第4話

「あ、あそこのベンチ空いてる」

 

俺は指差した方に駆け寄ってベンチの砂を軽く払った。


「こんなところあったんだね」

アイコさんは不思議そうに周りを見回した。

 

喫茶店を出てから歩いて十分、レンガ造りのトンネルを抜けると、河川敷についた。


大きな川横の盛土部分には木がずらっと植えられている。

これは桜なので春になれば桜のアーチができる。ちょっとした観光スポットなのだ。


「これ、よかったら」

 

俺は手に持った袋を指した。中には卵のサンドイッチが入っている。

これもこの辺の名物だったりする。


「ありがとう」

アイコさんは笑顔で受け取ってくれた。

 

俺たちは木陰のベンチに腰かけた。

最近は少し肌寒くなってきているけれど、今日は暖かく、通り過ぎる風が心地よかった。

 

散歩をする人が行き交う。だけどみんなお互いに興味がない。俺はこういった空間が好きだ。一人だけど一人じゃない、みたいな。


「いい場所だね」

 

右隣のアイコさんは辺りを見回してそう言った。気に入ってくれたのなら嬉しい。



すると、おもむろにアイコさんは目下に流れる川を指さした。


「コウキ君の金魚はここから採ったの?」

アイコさんは川を見つめながら言った。

 

金魚、ああ、あの縁日のやつか。そういえばアイコさんは初めて俺の家に来た時も金魚に興味を示していたような気がする。


「ここじゃないよ。お祭りで採ったんだ」

「……? どうして食べるわけじゃないのにお金を払って金魚を採ったの」

アイコさんはすごく不思議そうな顔で言った。

 

食べるわけじゃないのに、か。今まで金魚なんか採ってどうするんだってことはたくさん言われてきたけど、食べるわけじゃないのにっていう前提が付いたのは初めてだ。


言われてみたら確かにめちゃくちゃ正論だ。なんて答えるのがいいんだろう。


「うーん…… 金魚を直接金で買ったわけじゃなくて、金魚すくいっていうゲームで採ったものなんだけど、その金魚がっていうよりゲーム自体が楽しくてお金を払った、かな」

 

自分では言葉を選んで喋ったつもりだったんだけど、アイコさんはますます苦い顔をしてしまった。


「そう…… 商売とはやはり奥深いものなのね。価値がないものをそのままではなくゲームという価値に乗せて売るのか」

 

アイコさんはぶつぶつと小さな声で呟いていた。なんだか納得してくれたようなので、俺は何も言わないことにした。


 

なんとなく感じていたけれど、アイコさんは頭がいい。

初めて得た知識を既存のものと絡めて考えることが出来る。

でもその既存の知識っていうのが、すごく難しいことは知っていても、生活する上での基本的なことが抜けていたりする。


まるで地球に住んだことのない宇宙人が、地球のことを本で勉強したみたいに。


 

アイコさんは宇宙人なんだろうか。



「川は海に流れ着くでしょう」

アイコさんは下流の方を指して言った。

ここから歩いてニ十分もすれば海に着く。


「みんな海に還るのよ」

 

川に佇んでいた水鳥が飛んだ。


「金魚もコウキ君も、わたしもね」

アイコさんはゆっくり俺の顔を見て言った。


 

還る。その意味はよく分からなかったけれど、でも、すごく寂しそうに笑う彼女を見るのが辛かった。


木漏れ日が揺れる。行き交う人々の気配を感じる。みんな生きた空間の中にいる。

彼女はその空間に内包されている。

多分、アイコさんはその意識が薄い。俺はすごく、還るとかいうその場所ではなく、今この場所を感じてほしいと思った。



「ちょっとそこに立ってみて」

 

俺はそう言ってスマホを取り出し、アイコさんを日の当たる場所に誘導した。

 

カメラを起動し、画角を調整して撮影ボタンを押す。

川とアイコさんにちょうどよく陽が当たり、とてもいい写真になっていた。まあ、モデルがアイコさんならどう撮ってもいい写真だろうけど。


「見て」

俺は撮った写真をアイコさんに見せた。


「わ……」

アイコさんは小さく驚いた。その声は明るく、たぶん喜んでくれていそうでほっとした。


「これ、今はデータだけど現像するよ。そしたら勝手になくなることはない。持ち続けている限り写真の中のアイコさんはずっと消えない」

ゆっくりと、言葉を間違えないように確実に言った。ちゃんと伝えたいことが全部伝わるように願いを込めて。


「写真の中の私はきえない、のか……」

アイコさんはスマホに映る自分をまじまじと見つめていた。


「記録は人がいた証なのだもんね」

アイコさんは何かを思い出しているように、目を瞑りながら言った。


「現像したら、私も一枚もらってもいい?」

 

しばらくの沈黙の後、アイコさんはゆっくりと顔を上げて言った。


「もちろん」

 

明るく言おうとしすぎて、いつもの倍くらい声が小さくなってしまった。


「私も記録をしてみようと思う」

アイコさんは笑顔でベンチに座り直し、サンドイッチの箱を取った。


いいね、って素直に言ってあげればいいのに、なぜか言いようもない悲しみみたいな気持ちでいっぱいになって何も言えず、俺はただ黙って彼女の横に座った。



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