第5話

「これありがとう。一緒に食べよう」

 

アイコさんはサンドイッチの箱を開けた。中には卵サンドが6個入っている。

お買い得パックを買ったけど、全部食べ切れなかったらどうしよう。祥太郎の家に持って帰らせるわけにもいかないし。


うだうだと考えているうちにアイコさんはサンドイッチを食べ進めていた。

 

俺も一つ取って食べる。すごくおいしくてびっくりした。

 

前食べたときこんな味だっけ。すごくおいしくなっている気がする。

卵は出汁が効いてて、からしマヨの風味とマッチして旨い。パンも薄すぎず厚すぎず、卵とのバランスがいい。

 

企業努力で良くなったのかな。いやでも創業時から味を変えないのがこの店の売りだったはずだ。

 

これを初めて食べたのって、確か一年前だ。なんで買いに行ったかっていうと……


 

そうだ、ハルちゃんだ。


ハルちゃんがここのパンが好きって言ってるのを聞いて、会えるかなって下心で見に行ったんだ。そればっかり考えていたから味のことなんて覚えていなかった。


 

俺は咀嚼が止まってしまった。


 

一体、いつまでこんなこと続けるつもりだろう。

わかってる。この気持ちは恋や愛なんかじゃない、ただの執着だ。だって彼女とまともに話したことってほぼないから。

 

頭の中で見知ったピースを繋げて理想像を増幅させる。そうしてできた「頭の中のハルちゃん」に執着している。

 

そこまで分かっているのに、実物を見かけるとどうしようもなく嬉しくなってしまうんだ。それが本当に情けなかった。

こんなに綺麗な人が隣にいるのに、会いたいと思うのはハルちゃんだった。



「情けなくなんかないよ」

アイコさんは二つ目のサンドイッチに手を伸ばしながら言う。


「誰がどう言おうと、自分がどう思おうと、それは確かな『愛』なんだ」

 

優しいアイコさんの声が頭に響いて、少し泣きそうになってしまった。

初めて人に認められたような気がした。


「ハルちゃんとコウキ君は、どんな高校生だったの?」

 

アイコさんはこっちを向いて言った。口の端には卵の切れ端が付いている。


「ええ、なんで知りたいの?」

「気になるから」

すごくシンプルな答えだった。いやそりゃ、そこに深い意味なんてないのは分かっていたんだけど。


だけどなんとなく、アイコさんにハルちゃんのことを言うのは気が引けてしまった。 


「うーん、そうだな、俺たちの通っていた高校は中高一貫の私立だったんだ。ハルちゃんは中学からの生徒だったんだけど、俺は高校から。俺は中学の時まあまあ勉強できる方だったんだけど、みんなできる人だったから成績はそんなにパッとはしなかった。ハルちゃんは中くらいだったと思う」

 

俺は思い出の校舎を入学から順になぞる。ゆっくりと、キモくならない言葉を選ぶようにした。


「クラスは三年間一緒だった。あっちはそんなこと覚えていないだろうけど。でも一回だけ、席が隣になったんだ。ハルちゃん、あの頃は今よりも地味だったかな、それでも可愛かったけど」

 

制服に眼鏡をかけた、少しうつむきがちなハルちゃんの姿を思い浮かべた。

 

地味だったけれど、顔が整っているのと胸が大きいことで一定の人気はあった。そう言った話し合いに参加することは無かったけれど。


「……おとなしい子であんまり喋らなかったんだけど、あるとき友達と話してるところを見かけて、その笑った顔がすごく可愛かった。なんとなくその日から目で追うようになった、気がする」

 

ハルちゃんの柔らかい笑顔を思い出す。


「どんな人かと言えば優しい子だと思うよ。誰もやりたがらない委員になったりしてたし、掃除も丁寧だったし。俺は、あのときから全く変わってないな。ちょっと恥ずかしいけど。言えるのはそのくらいかなあ」

 

三年以上片思いしているくせに、ハルちゃんについて言える情報が少ない。つくづく自分が情けなかった。


「大学も同じなのは二人で決めたの?」

アイコさんは咀嚼を続けながら聞く。


「まさか。あ、でもストーカみたいに追ってきたわけじゃないよ! 本当に偶然だったんだ」


受験期のことを思い出す。あの日の冷たい机に置いた腕時計が俺を責める。


「共通テストの出来が悪くて、第一志望は無理だと思ったから元々受かってた私立にしたんだ。無理なのに二次試験まで頑張る気力が湧かなくて……」

 

俺は苦笑いでごまかす。昔から直前で逃げる悪い癖があった。


「その頃は自由登校だったし、自分のことでいっぱいだったからハルちゃんがどこにいったかなんて知らなかった。この気持ちも学校が離れたら自然となくなると思ってたし…… だけど入学式の会場に彼女はいた」

 

桜の見える校舎の隅で、友達と話しているハルちゃんの姿を思い出した。


「そういう意味では運がよかったのかな。でもそのせいで諦めるきっかけが無くなっちゃったから悪かったのかも。でもあいつ、祥太郎は本当に運がいいんだ」


「どうして?」

 

アイコさんは卵サンドを飲み込んでから言う。


「そもそもあいつは何にも考えないで適当に受験して、補欠合格だったのに繰り上げで受かった。未来のことなんて何も考えてないのに結局上手くいく。人間関係だって、あいつは努力しなくてもずっと周りに人がいる。女の子だってそうだ」

 

俺は、ずっと誰にも言えなかったあいつへの不満をぶちまけた。


「あいつらが付き合ったきっかけ、新歓だってハルちゃんを助けたのは俺だ。先輩の気を逸らしてる間にあいつがいいところを奪っただけなんだ」

 

酔ってハルちゃんにダル絡みしている先輩をハルちゃんから引きはがして、事を荒立てないように先輩たちの輪に戻し場を盛り上げた。

本当はそういうノリが嫌いだったけど頑張った。その間に祥太郎とハルちゃんはいい感じになっていた。


「あいつはなんの努力もせずに人生をうまく進めていける。俺は努力してピエロになるしかできない。あんなやつ、嫌いだ……」

 

俺は俯きながら声を振り絞った。最後の方は少し声が震えてしまった。


なんでこんなことベラベラ喋っているのか分からない。こんなこと誰にも言ったことが無いのに。

言っても相手を困らせるだけだって分かってるし、言えば言うほどみじめになるから。


でも、そんなこと全部ひっくるめてアイコさんには話してしまう力みたいなのがあった。



「そんなに嫌いなのにどうして一緒にいるの?」

アイコさんは不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。


「それは…」

ほんとにそうだ。離れたらいいと自分でも思う。

 

祥太郎とは入学式の時に知り合った。一番最初に話しかけてくれたのがあいつだった。そこからズルズルと付き合いが続いている。


文句を言うのに離れないのは、結局は祥太郎に甘えてるんだ。


「いいやつだから」

 

本当は分かってる。あいつはいいやつなんだ。

俺みたいに捻くれてなくて真っすぐで、一緒にいて気持ちいい。

だからあいつの周りに人が集まってくる。それに嫉妬しているだけだ。

 

俺はずっと、ああなりたいと憧れていた。



「そうなんだ。みんなの考えていることって本当にそれぞれ違っていて、おもしろいんだね」

 

アイコさんは下流の方を見つめながら呟いた。


「コウキ君と仲良くなれて良かった」

アイコさんは微笑む。何もかも包み込む天使のような笑顔だった。


「おれも…… あ、えと、こんな変な話聞かせてごめん」

 

アイコさんは否定しない。絶対に肯定してくれる。

 

海のような人だ。すべてを受け止めてくれる。


この人はいつも何かを受け入れ、そのかわりに優しさをくれる。


いつも与える側なんだ。

アイコさんは人に好かれたいから、と言っていたけれど、こんな人みんな好きになるだろう。作戦の方向性は大正解だ。



だけど、この人に与えてくれる人は本当にちゃんといるのだろうか。



「もう行こっか。家の近くまで送るよ」

俺はサンドイッチの袋を持って立ち上がった。


「いつものは、本当にいいの?」

 

座っているアイコさんは俺の服の裾をつかみ、上目遣いで見つめてくる。

それだけでずっと求めていたものの感触が蘇った。


 

彼女に与えてくれている人はいるのだろうか。その疑問の答えは祥太郎だと信じ、それ以上の考えにはふたを閉じ、卑しい俺はアイコさんを都合よく使う。





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