”勇者の剣”

 カナタが目を覚ましたとき、始まりの村ウィムはまだ夜の闇の中だった。


 ふくろうみたいな鳴き声と森のざわめきが聞こえる。あとはとても静かだ。元の世界で山にキャンプにでも出かけると、ちょうどこんな雰囲気だったなと思う。


 でも、どこか違った。


 具体的にどう違うかはうまく言えないけど、元の世界とこの世界「アイクレイア」は、全然感触が違う。 似ているところに気づけば気づくほど、より違いがはっきりと感じられる。ホントにべつの世界に来てしまったんだと、はっきりと自覚する。


 それからカナタはパトのことを考えた。


 あの子、ずっとこの村に住んでいるのだろうか。たぶん村の人たちにとって僕は重要人物だから、気をつかって村いちばんの美人を隣に座らせたんだろう。緊張していたみたいだし、あの子本心では嫌だったりしなかっただろうか……。


 あんな可愛い子、多分村でも「いいなづけ」とかがいるのだろう。そう考えると、ちょっと悔しいな……


「……勇者様」


 それにしても可愛かったな。澄んだ目をしていたし、髪も肌も綺麗だった。なんだかいい匂いもした。笑うとさらに可愛い。


「……勇者様……カナタ、様?」


 そうそう、まさに今目の前に立っている女の子みたいな感じだ。ずいぶん薄着でしかも裸足だけど、寒くないのかな? 風邪ひいちゃ――


「って、パトさん?!」


「きゃっ!!」パトはたじろいだ。


「ど、どうしてこんなところに?! それにその格好……」


 パトは真っ白なワンピースを着ていた。


 いや、ワンピースというよりネグリジェと言ったほうがいい。その華奢な身体に細い肩ひもだけで引っかかっており、ちょっと引っ張っただけで脱げてしまいそうな頼りない服だ。


「お、お気に召しませんでしたらすぐに着替えて参ります……」


「いや、その服は大変けっこうで――じゃなくて、なぜここにいるんですか?!」


「この村の伝統です。勇者様にはこの先つらく険しい冒険が待っています。その門出に、少しでも満ち足りた時間を過ごしていただきたい……そ、そのために私が今晩、カナタ様の、お、お相手に……」


 お相手。パトはそう言った。


 さすがのカナタも、その意味はすぐにわかる。真夜中に男が寝ている部屋。そこへ脱がせやすそうな服を着た少女が忍び込んできたのだ。


 すでにはウォーミングアップを始めている。


「えっ……ええと……すみません。情けないのですがこういうシチュエーションにまったく慣れていなくて……ど、どうすればいいのか……」


 幸い僕はまだ理性を保てている。だけは暴走しているが、それ以外はまともだ。


「――パトさん。村の人たちが歓迎してくれたのは嬉しいです。でもこういうのはお互いの気持ちとか、そういうのもあるじゃないですか。だからその……」


「パトではいけませんか?」


 目を潤ませるパト。


 完成形に近づくが「イけます! イかせてください!」と叫んだ。


「そ、そういうわけじゃ! な、なんていうのかな……」


 パトはベッドへ近づいていき、おもむろにカナタの右腕に自分の腕を絡ませた。柔らかい胸の膨らみが腕にあたる。甘い香りがする――


「カナタ様……お望みの行為をおっしゃってください。パトはなんでもします。勇者様の命令に忠実に従います」


「パトさん……どうしてそこまでして……」


 今までの人生でここまで求められた経験のないカナタは、こういう状況に対して悲しいほど疑い深かった。


 攻略本を読み進めれば、こういうときどうするべきかが書いてあったのだろうか。


 カナタは細い両肩を掴んでパトを優しく引き剥がし、改めて理由を聞く。


 パトは目を逸らし気味にして、訥々とつとつと答えた。


「勇者様の門出を祝い、若い純潔の娘をお納めする。過酷な旅の前に、勇者様を癒してさしあげたい――これは本当です。この村の皆の総意です。ただもうひとつ……選ばれた娘は勇者様に見初められる必要があります。そして娘は、勇者様の……こ、子種を……」


「な、な、なん、なんだって?」


「せ、せいしです……お、男の人の精子。勇者様の優秀なそれをもらい、子を身ごもりたいのです。それがこの村の……私にとっても名誉なことなのです」


 パトは必死な顔でそう訴えた。


 とても大切なことだから、絶対にカナタにわかってほしいというように。これ以上に大切なことなどありはしないというように。


「もし……もし僕がやっぱりそういうことはできないと言ったら、パトさんはどうなってしまうんですか?」


「……最終的には村長が決めますが、たぶん村を追い出されてしまいます」


 その厳しい仕打ちに驚きはしたものの、不思議なことにカナタはそれが理不尽とは思わなかった。


 それだけ村にとって大事な儀式なのだ。カナタの常識で口出しするようなことではない。それがいかに意味不明で、同意できない風習だとしてもだ。僕はよそ者なんだから。


 しかしどうしたものか。


 パトさんにとってはここで僕と最後までするか、村を追放されるかの二択だ。そう簡単に引くわけがない。


 そしてもちろん僕は……したい。


「も、もう一個だけ聞かせてください。パトさんは……パトさん自身は、嫌じゃないんですか? その……僕とそういうことをするの」


 パトは不思議そうな顔をした。


「嫌ではありません。こんな名誉なことは、本当にないんです」


「ええと……僕たち会ったばかりですし、例えばそう……僕のこと好きじゃないですよね? 


「いいえ。カナタ様は好きです。だって勇者様は特別なお方で……」


「いやそうじゃなくて……ううんと……そうだな……僕はパトさんのこと、いいなって思いました。いいなっていうのはその……今日隣に座ってくれて嬉しかったっていうか……」


 パトは一瞬驚き、うつむいた。


 カナタが覗き込むと、顔を真っ赤にしている。


「パトさん?」


「……です」


「ご、ごめんなさい。今なんて言いました?」


「……し、したいです。パトはカナタ様と、したいっ……」


 あ……もうムリだ。


 勇者の剣は聖なる光を纏い、ついに完成した。


 ちょっと言わせたような感じになってしまった気がするけど、もうこんなの回避しようがないではないか。


 パトの口を、カナタはキスで塞いだ。


「……っ」驚きと喜びが混じる声が、パトの喉から聞こえた。


「……嫌じゃ……ないですか?」童貞はどこまでも疑り深い。


「嫌じゃない……全然……嫌じゃない……カナタ様……」


 そのままカナタはパトをベッドに押し倒した。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 翌朝、窓から差し込む朝日でカナタは目を覚ます。


 すぐに昨日の夜の出来事が蘇ってくる。恥ずかしがりながらもキスに応じるパト。絞り出すような嬌声を上げ、身体をひねるパト――


「卒業してしまった」


 カナタは天井に向かって声に出した。


 ああ。すごくよかった。やばかった。


「おはようございます。カナタ様」


 パトがお盆に飲み物を乗せて、部屋に入ってくるところだった。


 昨日の薄着ではなく、フリルのついた長袖のワンピースにチェック柄のベストを着ている。


「暖かいお茶をお持ちしました。あの……どうかいたしましたか?」


「いえ、なんでもないです。ありがとうございます」


 パトはにっこりと笑い、マグカップをテーブルの上に置いた。


「このお茶はこのあたりの森で採れる『ロギ』という植物の葉を乾燥させて淹れたものです。少し苦味がありますが、朝に飲むとすっきりしますよ。お口に合えばよいのですが」


「苦いのは好きです。ありがとうございます」


 カナタは早速ひと口飲んだ。パトが言うほど苦くはなく、むしろすうっと鼻に抜ける風味が心地いい。


「これすごく美味しいですね!」


「よかった! 実は私、両親と一緒に食糧品店をやってるんです。もしご入用のものがあればぜひお越しください。もちろんカナタ様からお代は頂戴しませんから」


 この先の冒険では当然食糧は必須だろう。この世界のポピュラーな食べ物がどんなものなのかも知っておいたほうがいい。


 そしてこの世界の「お金」についてもまだ知らなかった。パトは食糧を譲ってくれるようだが、もらいっぱなしも悪い。どこかで稼ぐことができればいいけど――あとでユレイナに聞いておこう。


「はい。ぜひ立ち寄らせてください」


「お待ちしていますね。あ、あと……カナタ様……」


「なんでしょう?」


「ええと、その……今夜もまた……こちらにお邪魔して良いでしょうか?」


 もはや断る理由など見つからなかった。


「も、もちろんです……」

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