴的だった。


「そりゃそうだよな。余裕なんてないよな。女神たちの中では有名だ。『ヘボのユレイナ』『女神もどき』『ドン底女神』。転生者を呼べども呼べども世界を救えないせいで、この世界の防衛難易度は右肩上がりだ。魔王が私でよかったな。これでもそうとう手加減してやってるんだぞ」


 ユレイナは歯軋りをしながら、うつむくしかなかった。


「それ以前にな、アゼムスもぶっちゃけもうこの世界に興味がないんだよ。私が面白半分で国を獲ろうと、知ったこっちゃない」


「面白半分ですって?! 遊びであんな真似をしたっていうの? ノルンはどれだけ辛い思いを……」


 マルセリの目つきが急に鋭くなり、大きな舌打ちをした。


「そういうところだよユレイナ。虫唾が走る」


 ユレイナは魔王を睨み返す。


 マルセリはくるりと表情を元に戻した。鋭い八重歯がまた現れる。


「大丈夫だよ女神様。魔王マルセリは慈悲深いんだ。帝国ドランまで攻め入ってこないかぎり、私はなーんにもしないさ。だって

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