おばあちゃんの花畑
「パトさん! お、お元気ですか?」
「カナタ様こそ、お身体のほうはもう大丈夫ですか?」
「はい、ぼくは全然」
「申し訳ありません……村がこんなことになってしまって、私も葬儀の準備なんかでばたついてしまっていて……」
「いえいえ! みんな大変なときですし……そうだ! パトさんのところにロギの葉を買いに行こうとしてたんです。あのお茶、旅の途中でも飲めればいいなと思って……今からお邪魔しても大丈夫ですか?」
パトは急ににもじもじしだした。
「それはもちろん……ただその、ええと……私が宿まで配達に上がります。カナタ様は先にお部屋で休んでいてください」
「でも、お店のほかの品物もちょっと見てみたいなと思いまして――」
「ぜ、全部お持ちします!」
「えっ、全部?!」
「うちそんなに品揃え多くないですから、一往復で済みます! だから……」
カナタは童貞を卒業したとはいえ、まだまだ経験が浅い。わけがわからず首を傾げるだけだった。
それを見かねたのか、パトはもう一言付け加えた。
「……必ず、カナタ様一人で待っていてくださいね。絶対ですよ」
そこでようやく気がついたカナタの
◆ ◆ ◆ ◆
出発の朝、村は総出で見送りに来てくれた。
カナタもユレイナも村の人々も、勇者はもう二度とここへは戻らないことを知っている。別れを惜しみ、感謝を叫び、すすり泣く声が聞こえた。
パトは昨日の情事のあと、声を押し殺すようにしとしと泣いた。「カナタ様が行かないでいてくれたら、どんなにいいか――」と、ベッドのシーツを握りしめた。
今朝、パトは泣いていない。
今日の天気と同じような晴れやかな笑顔に見えた。でもその目は少し赤く、腫れぼったかった。パトの母親が彼女の肩を抱いている。
パトがカナタのそばまで駆け寄ってきた。
「カナタ様の名前の由来、聞いておりませんでした。よければ教えてくださいませんか?」
カナタはなんだかくすぐったい気持ちになる。名前の由来について知りたいなんて、元の世界で一度だって聞かれたことがない。
「ええと――僕の生まれた国で『奏でる』という意味です。ほら、楽器とか音楽とか」
パトはずいぶん感激した様子で、何度も何度も頷いた。
「きっと……きっと届きます。カナタ様の旅路で奏でられたいくつもの旋律が、この村にも。パトはそのたびに、カナタ様を想います」
くすぐったさをとおり越して、カナタは目頭が熱くなり、切なさに襲われた。
「届けられるよう、頑張ります」
村長が前に出て、カナタに告げた。
「勇者様の旅の成功を、心より祈願しております。大変心苦しいですが、これよりあなたがこの村に立ち入ることは許しません。理解しがたいかもしれません。ですがこれが『はじまりの村ウィム』の感謝と激励の示し方なのです。どうか、ご理解賜りますよう――」
◆ ◆ ◆ ◆
「カナタ、そろそろどうにかならない? うるさいんだけど」
「ぐすっ――だ、だってぇ……」
「だってじゃないわよ! なっさけないわねえまったく……」
村を旅立って十分ほど歩いた森の中。
カナタはまるでおもちゃを取り上げられた子供のように泣きじゃくっていた。
「まあ、みんなの前では我慢できたのは偉かったわ。そういえばパトちゃんも吹っ切れた顔してたわね」
「い、嫌ですっ……! パトさんが僕を吹っ切って前向きに生きるなんて……! ずっと僕を引きずっててほしい……ふとした瞬間に僕とのアレコレを思い出して疼いてほしい……僕をこっそりおかずに使ってほしい……ううっ……」
ユレイナはカナタと一定の距離を置き、軽蔑の眼差しを向ける。
「気持ち悪……もうやめようかしら、こいつの“導き手”」
しばらくすると森を抜け、小高い丘の見える平原に出た。
見晴らしのいい場所は魔物にも見つかりやすい。カナタたちは出来るだけ木々や岩山などの障害物がそばにある道を選び、迂回して進んだ。
あれ以来、ひとまずユレイナは上級魔法の詠唱を禁じた。
「まだ身体が追いついてないし、危険だわ。練習するなら下級魔法にしてちょうだい」
魔法を使用するとき、首の後ろあたりが少しくすぐったくなり、熱を帯びてくる。
魔法の発動は、その熱を手のひらに移動させるイメージだ。本当は身体のどの部位でもいいらしいが、たいてい手のひらや、あれば杖などの道具を媒介にして行う。指向性や飛距離などを調節するためにはかなり魔力操作の技術がいるが、手のひらがいちばん操作しやすい。
昔、変わり者のソーサラーが目を使った発動を試みたが、練習中に失明してしまったのだとユレイナから聞いた。
おとなしく手のひらにしよう。
ちなみに慣れてくれば「杖」を使ったほうが断然いいらしい。指向性や飛距離を高められるし、魔力消費もかなり抑えられるのだとか。安いのでもいいから、そのうち一本欲しい。
練習の中で、カナタは気づいたことがある。
下級魔法の発動は、グムド族を葬ったときの上級魔法の発動と、まるで感覚が違った。
あのときは……もっとこう、湧き上がってくる感じというか。
どこからか力を借りてきて、それを無理矢理自分の身体に詰め込んだみたいな。
いわゆる“火事場の馬鹿力”というやつかも知れない。大魔女ライラ・ペトラが「結局は意思」と言うように、村を守りたい気持ちが強かったからかも知れない。
声が聞こえたなんてユレイナさんに言ったら、変に心配させてしまうだろうな……カナタはひとまずなにも言わないでおくことにした。
とにかく、よほどのときでない限り上級魔法は封印だ。カナタは言いつけを守り、下級魔法から練習をした。
途中馬車に乗った行商人とすれ違っただけで、幸い魔物には遭遇はしなかった。
その日は川のそばで火を焚き、野宿することにする。
ハレノまでは人の足でだいたい一週間。迂回していることを考えると、それ以上に時間がかかるだろう。
「攻略本によると、今日すれ違った行商人から釣竿を買って、この川で魚を釣ることもできたみたいですね」
カナタは焚き火のそばで麦飯を頬張っている。ユレイナは小さな木の実をいくつか摘んでいた。
「ああ、そういえばそうだったわね。書いたのずいぶん昔だから、小さいイベントは忘れちゃったわ……このあたりで他にイベントは?」
「ええと、そうですね――」
カナタは端末でページを捲っていく。
ここは「西エイル街道」。いくつか小さなイベントがあるようだ。
イベント名「愛するテリーちゃん」は、ハレノに住むチェルシー夫人の溺愛している大型犬のテリーが逃げてしまったらしく、街道を探し回るというイベントだ。見つければお礼に金ルタを5枚もらえるらしい。
「植物学者マードラの楽しみ」は、少し先の森で出会う植物学者の女性に好物の魚料理を作ってあげるイベントだ。うーん、これはさっきの行商人から釣竿を買わなきゃならなかったやつだ……報酬でもらえる「ドリアードの樹液」は高い治癒効果があるらしい。惜しいことをしたかもしれない。
「まずいですユレイナさん。僕かなりイベントを逃してしまってるみたいです……」
どれどれと、ユレイナは自分の端末で攻略本を読み返した。
「ああ、問題ないわ。チェルシー夫人のはそれなりに稼げるから美味しいけど、どっちにせよハレノに到着してから発生するイベントよ。植物学者マードラのほうは、実際かなり成功率が低い。彼女は気まぐれで変人。虫の居所が悪いと何ももらえないし、発情期だと最悪戦闘になる」
「は、発情期?」
「彼女、魔物だから。ドリアードなの。書いてなかったっけ?」
「書いてないです」
ドリアードは植物属性の女性のような見た目の魔物で、美男子に目がないらしい。ちょうど発情期に勇者が会いに行ってしまうと、“喰われる”のだそうだ。
「じゃあ僕は心配ないですね」
「そうね」
「普通に同意されるとそれはそれでつらいですね……じゃあひとまず取りこぼしたイベントはなさそうですかね――」
ふと思い出して、カナタば攻略本を捲り、目当てのページを見つける。
「そうそうユレイナさん。たぶん物語の本筋とは関係ないイベントなんですけど、これやっておきたいんです」
そのページにはイベント名「おばあちゃんの花畑」とある。
川に沿って少し進んだところに、一人で住んでいる老婦人がいるらしい。彼女は花が好きで、毎年庭にたくさんの種を植え、育てていた。しかし数年前からは腰を痛めてしまい、老婦人は花を育てられなくなった。
このイベントは、彼女の代わりに庭の土を耕し、花の種を植えるというシンプルなものだ。
ユレイナは目を丸くした。
「えっ?! なんであんたそのイベント知ってるのよ?!」
「なんでって、攻略本に書いてありますけど……」
「そんなまさか――」
どうしたんだろうとカナタが不思議に思っていると、ユレイナは自分の端末を見て言った。
「あっ! それバージョン古いやつ見てるでしょ!」
「バージョン? ええと――あ、すみません。『最終稿_攻略本完成版』――修正済じゃないやつ見てましたね。でもなんでこのイベント消したんですか?」
彼女は今までにないほど複雑な表情をした。
「カナタ――申し訳ないけど、このイベントは本当に物語に関係ないの。作業には時間もかかるし、報酬はおばあちゃんにハーブティーをご馳走してもらえるだけよ。あんまり行く意味はない。だから攻略本からも削除しておいたの」
「でもおばあちゃんが一人で庭仕事も出来ないなんて、普段の生活でもそうとう困ってると思うんです。少しお手伝いしてあげてもバチは当たらないでしょう? ユレイナさん、お願いです。半日だけ時間ください」
ユレイナはしばらくうだうだと抵抗していたが、最後にはカナタに根負けした。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日の昼前には、目的の老婦人の家に到着した。
こじんまりとした三角屋根が可愛い平屋だったが、庭は雑草が伸び放題だった。
「ホントにやるの?」
「もちろん。ここまで来たんですから」
カナタはドアをノックする。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいますか?」
ドアノブが回り、中から杖をついた老婦人が出てきた。
「はいはい、どちら様?」
「突然申し訳ありません。旅の途中でして、もしよければこちらで少し休ませてもらえればと」
老婦人は顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
「あらまあ、それはご苦労様ですこと。もちろんゆっくり休んでいってくださいな」
「ありがとうございます! すごく助かります。僕はカナタと言います。旅はまだ始めたばかりで――」
そのとき、老婦人の動きがぴたりと止まり、目を丸くした。
その先にはユレイナがいた。
「ああ、こちらはユレイナさん。ええと、僕と一緒に旅をしてて――」
「女神様」
老婦人は震える声で言った。
カナタは驚いてユレイナを振り返る。彼女は居心地が悪そうに目を伏せる。
このおばあちゃんはユレイナのことを知っている。
それだけじゃない。彼女が女神だと言うことを知っている。
ユレイナはぎこちない笑顔を作った。
「久しぶりね。カレン」
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