第2話
「すいません……」
俺は鼻を啜りながら言った。
手にはアイコさんがくれた温かいコーヒー、肩にはアイコさんがかけてくれた毛布が掛かっている。
俺たちは祥太郎の寝ているベットから移動して、二人がけのソファに並んで座っていた。
「ううん。こっちこそごめんね」
アイコさんは優しい。あんな醜態を晒したのに全てを包み込むような暖かい声でそう言ってくれた。
コーヒーを飲むふりをしてアイコさんを盗み見る。
やっぱり可愛い。作り物のようにすべてが綺麗だった。
つやつやの髪、毛穴の見えない白い肌、長いまつげの大きな瞳……
こんなに綺麗に生まれたら人生楽しいだろうな、と思った。
下を向いて、自分の身体を見る。
黒い肌に剛毛のムダ毛、シャツから覗く体の一部分だけでさえない男だということが容易に想像できた。
顔は、言うまでもない。
昔「ガネーシャに似てる」と言われたことがある。
ガネーシャはインドの象の神様だ。象て。
そんなバカなことを考えていると突然、アイコさんと目が合ってしまった。
慌てて視線を外したけど心臓はドクドクと波打っている。
この子は考えていることが分かるのに迂闊だった。嫌われたらどうしよう。
「なんで? 嫌わないよ」
その声が聞こえて、恐る恐る振り向くとアイコさんはあの優しい笑顔をこっちに向けていた。
「……どうしてそんなに優しくしてくれるんですか」
店で会った時からずっと不思議だった。
祥太郎に関しては惚れているから媚を売るために優しくしているんだと思っていたけれど、俺には理由がない。
こんなに無条件に優しくしてもらったことは初めてだし、少し不気味だった。
「人に好かれたいから、かな」
アイコさんは少し考えてから言った。
「どうして好かれたいんですか」
普通は逆なんじゃないのだろうか。可愛い子は好意をいろんなやつから持たれやすいから、勘違いされないように自衛すると聞いたことがある。
こんな可愛い子、いろんな虫が寄ってきただろうにそれでもまだ好かれたいのか。
「私が人を好きにならなければならないから」
アイコさんは手に持っていたコーヒーを机に置いた。
「私は恋をしなければいけないの」
悲しそうな目でそういった。俺は理解が追いつかなくて、しばらく固まっていた。
「……なぜですか」
「宿命だから」
アイコさんは俯きながらゆっくりと語った。
「私は、愛を知るために生まれたアイコだから」
そう言ったアイコさんはとても寂しそうに見えた。
「そっか……」
それ以上の言葉が出てこなかった。
「でも、なんで祥太郎なんですか?」
それがずっと、一番の疑問だった。
なんでアイコさんは喋ったこともない祥太郎を気に入ったのか。
もっといい男はそこらへんにでもたくさん居る。
「失恋したてで傷ついた心には入り込みやすく、恋愛関係になりやすいと思ったから」
「へ? それだけ……」
アイコさんがあまりにも当然といった態度でそういうから、俺は呆気に取られてしまった。
「うん」
本当にそれ以上の特別な感情が無さげな様子で微笑むアイコさんを見ると、なんだか急に笑いが込み上げてきた。
祥太郎は運がいい。それはずっと分かっていた。
今回の件は、超絶美少女が奇跡的に気に入ってくれたという運の良さだと思っていた。
だけど違った。彼女は誰でも良かった。
強いて言えば、今回の運は宝くじに当たったようなもんだ。
自分自身を求められているわけではない、恋愛対象の器として求められているだけなんだ。
それを知ったら祥太郎はどう思うんだろう。
いやまあどういう理由であれ、この子は自分と恋愛したがってるのは事実だから喜ぶか。
「それでね」
アイコさんは自分の世界に浸っている俺を引き戻すように、俺の腕を触った。
「私の目的は彼には言わないでね」
アイコさんはまっすぐ目を見て言った。
「なんで?」
「これは運命でなくてはいけないの」
アイコさんは飲み終わったコーヒーを机の上に置いた。
「私の目的がバレてしまったら、それは計画的になってしまい、彼にとっての運命ではなくなるでしょう」
運命……? アイコさんの言っていることが素直に飲み込めなくてまごついてしまった。
そうか、現時点で祥太郎にとってアイコさんに会えたことは運命なんだ。
バレなきゃそれは覆らない、なるほど。
あれ、でもそもそもなんで運命じゃないといけないんだ?
いろいろ考えて混乱していると、アイコさんは小指を差し出した。
俺は反射的に右手を出していた。
「約束」
「は、はい」
俺たちは小指と小指を結んでゆびきりげんまんをした。
アイコさんは小指まで綺麗だった。小さく柔らかい指は折れそうなほどだった。
「でも困ったな。コウキ君の知っている彼の情報が思っていたより少ない」
「う…」
役立たずだと言われているようで胸が痛む。
「だったら、こういうのはどうですか」
俺は身を前に乗り出していった。
「君とコイツがうまくいくように相談に乗ります。どうしたら良さそうとかは分かるかもしれないし。正解は言えないかもだけど、少しは力になれると思う」
アイコさんは真剣な顔で俺を見つめる。
「それはとてもありがたいけれど、コウキ君にメリットないのにいいの?」
アイコさんは大きな瞳で俺の顔を覗き込む。罪悪感で胸がちくりと痛んだ。
ここで見返りなんていらない、君の役に立ちたいんだなんて言える男だったら、少しはモテていたのかもしれない。
「それはその、ちょっとだけでいいんです、だから……」
俺が俯きながら情けない声でもじもじとしていると、アイコさんは俺の手を握った。
びっくりして顔を上げると、俺の手を握っていたのはハルちゃんだった。
「あ……」
「コウキくん」
あの高くて小さい、女の子らしい声でハルちゃんは俺の名前を呼ぶ。
「おいで」
ハルちゃんは両手を伸ばす。俺は豊かな胸の中に飛び込む。理性などない。
あ〜〜いいにおいぃ〜……
柔らかい、どこまでも沈んでいくような布団に包まれてるみたい。もっと触りたい、もっと深くまでいきたい。
ハルちゃん、ハルちゃん、ハルちゃん、ハル……
「コウキくん」
すごく遠いところからハルちゃんの声が聞こえた気がした。
「キスは駄目だよ」
そう言って微笑む顔が、突然目の前に現れた。
気がついたら俺はベッドの上で眠っていた。
風呂場からはシャワーが聞こえる。隣の祥太郎はそろそろ起きそうな感じで寝返りを打っていた。
うなされているようなコイツの声で、俺は咄嗟にベッドから降りた。
祥太郎に見つからないよう身を屈める。
心臓の高鳴りを必死に抑えて冷静になると、手にメモが握らされているのに気がついた。
メモには「ドアは開くようになってるから先に帰ってくれ」ということが綺麗な字で書かれていた。
そういうことならと思い、立とうとした瞬間、祥太郎が起きてしまったのでタイミングを見失ってしまった。
二人のやりとりをぼーっと聞きながら、さっきまでの感触を思い出す。
最高だったなあ。生きてて一番幸せだった時間かもしれない。
あれをもう一度してもらいたい。
……うんそうだな。決めた。
コイツに可愛い彼女ができるのは癪だけど、うまくいくよう全力で応援しよう、アイコさんを。
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