はじまりの村ウィム

「オーク?」


 カナタがユレイナを振り返ると、いつの間にか彼女の服装が変わっていた。


 銀色の長い髪は三つ編みに束ねられている。女神らしい白いドレスは消え、替わりにカナタと同じような肩当てや胸当てのついた防具を装備している。腰には短剣が結び付けられていた。だがカナタのよりも数段高級な物のように見えた。


「オークは魔物よ。他の世界から来た『魔族』とは違い、この世界にもともと住んでいる。オークにもいろいろあるけど、グムド族はかなり攻撃的で、見境なく人間を殺す。相手が若い女であれば徹底的に犯す。この国ポルタでも危険種に分類されているわ。だから――」


 そのとき、東の森の奥から鳥たちが飛び立った。


 ほぼ同時に、木々が薙ぎ倒されるような重い地響きが聞こえた。振動がカナタの足にも伝わってくる。


「行くわよカナタ。急いで」


「は、はい……!」


 ユレイナの後ろにつづき、カナタは北へ向かう道へ駆け込んだ。


 道は思った通り細く、それでいて曲がりくねっており、地面のでこぼこも激しい。しかしユレイナは軽やかに、ほとんど足音を立てずに素早く進んでいく。


 カナタは背後に恐怖を感じながら、汗だくになり、木の根っこにときどき足を取られながら、必死に後を追った。


 十五分ほど歩いただろうか。


 森が少し開けた、日の光が差し込む明るいところに出た。


 そばには小さな川が流れており、陽だまりには青紫色の花が群生していた。


 地響きはもう聞こえなくなっていた。


「転生者の60%は東の道を選び、14%は不運にもオークに遭遇する。そして殺される確率も14%よ」


「遭遇したら終わりじゃないですか……」


 カナタは手ごろな岩に腰かけ、息を整える。


 だがなかなか気持ちが落ち着かない。


 死ぬかと思った。


 鉢合わせたわけじゃないのに、その気配を感じただけでこれだ。


 僕、本当にやっていけるのか?


「ある程度力をつければオークにだって対抗できるけど、転生したてじゃあまずムリね。誰にも気づいてもらえずに、雑巾みたいに捻り殺されて、その辺の地面のシミになって終わる。ちなみに攻略本のp4を読んでみて」


 言われたとおり、カナタは自分の緑色の端末を取り出して攻略本を読んでみた――


〈転生者のうちじつに54%は、この世界に来て一週間以内に命を落とします。死因は主に魔物による襲撃、野盗による襲撃、餓死、毒死、崖からの滑落などです。序盤は特に戦闘力が低く、些細なことで死にやすいので、気をつけたいところですね〉


「『気をつけたいところですね』じゃないですよ! 一週間で54%? これ魔王討伐以前の問題じゃないですか! 過酷すぎますよこの世界!」


「そんなこと言ったってしょうがないじゃない。そういう世界なんだもの」


「女神様は創造主なんですよね? この理不尽モード全開の世界をなんとかできないんですか?」


「創造主とはいえ、この世界はこの世界に住む者に委ねられているの。女神には世界を掌握できたとしても、作り変えるような力はないわ」


「そういうもんですか……」


「そういうもん。まあこの世界が過酷なのは……」


 ユレイナはなにか言いかけたが、すぐに口をつぐんだ。


「ううん、今話すことじゃない。とにかく小休憩が済んだら出発よ。少し行けば村があるわ」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 森を抜け、小高い丘の上に登ると一気に景色が開けた。


「見えた! あの村ですね」


 カナタたちがたどり着いたのは小さな川辺の村だ。


 木材を組んで作られた素朴な家が、身を寄せ合う雛鳥のように建ち並んでいる。


「『はじまりの村ウィム』。今日はここで宿をとるわ」


「ここで泊まることも攻略本に書いてあるんですか?」


「もちろん。まあ立ち寄るのは必須ではないけど、今のあなたの体力だと次の集落まで無理はできない」


「おっしゃる通りです……」


 カナタたちが村に足を踏み入れると、ちょっとした事件が起きた。


「おいおい、あれってまさか……」

「いらっしゃったわ! 女神様の御告げのとおりね」

「祝いの席の準備は進んでるのか? ラグエル家が当番だったと思うが」


 村の人々がそれぞれの仕事を中断し、カナタを一目見ようと集まってきたのだ。


「女神様……これって」


「私のことはユレイナと呼んで。女神だと知られるといろいろ不都合なの」


「わ、わかりました――ユレイナさん、それでこれは? 村の人たちがずいぶん興奮気味ですけど」


 聞けば「はじまりの村ウィム」は勇者の祠から近いこともあり、古来から女神信仰が強い村なのだそうだ。


 村の言い伝えでは、世界を救う勇者が祠より誕生し、まずいちばんにウィムを訪れる。女神の啓示によりその時期は村長に告げられ、村人たちはそれを心待ちにしている。


 そして訪問した勇者を宴に招き、村を上げて盛大に祝うのだ。


 ユレイナに連れられ、まず村長の家を訪ねた。


 素朴な木造の平家で、ほかの家屋とほとんど変わらない。入り口にかけられているのれんだけが赤や黄色に染められており、それが目印になっていた。


「お待ち申し上げておりました。勇者様」


 頭が禿げ上がった無精髭の村長が、柔和な微笑みで歓迎の意を示した。


「此度の勇者様には『導き手』のお方がいらっしゃるのですな。とすると――」


 村長はユレイナのほうを見て、少し険しい表情になった。


「ええ村長殿。北の帝国ドランが魔王の手に落ち支配されてから七年。隣接する大国ヴァーリアントの騎士団の活躍により国境線は膠着状態を保てておりますが、いつ魔王が次なる策を実行するかわかりません。勇者様の力を一刻も早く投じ、先手を打つ必要があります」


 カナタは驚いてユレイナを見た。


 具体的なこの世界の戦況を聞くのが初めてだったのもあるし、それ以上に、ユレイナがまるで一個小隊を仕切る指揮官の報告のように、凛とした声色で話していたからだ。


「この世界の危機が迫っておる――女神様の御告げのとおりじゃ。ワシらには勇者様のご武運を祈ることと、ささやかな寝床を提供することくらいしかできんが、どうぞ羽を休めていってくだされ」


 カナタとユレイナは村長に礼を言い、村の外れのほうにある宿へと向かう。


 宿のカウンターでは恰幅のいい四十がらみの女主人が感激した様子で迎えてくれた。


 通された二階の部屋は決して広くはなかったが、手入れの行き届いた清潔なベットが置かれ、書き物用の机と椅子が窓際に並んでいた。ほんのりとハーブかなにかの爽やかな香りがした。


「宴席に参加するよう村長に招待されているわ。行ってきてもいいけど、ハメを外してあまり遅くならないようにね」


「わかりました。僕、もともとお酒の席って苦手で……村の人たちには悪いけど、早めに切り上げてきます。ところでユレイナさん。『導き手』ってなんですか? ユレイナさんは女神なんですよね?」


「あのねぇ……わかると思うけど、ここは女神信仰が特に強い村。皆私の可愛い信者たちよ? ひょっこり女神本人が登場したら大騒ぎじゃない」


 それは確かにそうだ。


 だが村長の話ぶりだと、ユレイナは過去にも何度かこの村に勇者を連れてきているようだったし、ユレイナが同行していないときもあったようだ。


 たぶん説明してもわからないと思うけど――そう断った上で、ユレイナは説明した。


「この世界はひとつだけど、同時に転生者の数だけ世界がある。私は一人だけど、転生者の数だけ私は存在する。だから、私が村まで同行したときもあれば、祠の前でさっさと別れたときもあるし、私が『導き手』として村を訪れたことがある世界にまた私が訪れるときもあれば、一度も訪れない世界も存在する。この国ができあがるよりももっと前の大昔に旅した転生者もいれば、ついこの前まで私と旅していた転生者もいる。わからないわよね?」


「はいまったくわかりません」


 途中から禅問答のようだった。


「わからなくていいわ。とにかく前に言ったように、カナタがこれから冒険する世界はたったひとつ。今ここにある。それだけわかっていればいい」


 ユレイナは少し休むと言い、隣の部屋へ消えていった。


 カナタは攻略本のpdfファイルを開いて、第一章「この世界の概要」を読み始めた。

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