元勇者

「そう、あなたは転生者なのね。私は何人目だったかしらね?」


 老婦人に家の中に通され、カナタとユレイナはお茶をご馳走になった。彼女は大きく腰が曲がり、とても脆く小さく見えたが、湯を沸かす所作は滑らかで、ぎこちなさはなかった。


「376人目よ。今でも覚えてる」


 ユレイナはどことなく居心地が悪そうだ。


「ユレイナ――あなたは今もこの世界を必死に守っているのね。本当に立派な女神だわ」


 老婦人は、昔この世界に転生してきた“元”勇者だった。


 名前はカレン。


 ユレイナはテーブルの角を撫でた。


「カレン……私はあなたのくれたチャンスを活かせなかった。魔王の目前まで辿り着いた勇者は数えるほどしかいない。カレンとそのパーティーは、その中でもいちばん可能性があったのに――」


 私がダメにした。


 ユレイナは自分の胸にナイフでも突き刺すように言う。彼女の目に薄暗いなにかが宿った。


「仕方がないことよ。だって――」


 沈黙が流れる。カナタはユレイナとカレンを交互に見る。


 どうやら老婦人はこれまでの転生者の中でも特に腕が立ったほうらしい。仲間とともに魔王を追い詰めたが、そこでなにかがあり――それはどうやらユレイナが関係している――魔王を倒し損ねた。


 なにがあったのかは、とても尋ねられる雰囲気ではなかった。カナタは小さくなって、ハーブティーをちびちび啜っていた。


「でもユレイナ、久しぶりに会えて嬉しいわ。ここは話し相手もいないから」


「ここに来たのは、ただカナタが――今の勇者が、花畑を手伝いたいって言うから」


 カナタがユレイナに代わり、ここへ立ち寄った経緯を話した。カレンはにっこりと微笑み、両手をぱちんと合わせた。


「あらそうなの! 心優しい勇者さんなのね。少し前から身体が言うことを聞かなくってねぇ……ぜひお願いしたいわ」


 ◆ ◆ ◆ ◆


「ユレイナさん、なんだかごめんなさい」


 カナタは借りた鎌でばさばさと雑草を刈る。庭一面に広がる草は硬くてしぶとく、根は太い。これは骨が折れそうだ。


「なにがよ?」


「カレンさんと会うの、気まずかったんですよね。だからこのイベントを攻略本から消しておいたんですね」


 ユレイナは玄関脇に置いてあった鉄のベンチに腰掛けて、ぼんやりと空を見上げている。


「カレンのパーティーは魔王との戦いでみんな殺された。カレンだけは殺されなかったけど、かわりに呪いをかけられた」


「呪い?」



 カナタは鎌を止め、ユレイナを見た。


「死ぬことができない? 魔王はそんな呪いをかけることができるんですか?」


「この世界のことわりを超える力を持っている。それが魔王よ」


「じゃあカレンさんは……不死身?」


 ユレイナは目を閉じる。


「でも年老いていくのは普通の人間と同じ。今はまだ腰を痛めるくらいですんでいるけど、あと数年もすればいろいろな病気を併発するでしょうね。そのうち寝たきりになり、一人じゃなんにも出来なくなる。それでもあの子は死ねない。こんな地獄、ほかにはないわ」


 カナタは想像した。ほとんど骨と皮だけのミイラのようになったカレンが、汚れたベッドの上でうごめいている。身体を蝕む痛みと苦しみ。それが永遠に続く。


 気が狂うに決まっている。


「魔王はカレンを殺そうと思えば殺すことができた。でもそうしなかった。刃向かえない程度に痛めつけた上で呪いをかけ、死よりも残酷な運命をカレンに与えたの。私は……私はアイツを絶対に許さない」


「ユレイナさん――」


 魔王。


 魔界から魔族の軍勢を引き連れて世界を手に入れようとする、邪悪なる存在。


 ことわりを超えた力で、ただ侵略をするだけでなく、人間を苦しめて楽しむような残忍性を持った存在。


 カナタは鎌を強く握りしめる。


 ユレイナは続ける。


「呪いを解くには魔王を倒すしかない。そうすればカレンは安らかに死ぬことができるわ。私がここに来たくなかったのは、こんな個人的な話、あなたはべつに知る必要ないと思ったからよ。それと、もう一つは――」


 ――優しく私を迎えてくれるあの子を見て、私自身が安心してしまわないように。


 彼女はため息をひとつ吐き、カナタに笑顔を見せた。


「でもときどきは様子を見に来なくちゃね。結果的にいい機会になったわ。ありがとう。ところで――」


 ユレイナはベンチから立ち上がり、伸び放題の雑草を見て顔をしかめる。


「あんた、魔法は使わないの? そんなんじゃ日が暮れるわよ」


「あっ、そうか……」


「上級魔法じゃなくていいからね!」


「わかってます。シルド平原を旅する悠久の風よ――『飼い慣らされた嵐テイムテンペスタ――鳥走とばしり』」


 首の辺りから熱が広がる。魔法を使うときはいつもだったが、もうずいぶんこの感覚には慣れた。


 まるで稲をついばむひばりの群れのように、小さな風の破片が鋭い音を立てた。


 あれだけしぶとく手強かった雑草たちが、いとも簡単に切り刻まれる。ついでに土も抉られ、ほどよく耕されてくれた。


 ――便利だなぁ、魔法。


 それからカレンからもらった花の種を蒔き、たっぷり水をやった。


「水と肥料を撒くくらいなら、私にもできるわ。久しぶりに綺麗な花畑が見られるわね。勇者様、ユレイナ……ありがとう」


 老婦人はしわしわした細い手で、カナタの手を握った。


 この庭がまた花畑になるのは、ひとつ季節が変わる頃だろうか。カナタはそのときが待ち遠しくもあるいっぽうで、そうして時間が経過してしまうことが恐ろしくもあった。


 出発の際、老婦人はカナタに向かって「ユレイナをよろしくお願いします」と頭を下げた。


「ちょっとカレン! それ逆じゃない? 私がこいつの“導き手”よ?!」


 憤慨するユレイナに、カレンは上品な笑い声を上げた。


「どうせあなた、カナタさんが初めてこの世界に来たとき、また横柄な態度をとったんでしょう?」


「ぐっ――そ、そんなことないわよ! 最初からそりゃあもう懇切丁寧に――」


「ほんとかしら? カナタさん」


「ずいぶん態度の大きな女神だなって思いました。あれ、昔からなんですか?」


 ユレイナはカナタの後頭部を思いっきりはたいた。それを見てカレンはまた笑う。


「でもねカナタさん。ユレイナは素晴らしい子なのよ。いつもはつっけんどんな態度かもしれないけど、本当はとっても優しい子。転生してきた勇者の成長を喜び、死を悲しむことができる」


 カナタは転生直後にユレイナが言っていたセリフを思い出した。


 ――いちいち感情移入するっていうほうが無理ってもんよ。


 あれ、全然本音じゃなかったんだな。


「ユレイナとの冒険は本当に楽しかった」


 カレンの言葉に、ふいをつかれたようにユレイナは固まった。


「ユレイナ。あなたはもしかしたら、罪の意識に苛まれているかもしれない。ずっと自分を責めているのかもしれない。でも、言っておくわ。私はあなたを恨んでなんかいないのよ。どうしてって、あなたのこの世界が大好きなんですもの」


 ユレイナのその青い瞳から、みるみるうちに大粒の涙が流れた。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 出発して、ちょうどカレンの家が見えなくなったあたり。


 突然、ユレイナはカナタの胸に飛び込んできた。


「ちょ、ちょっと! ユレイナさん……?!」


「カナタ……今だけ……今だけ聞いてほしいの。もっとちゃんと言うべきだった。あなたが来てからすぐ。いちばん最初に」


 それはファンタジーの世界の冒頭ではそうとう使い古されてきた、正直かなり食傷気味なセリフだ。


 でもカナタには、旅の目的を決意させるにじゅうぶんなセリフだった。


「どうか……どうかこの世界をお救いください。勇者様」

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