第14話


それから俺は、以前と同じの、いや前よりも堕落した生活を送るようになった。


「あれ、お前今日学食?」

 同期の佐藤がカレーうどんを運びながら俺のチャーハンを覗き込む。


「追及せんといてやれ」

光輝が湯気で曇ったメガネを拭きながら言った。

佐藤はバツが悪そうにあーっと言った。


「これあげる。元気だせよ」

 

そう言ってサラダを置いてどこかへ行った。

いらんわ、とツッコむ気にもなれなかった。


 

食べ終わると出席のためだけに講義室に行く。

この授業はゆるいから出席のパスワードを入力したら出て行く奴も結構いるけど、それすらも面倒くさい。後ろの席で机に突っ伏して、ひたすら寝たふりをした。

 

あれから渡瀬さんから何回か連絡が来ている。けど返事はしていない。児童クラブにも行っていない。


 

ガキ共寂しがってるかな。いやねーか、クラブにいたの二ヶ月くらいだし、渡瀬さんだけじゃなくて何人も先生いるし……

 

俺なんて別に、世界にいてもいなくても変わんないんだよなぁ。

 


突っ伏しながら、こぼれた涙を気がつかれないように拭う。

 

そんなことを考えていたら授業が終わっていた。人が退室していく音がする。

起きるタイミングを見失ってしまったので、ある程度人が少なくなってから出ることにした。



「ショウくん」

 

頭上から小さくてかん高い、女の子の声が聞こえた。

 


ハルだ。見なくても分かる。



「起きてるんでしょ」

 

ハルは俺の肩を叩いた。やっぱりハルには寝たフリは通用しない。

俺はゆっくり顔を上げた。


「何」

「話があるの」


 ハルは以前のおどおどとした態度ではなく、はっきりとした口調で喋った。






  *

「はい」

 

俺たちは構内のカフェスペースに移動した。俺は売店で買ったカフェラテをハルに渡した。


「……ありがとう」

 

ハルは少し雰囲気が変わった気がする。

髪の毛が伸びたからだろうか、顔つきが大人っぽくなって、綺麗になった。


「話って何?」

 

俺はブラックコーヒーを啜りながら聞いた。


「私たち結構長かったよね。フットボールサークルの新歓で、先輩に絡まれてたところをショウくんが助けてくれたのがきっかけだよね」

 

ハルはカフェラテに口を付けず、ラテアートの模様を見つめながら話した。

 

なんだ、今さら昔話とか聞きたくないんだけど。


「ショウくんは優しかった。紳士的だし、優柔不断な私に代わって、いろんなことを決めてくれて」

 

ハルは相変わらず、目線を合わさず弱々しい声で喋った。


「でもだんだん、それが私に決定権がないんじゃないかって感じたり、自分より下の存在が欲しくて私と一緒にいるんじゃないかって、毎日じわじわと不安でいっぱいになっていって……」

 

ハルの声は次第に小さく震えていった。しかしその様子は俺を苛つかせた。


「そんなわけねーだろ。大体そんな理由で浮気していいと思ってんのか」

「喋ってる途中で口を挟まないでよ」

 

ハルは芯の通った声ではっきり言った。その迫力に思わず気押されてしまった。

やっぱりこいつ、なにかが変わった。


「あれは違うの。しつこく言い寄ってきてた人がいて、最後の思い出としてデートしてくれたら終わりにするっていうから…… 手も、ショウくんを見つけた時に無理やり繋いできたの」

 

ハルは眉間に皺を寄せながら、でも俺の目を離さずじっと見てそう言った。


そういえばハルはモテるんだ。たぬき顔に肉のついたほっぺたが笑うと妙に可愛らしい。身長の割に胸もある。


「じゃあそう言ってくれたら……」

「だってあの後、弁明する余地もなく次の人と付き合ってたじゃない。あの日、朝会った時もうまく説明できないうちに行っちゃうし」

 

ラブホ帰りにハルと高山さんに会った日の朝を思い出した。

そのあとすぐに弁当をイジられるようになったし、ハルと付き合ってることを知っていた人が誰か伝えたのだろう。


「ショウくんと付き合ってる状態で他の人とデートしたのは事実だし、別れることも考えてたから何も言わなかったの」

 

ハルは再びカフェラテに目を落とす。


「私、変わりたくて。ずっとずっと思ってたんだけど、今回本気で決意して、いっちゃんにも協力してもらって、吃音を治すところから始めて、今では男の人にも気持ちをはっきり言えるようになったの」

 

ハルの声がまた、少しずつ震えていくのが分かる。

いっちゃんて誰だ。あ、高山さんか。



「ショウくん私が吃音で悩んでること知らなかったでしょ」

ハルは突然、俺の方をきっと睨んでそう言った。


「私に興味無かったもんね。ただおどおどしてる女だと思ってたでしょ」

 

こいつは何を言い出すんだ。付き合っていた時はあんなに大切にしてやったのに。


「そんなこと……」


「私、夜はカフェイン飲めないの。眠れなくなっちゃうから。何回も言ったのにね」

 

ハルは持っていたカフェラテを俺の方に突き返した。中の茶色の液体はもうすっかり冷めている。


「……ごめん」

 

そういえばそうだった気がする。でももう、何ヶ月も前の話だ。


「謝らないで。今日は私が謝りに来たんだから」

 

ハルは落ち着いた声でそう言った。


「他の人とデートしてごめんなさい。ちゃんと説明できなくてごめんなさい。傷つけたのなら謝ります。そして、私が変わるきっかけをくれてありがとう。私、はっきり意見を言えるようになって幸せなの。昔のあれは、モテなんかじゃなくて舐められてただけなんだなって気づいた」


 

ハルの言って入ることの意味は分かるのに、なぜか理解ができない。ハルの声は洞窟の中で響く単なる音のようだった。

 

 

なんで、こいつだけ上手くいってるんだ。俺だって、変わろうって頑張ったのに。


 


気がつくとハルはいなくなっていて、机の上のカフェラテの底には千円札が挟まれていた。







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