第15話


結局あいつは何がしたかったんだ。

今うまくいってるからってその成果を俺に見せつけて、すっきりしたかっただけじゃないか。

 

俺はカフェスペースを出て、レンガ造りの道路を歩いて大学の門を目指した。

 

付き合ってる時はそんなんじゃなかった。



「名前、花房くんだよね……? たっ、たすけてくれてありがとう……」

「わっ、わたしっ、花房くんのことが好きで……」

「ん……じゃあショウくんって呼ぶね」

「わったしも、だっ大好きだよ! わわわたし、こんなのなのに…… 世界一の幸せ者だ……」



ハルの声が頭の中を駆け巡る。今聞くとイライラする甲高い声も、思い出の中ならこんなにも愛おしい。

いつも潤った大きい瞳の上目遣いで俺の名前を呼ぶ。あいつのことは確かに好きだった。

 

だけど、今気がついた。思い出の中のあいつの言葉は全部言葉の前が詰まっている。

これが吃音ってやつか。

 

全然気が付かなかった。そういう喋り方だと思ってたし、それで悩んでたなんて知らなかった。



「ショウく…… あ、いややっぱ何でもない…ごっごめんね」



そういえば何か言いたげにしていたことが多かった気がする。でもやっぱ何でもないって本人がそう言ってるんだから、それでいいだろ。


水族館に映画館、他県の遊園地にも行った。

いろんなところに連れて行ってやったけど、人ごみは苦手だしお金使うのがもったいにからって家で会うことが多くなった。



「ごめんね、人混み苦手で……」



 遊園地のベンチに座るハルに、俺はそっか、と生返事をした。

 

だって喜んでくれると思って、高い時期のチケットせっかく買ったのにって。

チケット渡した時に自分の分は出すってお金返してくれたけど、そうじゃなくて楽しんで欲しかった。めちゃくちゃ楽しいよ、ありがとうって言ってほしかった。


最初は俺の家だったけど、汚いし狭いからハルの家が多くなった。


ハルの家はいつも綺麗でなぜかいい匂いがした。ハルは本当に「女の子」だった。

 

料理は本を見ながらきちんと手順を踏んで作っていて、遅いけれどちゃんとうまかった。料理よりもお菓子作りがうまかった。

 

一緒に映画を見てメシ食ってゲームしてヤッて帰る。そうしてハルの家で過ごしていたけれど、それもだんだんとなくなって、たまに連絡をするくらいになっていった。


 

そうだ俺、全然ハルを大切にしていなかったんだ。



ぞんざいに扱って、ろくに話も聞かず、いつも俺のしたいことを押し付けていた。

あいつはいつも何も言わず、ニコニコと受け入れていたから、俺は自分のことをいい彼氏だと思っていた。

 

なんで今更、自分のことを冷静に見れるようになってしまったのだろう。

ただでさえ今辛いのに、もっと辛くなってしまうじゃないか……



「は、花房くん!」



後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきて、振り返ると渡瀬さんが立っていた。

ボリュームのある上着を着た彼女のシルエットはいつもより丸かった。

 

俺は反射で顔を引き攣らせてしまった。

それを見た渡瀬さんは一瞬泣きそうな顔をしたが、笑顔を作ってこっちに近づいてきた。


「よかった、連絡がつかなくなったから心配してたんだよ…… ごめんね、気まずくさせちゃって。私のことは嫌なら無視していいから、またサークルおいでよ。こ、子供たち、寂しがってるよ……」

 

渡瀬さんは半泣きで、けれど口元には笑みを浮かべてそう言った。


 

なんで、どれだけいい子なんだ。

俺はあんなに酷いことをしたのに。


 

頭の中にあの日の光景がよぎる。

薄暗い教室の隅の、埃に混じる汗の匂い。準備のない、愛も責任もない獣の行為。


 

この子にちゃんと嫌ってもらわないと、俺はもっと自分のことを嫌いになる。



「やめてよ」

 

俺はなるべく冷たい声で言った。彼女はますます泣きそうな顔になった。


「急にサークル行かなくなったのは悪いけど、元々俺がいなくても回ってたでしょ。ちょうど次の予定立てる前だったし」

「そうだけど、そうじゃなくて……」

 

渡瀬さんはそう言いながら俺の上着の袖を掴んだ。


「触んなよ」

 

俺は手を引っ込めて、なるべく冷たい声で言った。


「もう行かない。会わないから」


俺はそう言って、顔を下げたまま走り去った。渡瀬さんを見る余裕はなかったけど、後ろから微かな泣き声が聞こえた。


 

ごめん。ごめんごめんごめん!

 

もう会わないし、傷つけないから、これ以上誰も俺を傷つけないで!



……アイコさんに会いたい。アイコさんに会いに行こう。


 

俺は最近の帰り道とは反対の、自分の家に向かって走り出した。





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