第3話
「わあ、何これ。おいしいね」
「普通のブラックコーヒーだと思いますけど……」
アイコさんは上品にカップに入った黒い液体を啜っている。
俺たちはラブホ街を抜けてすぐの角にある喫茶店に入った。
この喫茶店は早朝から営業しているので、きっと泊まりがけのカップルが利用して帰るのだろう。
朝十時の喫茶店だというのに利用客はジジババではなく若者ばかりだ。
周りを見渡したあと、コーヒーに集中しているアイコさんの顔をそーっと見る。
彼女の肌は朝日に照らされて透けるように白い。アイコさんは本当に綺麗だ。
昨日何があったのかまだ聞けないでいる。光輝もいたし、やってないよな……?
そもそも初対面の相手におっぱいを押し付けられたという経験が初めてすぎてそこから思考が進まない。
こんな清純そうな見た目なのに…… 漫画とかに出てくる、金髪の、軽そうなギャルとかならまだ…… いややっぱそれでもねーだろ。
寂れた外の景色を見ながら悶々といろんなことを考えて、ふと目をアイコさんの方にやると、そこには全く知らない金髪のギャルがいた。
「‼︎」
驚きすぎて声すら出せなかった。
「金髪もかわいいよね」
長いつけまつ毛の目を伏せてコーヒーを見つめている。
この人は、人間ではないようだ。
*
「あの、本当にいろいろとありがとうございました。ご迷惑もおかけして……
これ、少ないけど今持ってる全財産なんです。受け取ってください。じゃあ、本当にありがとうございました」
俺は五千円をアイコさんに握らせて小走りに駅へと向かった。
これ以上この人と関わるのは怖い。
俺は後ろも見ずに一心不乱に歩き続け、角を曲がると、そこにはアイコさんがいた。
「うおぉ……」
あんまり情けない声は出さないように踏ん張ったらもっと情けない声になってしまった。
地面にへたり込んでしまい、せめてもの防御の姿勢でフードを被った。
辞めて一年半以上経っているとはいえ、高校でサッカーをしていた俺はそこそこ脚に自信があったのに。
「もうちょっと一緒にいようよ」
最初会った時の、黒髪の女の子の見た目をしたアイコさんは甘えた声でそう言った。
「な、なんで…… お、俺本当にお金持ってないんです、ごめんなさい」
「お金はいらないよ。君のことを知りたいの」
その言葉を聞いておそるおそる顔をあげると、しゃがんで頬杖をついているレイコさんが目の前にいた。
「お、俺……? なんで俺なんか……」
「あれ、花房君じゃない? ハル、花房君があそこにいるよ」
突然聞き覚えのある声が聞こえてきた。
アイコさんの後ろの声の主を見ると、ハルの友達の、高山一夏がハルと一緒に立っていた。
ハルは見てはいけないものを見たような気まずい顔をしている。
それが昨日の、あの現場のフラッシュバックを引き起こさせて、心臓がどくんと波打った。
「こんにちわーっ、ってあれ、なんで女性と…… わっ超美人だ。え、どうしたんですか? 具合悪いんですか?」
俺が地面にへたり込んで、その前にアイコさんがしゃがんでいるから、女性に介抱してもらっていると思ったらしい。
高山さんは空気を読まない。ハルがちょっと、と言って引き留めているのにも気がついていない。
いい子なんだけど、なんでこの子とハルが仲がいいのかわからない。
ハルはすごく場の雰囲気に敏感なタイプなのに。
「あなたがハルさんなんだ」
俺がぼーっとして何も言わないでいると、アイコさんは立ち上がってハルの方に近づいた。
「え……なんで名前知って……」
「どうして浮気したの?」
アイコさんの言葉でハルは元から大きい垂れ目をさらに大きく見開いた。
「え、なに浮気って…」
高山さんは不安そうな顔でハルの方に駆け寄った。ハルは俯いたままだ。
ハルのやつ、まだ話してなかったんだ。昨日の今日だし、おめでたい話でもないし当然っちゃ当然か……
「ち、ちが……」
ハルは大きい瞳に涙を溜め、呼吸を荒くしている。なんで加害者側が被害者ヅラしてんだ。
「もういいから。アイコさん行きましょう」
腹が立って仕方ないはずなのに、やっぱり一度好きになった子の泣き顔は見たくなかった。
俺はアイコさんの手を取って、反対方向に歩いて行った。
「連れて行ってくれるんだ」
振り返ると、アイコさんは首を傾げ、可愛い笑顔で俺を見つめていた。
「あ、ごめん引っ張って……」
俺はあわてて手を離した。すると急に恥ずかしくなって、顔にぶわっと熱が広がった。
正直一人で逃げるチャンスだったのに、わざわざアイコさんを連れて行ったのは、ハルにお前なんかいなくてももっと可愛い女がいるんだと見栄を張りたかったんだ。
情けないな俺は。この人を利用したんだ。たとえ人じゃなくても、この人はずっといい人なのに。
「いろいろとごめんなさい。家まで送ります」
俺はゆっくりとアイコさんの方に向き直った。改めてみる彼女の瞳はガラス玉のように綺麗だった。
「家はないの」
アイコさんは口の端を上げる、いつもの笑顔を作った。
「君の家に泊めて欲しいな」
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