港街ハレノ

「ここの海鮮丼は絶品ですね。女神ユレイナ」


「ええ。滅多にありつけるもんじゃないわ。食い溜めしておきなさい。勇者カナタ」


 カナタたち二人は「港街ハレノ」の朝市に来ていた。


 新鮮な魚介類がところ狭しと並び、漁師たちが大声で呼び込みをしている。町のレストランの買い付け担当が鋭い目つきで、今朝水揚げされた魚たちを熱心に吟味していた。


「いい食いっぷりだねえ若えの! どれ、おっちゃんがオマケしといてやるか!」


 漁師のおっちゃんが驚くほど大きな声で提案する。


「ありがとうございます!」


「あなたには女神のご加護があるわ!」


 市場に併設されている食堂――もとい木箱を置いただけの即席テーブルで、二人は海鮮丼を頬張っていた。


 おっちゃんに赤身魚の刺身を追加で乗せてもらう。「ホーロ」と呼ばれる魚だとさっき教わった。あっさりした味わいだが、口の中で瞬時に解けてまうほどの柔らかさだった。最高にうまい。


「こんだけおいしくて量もあるのに銅ルタ2枚で食べられるなんて、朝市の価格ぶっ壊れてますよホント」


「ほんほよね!」と、頬を膨らませたまま女神は答える。


「ユレイナさん、お行儀悪いですよ……」


 カナタたちがハレノに到着してから、すでに三日目の朝だ。


 そのあいだに宿を確保し、路銀稼ぎためになにかと必要になる「冒険者ギルド」へ登録をし、例のイベント「愛するテリーちゃん」を成功させ、金ルタを5枚稼いだ。


 ついでにテリーちゃんの飼い主であるチェルシー夫人の迫力あるキスをもらってしまった。まだ頬がヒリヒリする。


 この件については攻略本に記載がなかったためカナタはユレイナに抗議した(キスを強要されるなんて一言も書いてないじゃないですか!)。だが特にとりあってはもらえなかった(よかったじゃない。ああ見えてチェルシー夫人は名のある貴族のご令嬢なのよ)。


 転生直後は洞窟を抜けるだけで息切れしていたカナタだったが、かなり基礎体力がついてきたようだった。


 ユレイナに能力値付与を何度か追加でしてもらったおかげで、たいていの魔物には対処できるようになった。例えばきのこに足が生えたような魔物「マタンゴ」程度であれば全戦全勝だ。


 そしてどうやら、カナタは「魔法」に関する基礎能力値が高いらしい。練習していくうちに、下級魔法ならかなり高い精度で発動できるようになってきた。


「身体能力は並かそれ以下だけど、代わりに魔力や詠唱技術なんかの上限がズバ抜けてるわ。職業はソーサラーで決まりね。ただそれでも、あのとき上級魔法を撃てた説明にはならないけど」


 ユレイナは端末で能力値を振り分けながら言った。ついでに服装も見習い冒険者からシンプルなローブと初心者用の杖に変えてもらった。


 前の世界で特に取り柄のなかったカナタにとって、これは少なからず自信になった。


 ソーサラー。

 魔法使い。


 え? ちょっとカッコいいんじゃない?


 とはいえ、すぐに上級魔法をガンガン打てるわけじゃない。現役で活躍するソーサラーやソーサレスと比べれば、知識も技量も全然足りない見習いレベルだ。今は伸びしろがあるというだけ。


 まだまだ魔王討伐への道は長い。


「ところでユレイナさん、今日挑むイベントはかなり大事ですよね」


「そう。港街ハレノに来た最大の目的。あなたは彼女を攻略する必要があるわ。でも安心なさい。私の攻略本にはその方法がちゃんと書かれている」


「なんだか女の子に“攻略”って表現、いやらしいですね……」


「それはあんたの心が汚れているだけ」


 カナタは端末を取り出してマニュアルを開く――開く――


「あれ、開かない。ずっと“くるくる”してます」


「Wi-Fiに繋がってないんじゃない?」


「えっ、この世界Wi-Fiとかあるんですか?」


「なくてどうやってクラウドにアクセスするのよ? ちょっと見せて――ほらこれよ。『minatomachi-free』ってやつ」


「Wi-Fiって商標とか大丈夫なのかな――あ、これですね。ええと、パスワードパスワード――」


 どこかに掲示されていないか探していると、漁師のおっちゃんが紙を一枚渡してくれた。


「これだぜ! 若えの!」


「あ、ありがとうございます! ええと……なるほど。セキュリティの観点から十分な桁数になってるんですね」


「さすがハレノ。都会だわ」


 気を取りなおして、カナタは該当するページを読んだ。


 港街ハレノ――メインイベント「大泥棒プルム」。


〈ハレノを中心に数々の盗みを働いてきた大泥棒プルム。彼女は貴金属や骨董品、絵画――その鮮やかな手口で数々の値打ち物をその手にしてきましたが、未だ捕えられていません。プルムを捕まえればハレノの民の賞賛をほしいままにできるほか、多額の賞金も得ることができるでしょう〉


 金と名声――というと人聞きが悪いが、どちらもあって損はない。


 金は旅に必要だし、いずれ魔王と全面戦争になった場合、街の人々の心を掴んでおくことは重要――というのがユレイナの意見だった。


 攻略本にはプルムがよく出没する場所や時間帯、捕えるコツまで丁寧に書かれていた。改めて、ユレイナが何度もこの世界の冒険を繰り返してきたことがわかる。


「彼女はかなり腕の立つシーフよ。ハレノの人たちはほとほと困り果て、衛兵もお手上げ状態。ここは街のためにもなると思って大捕物といきましょう」


 朝食のあと、二人は冒険者ギルドへ向かった。


 大泥棒プルムの捕獲クエストはギルドで貼り出されている。酒場も併設されているから、溜まり場にしている冒険者たちから何か最新の情報が聞けるかもしれない。


 朝早い時間帯だからか、冒険者ギルドはがらんとしていた。


 受付嬢があくびをしながらモップで床を擦っている。大柄の剣士が奥のテーブル席でコーヒーを飲みながら、小さな手帳になにか書き込んでいる。


 カナタは掲示板を見上げた。掲示板というより、レンガの壁に依頼の書かれた羊皮紙をべたべた貼り付けただけのスペースだ。


「ありましたよユレイナさん。『大泥棒プルムの捕獲』。依頼主はイェスター商会の会長です」


 一際大きく立派な縁取りのある紙だったので、カナタはすぐに見つけることができた。


「うわぁ……これ報酬が金ルタ50枚ですよ。太っ腹ですね」


「イェスター商会はこの街でいちばん大きい商会で、創設者のイェスター会長は凄腕の商人よ。この街の発展に誰よりも貢献した“ハレノの英雄”。中央広場に銅像があったでしょ」


 そういえば初日に見た。すらりと背が高い美形の男の銅像が街の広場のど真ん中に鎮座し、日の光を反射していた。


「攻略本にも書いてありましたね。このクエストの報酬も、慈善事業なんですよね。すごい人だなぁ……」


 受付嬢になにか最新の情報がないか聞いてみたが、特にないとのことだった。


「プルムのクエストはやめといたほうがいいですよ。それもう何年も貼りっぱなしになってて。うちに登録してる冒険者はだいたい一回は挑むんですけど、だれにも捕まえられてないんです」


 しかも、誰も大泥棒プルムの姿すら確認できずに返り討ちに合うんだそうです――受付嬢のノルンは言う。


 ノルンは動きやすそうなハーフパンツに飾り気のないベストを着ていた。ショートカットの黒髪は毛先が緩やかにカーブし、その目はなんとなく気さくな雰囲気を漂わせている。寝不足なのか、話しながら何度もあくびを噛み殺していた。


 実のところ、カナタは彼女が寝不足である理由を知っている。


 それも攻略本で得た知識だ。


「ちなみに……この前はあそこにいる剣士のネビルさんが意気揚々と挑んだんですけど、数時間後、貴族街の道端でのびてるのが見つかったんですよ。『必ず捕えて見せる!』と息巻いていたんですけどね」


「おいノルン、聞こえてるぞ!」


 剣士ネビルは憤慨する。


「あらごめんなさい。でもネビルさん、あれからほかのクエストにも全然手を出してないですよね? ずいぶん自信をなくされてしまったのかなと。せめてこの方々に情報提供してもらえませんかね? 朝からコーヒーばっかり飲んでないで、ウチのギルドの役に立ってもらわないと」


 カナタとユレイナは顔を見合わせた。見えない力関係ではどうやら受付嬢のほうが上らしい。


「――なんだ、新入りか?」と剣士が言う。


「お、おはようございます」


 カナタは簡単に自己紹介した。女神と転生した勇者であることはもちろん伏せた。最近冒険者を始めた新米ソーサラーと、ちょっとは経験のある先輩冒険者のオールラウンダー、ユレイナだ。


「ううむ……すまないが話せる情報を持ち合わせていない。気がついたら倒れていたのだ。実に情けない話なのだが」


 剣士ネビルは頭を抱えた。


「気がついたら倒れていた?」


「ああ。まず、大泥棒プルムは貴族街によく出没する。当然貴族の屋敷には値打ちのある物が多いからな」


 ネビルが貴族街を巡回していると、近くの屋敷で騒ぎがあった。すぐさま駆けつけたが、屋敷の入り口あたりで異変が起こる。


「なんというか……急に脚が重くなり、凄まじい睡魔に襲われたのだ」


 起きたときには、その屋敷の夫人が所有していた宝石類が根こそぎ持ち去られていたという。


 ユレイナはカナタに目配せし、小声で呟く。


「マタンゴの胞子を使った錬成物ね――攻略本のとおりよ」


 ノルンは床掃除がひととおり済んだようで、モップをバケツの中に放り込んだ。


「プルムに返り討ちにあった冒険者はたいてい似たような話をしますよ。もし挑むならなんらかの対策をおすすめしますが……手の内がわからないと対策しようもないですね――」


「そうね……まずは一度――」


「このクエスト、オレ様がもらうぜ!」


 突然背後から知らない男の声が聞こえて、カナタは飛び上がった。

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