昨夜はお楽しみでしたね。
「昨夜はお楽しみでしたねぇ、勇者様ぁ?」
宿のロビーへ降りて行くと、にたにたと顔を綻ばせたユレイナが待ち構えていた。小さな布張りのソファに腰掛け、脚を組んでいる。
「ユレイナさん、知ってたんですね……村の風習で、最初からパトさんが僕のところへ来るってこと……」
「あんたの素の反応が見てみたくて。それにしても二人ともウブすぎるっていうか――まあ最後にはばっちり絡まり合ってたみたいでしたけど」
「すみません。僕断れなくて……」
というか見てたのか。
「逆に断ってたら、あなたのことを軽蔑するところだったわ。あの子の境遇は聞いたでしょ? 変にカナタが格好つけて貞操を守ったりしたら――」
「はい……それもありますけど、やっぱり最後は……」
僕は下半身に思考を奪われました。
「ていうかそのイベント、攻略本にも書いてあるわよ」
「えっ、そんなことまで」
カナタは端末を呼び出してページをめくる――あった。
始まりの村ウィム――メインイベント「村娘のご奉仕」。
〈勇者であるあなたには、担当になった処女の村娘が夜這いをしに来ます。彼女は勇者に見初められ、勇者の子を身籠る使命があるのです。なので基本的にどんなことをしても大丈夫。あなたに従順な奴隷ですよ。健気ですね。さあ、欲望のままにあんなプレイやこんなプレイを――〉
「今すぐこの攻略本の記述を修正してください」
「あんたもシたでしょう? 欲望のままにあんなプレイやこんなプレイ」
もちろんなにも言い返せない。
「ちなみに物語を有利に進めるためにも、あの子をきちんと可愛がってあげるべきよ。私が集めたデータによると、格好つけて抱かなかった勇者は、ちゃんと抱いた勇者より死亡率が12%も高くなる」
「それ……因果関係あるんですか?」
「こういうときチャンスを逃さないタイプは、結果として、然るべきときによりよい選択ができる人間だという証左かもしれない」
「なるほど……」
思いがけず自分の行為がそれっぽく正当化され、カナタは少し心が軽くなる。
いや、軽くなっていいのか?
ユレイナは立ち上がり、三つ編みにした銀色の髪を背中に流した。
「そうそう、昨日新しい攻略本のデータを共有しておいた」
「新しい攻略本ですか? 僕まだ最初のも読み終えてないのに――」
「それは今日ちゃんと時間を作って読み進めなさい。新しい攻略本――というより指南書だけど――は『戦闘技術』について書かれている。こればっかりは私の専門外だったから、編纂にあたってはそれぞれのスペシャリストに監修してもらったわ」
剣術については「ヴァーリアント騎士団」の団長にして「最強の剣士」と言われているヘルムート・ダイン。
武術については、女神信仰の総本山であるユフメイルの僧侶(モンク)、トランタ・フォレスター。
魔法については、第二次魔女狩り期において魔女ギルドを率いた「大魔女」ライラ・ペトラ。
「――凄そうな人たち、というのはわかるんですが」
「皆この世界の偉大な人物たちよ。とにかくカナタ。あなたはできるだけ早く力をつける必要がある。今のままじゃ魔王どころか、魔王軍の幹部の手下の手下の手下にも敵うかどうか際どいところ。まずはこれを読んで、自分に適した戦闘スタイルを確立させましょう」
その日はユレイナから渡された攻略本にかじりついて過ごした。
改めて「転生者必見! 異世界冒険攻略本(β版)」の第一章「この世界の概要」を読み返すところから始めた。
アイクレイアと呼ばれるこの世界には四つの大陸があり、八つの国がある。
マニュアルには挿絵として地図が載っていた。四つの大陸はおおむね同じくらいの大きさで、それぞれ東西南北に位置している。
今カナタがいるのは西の大陸で、そのさらに西端に位置する小国ポルタだ。同じ大陸にはあと二つ国がある。
南の大陸は「ユピテルミア王国」。大陸が丸ごとひとつの国家であり、面積も最大だ。
東と北の大陸にはそれぞれ二つずつ国がある。そして北の大陸にあるのは、北側に「ドラン帝国」、南側に「ヴァーリアント王国」。
たしかユレイナさんが村長に話していたっけ――ドラン帝国はすでに魔王の支配下にあり、ヴァーリアント王国がなんとか進行を抑えている。だが魔王は、いつどんな手で仕掛けてくるかわからない。
地図で見ただけでは、ドラン帝国からカナタのいるポルタまではずいぶん遠いし、こんなところまで襲ってくるはずがないような気さえしてくる。
宿の部屋の外には小鳥がいかにも平和そうに飛び、子供たちは穏やかな日常の中でボール遊びに興じている。こんな風景が壊されてしまうなんて、とても想像できなかった。
でもいっぽうで、ウィムのようななんの対抗手段も持たない村は、魔王の手により簡単に滅ぼされてしまうような気もした。
そんなとき、今の僕にはなにもできない。
途端に焦り出して、カナタは戦闘技術について書かれた「転生者必見! 初心者のための戦闘技術(β版)」を開き、読み始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
人の声がして、カナタは目を覚ます。
どうやら、攻略本を読んでいるうちに寝てしまったようだ。外はもう夕暮れ時になっている。カナタは頬についたよだれを拭った。
それにしてもなにかあったのだろうか。宿の外がずいぶん騒がしい。
「カナタ、すぐに村を出るわ。準備して」
ユレイナが部屋に入ってきた。無表情だったが、わずかに焦りが滲んでいる。
村を出る?
「なにがあったんですか?」
「グムド族――オークの連中が村のみんなを襲っている」
「……えっ」
グムド族。
オークの中でも特に凶暴で、この国では危険種に分類されている。
人間を見境なく殺す。相手が若い女であれば徹底的に犯す――
「そ……そんな……!」
「この襲撃はランダムで発生する序盤のイベントよ。攻略本にも書いておいた。あいつらが来るのはわかっていたわ。でも今回は少し早い……」
「攻略本に書いてある?! そ、それならグムド族たちを撃退して村を守る方法も、攻略本に……」
ユレイナはカナタをまっすぐに見つめたまま、その目に影を落とした。
「いいえ、書いていないわ。ないのよ。このイベントは一方的にグムド族に村が襲われる。転生したばかりでグムド族の相手は無理。あなたにできるのはすぐにこの村から逃げること。それだけよ」
「ちょっと待ってください! 逃げる?! そしたら村の人たちが!」
「わかってる! でもカナタ、今のあなたにオークを追い払うことはできない。あなたが死んだら元も子もない。冷静になって……」
そんなことはわかってる。
わかってるけど……嘘だ……そんな……
カナタの脳裏に村のみんなの顔が浮かんだ。優しく迎えてくれた村長や宿の女店主、ボール遊びをしていた子どもたち――そしてパト。
「ユレイナさん……女神様。お願いします。女神様の力でどうにかならないんですか?」
「どうにもならない。私は転生者に力を与えることはできても、直接この世界で力を振るうことはできないの」
どうにもならない。
カナタの胃にずしんと重たいものが落ちた。
僕には力がない。体力も知識も、状況判断能力もなにひとつ。
無理なんだ。村のみんなを助けられない。
せめてみんなが殺されていくのを見ないで済むように、逃げることしかできない。
パトがオークに凌辱されていくのを見ないで済むように、村から遠く離れることしかできない。
でも……でももし……
できることがあるとすれば……
「ユレイナさん。ひとつだけ試してみてもいいですか? これでダメなら……諦めて村を出ます」
「なにを試すっていうの?」
魔法です。
カナタはユレイナに告げた。
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