コウキ編
第1話
俺はこいつが嫌いだ。
「ハルの馬鹿やろー……」
恵まれているくせに、それに気付かず大切にしない。
俺なら絶対大切にする。絶対幸せにしてあげられるのに。
「こちらフローズン・マルガリータです」
それにこいつ、妙に運がいいんだ。それにも気が付いていないのが腹立たしい。
「こんなの頼んでないんですけど……」
「元気出してって意味」
うっわ、超かわいい。芸能人を生で見たことはないけど、ほんとにそんな感じがする。なんでこんな子がこんな所にいるんだ。
そうやって見とれていると、段々と彼女の視線の意味に気が付く。いや、まさか……
ああ、またこいつなんだ。
彼女が祥太郎を見つめる視線が作る空間の中、圧倒的疎外感を感じつつも、絶対にそれを表には出すまいと歯を食いしばった。
*
「だークソ重い!」
祥太郎の体を思いっきりベッドに投げ入れた。派手な音がしたのに、こいつは目を覚ます気配が無い。
「運んでくれてありがとう」
女の子は上品に微笑みながら立っている。髪を耳にかけるときの髪の毛の流れが芸術的に美しかった。
「いえ……」
情けないことに、俺はこの子と目を合わせることが出来なかった。かわいい子って見かけると嬉しいけど、でもいざ対面すると恐怖の対象だったりする。
「ちょっと休もう」
そう言って女の子は、祥太郎が寝転んでいるベッドの淵に腰かけた。手には二つ、水の入った紙コップが握られていた。
俺は紙コップを受け取って、そーっと隣に座った。
確か、アイコって名前だった気がする。
ぼんやりとした記憶の中を探る。なんか可愛い名前だなって思った気がするんだ。
「そう。私の名前アイコで合ってるよ」
心臓が飛び出るかと思った。
俺いま口に出してたか? いや絶対違う。
まるで俺の心を読んだように、考えていたことにドンピシャの答えを言った。なんで分かったんだ。
「コウキ君のこころの中での質問に答えたんだよ」
アイコさんは当たり前、といったような顔でそう言った。
彼女の綺麗な黒目の瞳孔が大きく広がった気がした。
「な、なんで……?」
俺は迫力に負けて後ずさった。祥太郎はまだ寝ている。
「知りたそうにしてたから」
「そっ、そうじゃなくて!」
俺は思わず声を荒げてしまった。アイコさんは目を丸くして驚いた顔をしている。
「なんで、考えてることが分かるの?」
アイコさんは口の端をきゅっと上げて笑顔を作った。
「内緒」
そう言って笑ったアイコさんはめちゃくちゃ可愛かった。
なんかの波動が出てた。俺はそれをモロに食らってしまって目眩がした。
「あっ……そ、すか……」
「それでね、教えてほしいことがあるんだけど」
アイコさんは可愛い笑顔を崩さずに前を向いた。
「この男の子はどういった女の子を好むの?」
アイコさんは寝ているショウタロウを指差しながらそう言った。
心臓を鷲掴みにされたような感覚になった。ぐっと息ができなくなって、反動で涙が少し出た。
結局みんなあいつなんだ。なんで、そんな大した男でもないのに。
俺はいろんなことを言いたい気持ちをぐっと堪えてアイコさんの方に向き直った。
「そうっすね、大学からの付き合いなんでそんな詳しくはないんですけど、彼女は童顔系の可愛らしい女の子でしたね」
俺は笑って、調子のいい声を出して言った。あくまでいつもの軽い感じを出せるように。
いつもそうだ、俺は言いたくないことほど明るく軽く言ってしまう。
ハルちゃんの印象を祥太郎の彼女として喋るなんて、本当は死んでもしたくなかった。
けれど、アイコさんは表情を変えずじっと俺の方を見つめていた。
「コウキ君はその子がずっと好きだったんだね」
「……!」
息を呑んでしまった。ラブホの静寂の中、ウォーターサーバーの稼働音だけが響く。
「……まあ、そうっすね……」
この人はなぜか知らないけど俺の考えていることが分かっている。もう今更ごまかしても無駄だろう。
「高校生の頃から?」
「は、はい……」
まるで尋問だ。
「どうして好きなの?」
アイコさんは首を傾げて聞いてきた。大きな瞳は少し潤んでいて、ちくしょう可愛すぎる。
「どうしてって言われても…… 人が人を好きになるのってそんなに明確な理由が要りますか」
俺はつい、可愛さに腹が立ったせいでムキになって答えてしまった。
でも本当にそうなんだ。なんで好きかなんてもう覚えていない。
ただ、放課後の教室でハルちゃんと一緒に美会員の仕事をしたことは覚えている。
夏の終わりらしい濃い夕焼け、静かな教室に響くホッチキスの音。あの時の光景は瞼の裏にこびりついている。
ハルちゃんは黙って委員の仕事を続ける。そんなに仲良くないから黙ってるだけなんだけど、そのとき俺がいろいろ喋りかけたらよかったんだけど、俺はその時間がとても好きだった。
どうしてもその時間を壊したくなくて、俺は黙って仕事を続けた。
ぼーっと思い出の回想をしていて、はっと現実に帰ってきた。
ハルちゃんを思い出す時はいうもこうだ、危なかった。
そう思いながら横を見ると、そこに座っていたのは黒いセーターを着たアイコさんではなく、俺たちの高校の制服を着たハルちゃんだった。
「‼︎」
声が出なかった。口をパクパク動かすだけで精一杯だった。
「光輝君」
ハルちゃんは笑顔で俺の名前を呼んだ。
「久しぶり」
そう言ってハルちゃんは俺の方に両手を伸ばした。
俺は、まるでミツバチが蜜を求めるように体が吸い寄せられた。
ハルちゃんの手が俺の頭に触れた。小さく柔らかそうな手、ずっとこれに触りたかった。
今、俺が彼女の手を触っているのではない、彼女の手が俺を触っているんだ。
その瞬間、ふっと緊張の糸が切れた。
「ハルちゃん、俺……」
「うん」
いい匂いに包まれたと思ったら、次は柔らかいものが身体を覆った。
ハルちゃんは俺を抱きしめてくれている。暖かい春の香りがした。
「……っ」
声を殺して泣いた。涙が服に着きそうで離れようとしたけれど、ハルちゃんは力を強めて俺を抱き寄せた。
それが嬉しくて胸がぎゅっとなった。
もっと近づきたい、もっと触れたいと思い、少し力を込めると、簡単に押したいせてしまった。
祥太郎の足が近くにある。彼女の頭に絶対に触れないように手で頭部を包み込み、顔を近づけた。
「ごめんね」
唇に触れたのは女の子の手だった。
その声で我に帰ると、そこに居たのは黒い服を着たアイコさんだった。
「あ……」
俺は慌ててアイコさんから離れた。心臓がバクバク鳴ってる。
怒りか恥なのか分からない感情でいっぱいになった。鏡を見ていないから分からないけれど、多分めちゃめちゃ顔赤くなってる。
「ごっ、ごごめん」
「ううん」
アイコさんはさっきと同じ微笑みを浮かべてそういった。
すると、なぜか涙が勝手に出てきた。
この子にまでからかわれたんだ、俺が女々しくいつまでも同じ子に片想いしてるから、初めて会った女の子にまで馬鹿にされたんだ!
「違うの」
俺が何も言えずにただ泣いていると、アイコさんは涙を拭いてくれた。
「喜んでほしかった。人を喜ばせるのってやっぱり難しいね。傷つけてごめんなさい」
アイコさんは優しい声でそう言った。手はハルちゃんのよりも大きく温かかった。
違う。なんで泣いてるんだろうね。傷ついてないよ。驚かせてごめん。
言いたい言葉はたくさんあるのに、脳みその中をぐるぐる回っては消えた。言葉は出ないのに涙はとめどなく出続けた。
すると、アイコさんは何も言わずに立ち上がった。
そして俺の前に立ち、優しく俺の頭部を腕の中に包んだ。おでこには彼女の胸が当たっていた。
手が勝手にアイコさんの体を抱きしめるように動いた。腰は想定の1.3倍細かった。
情けなさとか恥ずかしさとか、これさっき祥太郎がされてたやつじゃんとか、いろんな感情がぐちゃぐちゃになってわけがわからないのに、一つだけはっきりしている意識があった。
おっぱいって柔らかい。
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