第12話
「おかえり」
アイコさんはいつも通り玄関まで迎えにきてくれた。俺は気まずくて目を見ることができなかった。
「ご飯できてるよ」
ただいまのキスをしなかった俺を、少しも怪しむことなくいつもの調子で聞いてきた。
「ごめん、時間も遅いし今日はいいや」
掛け時計を見ると夜の十時を過ぎていた。
「そう」
アイコさんは短くそういい、コンロの鍋の中身を保存容器に移し始めた。
それを見ると、急に俺の胸の中が罪悪感でびっしり埋まった。
作ったおかずを保存容器に移し変えるという、極めて家庭的な行為、アイコさんの手つきは慣れた人のそれだった。
アイコさんは保存容器の存在を俺と会ってから初めて知ったのにも関わらず。
俺は、アイコさんがこんなに慣れるまでご飯を作ってもらっていたんだ。普通の同棲カップルと比べると日は浅いのかもしれないけれど、でもこの作業に慣れるくらいの日数を彼女と過ごしてきたんだ。
「ごめん」
俺はアイコさんの後ろから勢いよく抱きついた。
「なにが?」
アイコさんは首を回し、俺の顔を見ている。優しく俺の腕を撫でる彼女の温度は暖かい。
言わなくちゃ。
そう思うのに、口が動かない。彼女の瞳はガラスのようで、感情が分からない。
アイコさんは今日も綺麗だ。本当に、いつもと何も変わらない。
「俺、今日……」
その先がどうしても言えなかった。
もう言えなくてもいいんじゃないか。わざわざ傷つけるようなことを言わなくても、この先絶対に同じ過ちを繰り返さないという決意だけで十分なんじゃないだろうか。
「それがどうしたの?」
アイコさんは微笑みながら言った。
「え……」
「渡瀬さんとの行為がどうして私に関係あるの?」
アイコさんは俺の頬を撫でた。
やっぱりアイコさんは頭の中を読めるから、何をしてもバレてしまう。そこまではそうなってもしょうがないと思っていたから、だからそれはいいんだけど、そうじゃなくて、どうして私に関係あるのって、あるだろ!
だって普通の恋人だったら浮気なんかしちゃいけないから。他人とセックスするのはルール違反だから。
「私たちの間では、そんな取り決めを交わしていないよ」
アイコさんの声は残酷なほど美しく響く。
ああそうか、この人の瞳に、俺の姿なんて最初から映っていなかったんだ。
「アイコさん、俺のこと好き……?」
俺は泣きそうな声で言った。
「すきだよ」
アイコさんは目を逸らし、少し考えてから俺の目を見てそう言った。
「嘘だ。本当のことを言って!」
俺はアイコさんの肩を強く握って揺さぶった。
「……本当のことってどういうこと? タロはずっと、好きだって言って欲しいってタロの心が言ってるから、私はその通りに言っているだけなのに。そこに対しての嘘はないよ」
アイコさんは感情のない笑顔を崩さずにそう言った。
「……君はずっと、俺の望みを叶えていてくれていて、それはアイコさんの心とは違うの……?」
綺麗なアイコさんの顔は、涙に歪む視界のせいでどんどん形をかえていった。
「ううん、違うよ。本当にショウタロが好きで一緒にいるんだよ」
俺は笑いながら地べたに泣き崩れた。
アイコさんのそのセリフは、たった今、そうであってくれと俺が頭に思い浮かべたものだった。
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