冒険のはじまり
「ねえなんとか言いなさいよ……」
女神ユレイナはいつの間にかしゃがみ込み、地面を見つめながら沈んだ声を出した。
カナタは口を開いたが、相応しい言葉が見つからず、ただうつむくことしかできなかった。
「ごめん。普通に考えたら迷惑よね。もしあなたが望むなら、転生をキャンセルすることができる。私の力で、交通事故に遭う直前に戻してあげるわ」
「えっ! できるんですか?! だって今さっきは世界を救わなきゃ戻れないって……」
「か、勘違いしないで! いつもできるわけじゃない。
さっきからどうも説明が中途半端な気がする。おおむね女神が求めていることはわかってきたが、妙にまわりくどい。
ピンポイントで尋ねなければ求める給付金の制度を紹介してくれない、市役所の窓口に立っている気分だ。
カナタが押し黙っていると、ユレイナは自分の腕に顔を埋め始めた。
「……正直、今の状況に困ってるの。でも女神とこの世界の人々の力だけでは魔王に勝てない。転生者に頼ることしか、方法がない……」
そのとき、女神とはべつの女性の声が聞こえた。
それはずっと遠くのほうから呼ばれているようにも聞こえたし、頭の中のいちばん深い部分で響いているようにも聞こえる。
〈勇者様。どうか……どうか女神ユレイナに力を貸してほしい。私の力も――もうほとんど残っていないけど――あなたに託すから〉
その声には聞き覚えがある。
同時にある情景が浮かんでくる。
痩せ細った身体に白い肌、消毒液のにおい、殺風景な病室――
「ここは……」
よく知っている場所だ。
カナタにとって慣れ親しんだ場所。
そして同時に、とても恐ろしい場所。
その情景はすぐに消えた。
「どうしたのよ?」
ユレイナにはなにも見えていなかったようだ。
「いえ、なんでもないです」
ここで女神様の頼みを聞けば、大変な目に遭うのは確実だ。
女神が三週間寝込むからなんだって言うんだ。すぐにもとの世界に戻してもらって、交通事故を回避して、なにごともなかったかのように次の日も仕事に行く。
こっちの選択肢の方がおおむね幸せなはずだ。
でも、あの轢かれてしまった中学生をもう一度助けることはできないかもしれない。
それに。
困ってるんだよな……女神様。
大勢の転生者がこの世界に挑んでは失敗してきたわけで、普通ならもう無理だって諦めそうなところを、頑張って攻略本まで作って……。
ユレイナはついに指で地面をほじくり始めた。
しばらくうんうん唸っていたカナタだったが、そんな女神を見ていたたまれなくなり、手を差し出した。
彼女はきょとんとした顔で見上げる。
「女神様がそんなお行儀の悪いことしないでくださいよ」
僕は臆病だし、大した才能もない。
たぶん女神様にとって自分は大勢の転生者のうちの一人にすぎない。
いわゆる「モブキャラ」みたいなヤツだ。大して期待もされていないだろう。
「僕がどこまでできるか、正直自信がありませんが、やるだけやってみます」
でもやっぱり、困ってる人をほっとくことはできない。
◆ ◆ ◆ ◆
カナタが転生したこの世界は「アイクレイア」と呼ばれ、四つの大陸があり、八つの国がひしめいている。
「ここは西の果てに位置するポルタ王国。今抜けた洞窟は『勇者の祠』と呼ばれていて、転生者はここから冒険を始める。とても神聖な場所で普段人々は近づかないわ。さて、いちばん近い村は――って、カナタ?」
よたよたとおぼつかない足取りで、洞窟の壁に寄りかかりながら、カナタはやっとの思いで洞窟を抜けた。
「はぁ……はぁ……す、すみません。ちょっとだけ休憩を……」
「先が思いやられるわね。そんなんじゃ最初の村にもたどり着けないわよ」
そこはうっそうと植物が茂る森の中だった。
巨大な幹を持つ樹木たちが枝を広げ、絡まり合い、無表情でカナタを観察している。元の世界では見たことのない植生だ。
ただ、よそ者であるカナタを歓迎してくれているようにはとうてい見えなかった。
「僕の基礎体力が、攻略本云々以前の問題みたいですね……」
「まあこの世界に来たばかりというのもあるわね。体力、知力、精神力――元の世界ではそれなりに自信があっても、こっちでは平均より低くなったり、その逆もあったりする。ちなみにあなたは」
ユレイナはあの青い端末を取り出した。今更だが、いかにも女神らしい古風なドレスにこの近未来的なアイテムはかなりチグハグな感じがした。
「ほとんど平均以下」
「申し訳ございません」
「仕方ないわ。本当はもう少しあなたの特性が分かってからにしたかったけど、そうも言ってられない。能力値を付与する。まずはその貧弱な身体を、この世界でやっていけるレベルに調整する」
「そんなことができるんですか?!」
「これでも創造主よ? まあ、振り分けられるパラメータにも限界があるから、まずはほどほどに――」
ユレイナは慣れた手つきでタップやスワイプをする。
青い端末が「ぴろん」と思いのほか可愛らしい音を発した。
「オッケー。これでカナタの基礎体力、それに付随した筋力、持久力、それにひとまず弱い魔物程度なら撃退できる戦闘技術を付与した。今使えるのは全部割り振ったから、これ以上は経験値次第ね――ああそっか忘れてた。戦うための武器や防具もいるわね。もう、初期設定って面倒なのよね……コストもかかるから、とりあえず装備は『見習い勇者』にして、カラバリは適当に――はい、こんな感じでしょ」
前の世界の平凡な私服を着ていたカナタだったが、見るといつの間にか胸当てや肩当てがつき、腰の鞘には小さめの剣が収められていた。
「わあ! なんか雰囲気出ますね! これで僕も少しは冒険者らしく――うぁっ!」
軽く足を踏み出しただけのはずだったのに、カナタはまるで見本のように盛大に転ぶ。受け身を取ることもできず、まともに頬を地面に擦ってしまった。
女神はあきれた顔でため息をついた。
「言っておくけど装備や能力値の付与ですぐに強くなるわけじゃない。剣を上手に扱うにはそれなりに訓練がいるし、高めたパラメータも馴染むまで時間がかかる。最初はゆっくり身体を動かして慣れていくのよ」
「そういうの先に言ってください……」
まるで全身が石にでもなってしまったかのようだ。自分の身体なのに、指の先をほんの少し動かすので精一杯だった。
ユレイナにアドバイスをもらいながら、カナタは少しずつ各部位を動せるように身体を調整していった。膝を曲げられるようになり、腕で上体を持ち上げられるようになり、やっとの思いで二足歩行が可能になり――
ちゃんと歩けるようになるまで、まるまる一時間かかった。
「先が思いやられるけど、気を取りなおして行くわよ」
そこは深い森の中だが、よく見ると細いけもの道がいくつかある。
大小含めて三つ。
北へ向かう道はずいぶん細い。東へ続く道と南西へ続く道はかなりしっかりと踏み固められており、広くて歩きやすそうだった。
「ひとまずこっちですかね? この道かなり使われてるようですし、もしかしたら集落があるんじゃないですか?」
カナタは進みやすそうな東の道を行こうとする。
だがユレイナは首を横に振った。
「いいえカナタ、ここは北へ行くわ」
「北、ですか?」
「ええ。北には港街ハレノがある。この国では王都の次に大きい都市よ。拠点の候補になりうる。攻略本にも記載のとおり」
「さすがにまだ読めてないです」
北へと続く道はいっそう細く、飛び出た枝も多くてかなり進みにくそうだった。
「まあ女神様が言うなら……ちなみに東に行くとなにがあるんですか?」
「言ったでしょ? ここは神聖な祠で、普段人間は滅多に近づかない。
カナタは改めて東の道を見た。
草がはげて地面が剥き出しになっているところをよく観察すると、うっすらと足跡がついている。
驚いたことに、人間のものと比べて約三倍の大きさだ。
「これって――」
「東に進むとグムド族の集落がある。グムド族の原種はオーク」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます